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反海

直射日光を浴びて少し肌を赤く染めながら海に向かった。もう何も考えたく無かったから。僕は昔から海が嫌いで嫌いで堪らなかった。海に行くメリットとデメリットの比率が0.0000001:9.9999999だと思うぐらい嫌いだった。たとえ海水浴を楽しもうとしても、私達人間が想像も出来ないとんでもないバケモノがいるかもしれない。そしてそのバケモノに食い散らかされて苦しみながら死ぬかもしれない。また、バケモノとかでも無く皆んな知ってる水母や鮫などは勿論の事。最近では海豚にも噛まれて何人か怪我をしたらしい。そのぐらい野生の生き物達は人間という最も地球で必要の無い哺乳類を本能的に嫌っており、そんな人間が嫌いな生き物達が生息している海には近寄りたく無いという訳だ。(これは川、山も同様)
別にどんな場所でも死ぬ危険性はある。だから「死ぬまで外出しない」とかそういうとこではない。家の中に居ても雷や叩き(強盗殺人)などで死ぬ可能性だってあるからだ。だけどこれだけは言いたい。海水浴なんかで死ぬのは絶対にしたくないという事なのだ。他にも、海に来る人々が嫌い。地面が砂だらけですぐ汚れるから嫌い。など、どんなに海を愛して愛してやまない奴から海の魅力を説得されても、「嫌い」と一蹴するだろう。僕の母も父も嫌いだったというのも一つの理由になるかもしれない。母も父もインドアorアウトドア?と聞かれてば両方インドア派で読書、音楽、テレビやyoutubeなどの動画が大好きな生粋のインドアだ。なので海なんて自主的に行ったことは一度も無いと思っている(現に海に行っている姿を見た事も聞いた事もない。自治会などのゴミ拾いとかでは行ったことはあるとは思うが)両親も僕と同じ様な考えを持ち共に「反海」を掲げてきた。しかし僕は何故海に行ってしまったのか。1つは死の耐性が切れかかってきたので、この辺りで何か「死が怖いもの」という意識を装備する為だ。このフェイズは2〜3ヶ月に数回の周期的に訪れており、その際はグロ動画を一日中見たり、あらゆる場面での死に方を想像したり、x.note.youtube等で事故で死にかけたり、自殺未遂をしたり、誰かに殺されかけたりされた人達の話を聞いて「死が怖いもの」という意識を装備するという事をやってきた。この行為をしないと突発的な希死念慮に対して抵抗出来なくなり、後悔を残して死んでしまうという最悪極まりない事になりかねないからだ。そしてこれまでしてきた「死を怖いもの」にする行為への耐性が徐々に強くなり、この行為の意味を成さなくなってきて、ここで1つ新たな「死を怖いもの」にする行為を考えないといけないと思い、海に行ったのだ。
前に話した様に(読んでない人用に説明すると、高校退学後は突発的な希死念慮を考える様になり、幾ら交通量の多い道路であっても周りを注意せず無心で歩いてるよー。という事)歩きながら、海に到着。整地されてない荒れ果てた草叢を抜けた先には午前9時の自分からしたら眠たくて眠たくて堪らない時間にも関わらず、太陽は燦々と輝きを放ち、まるで僕を海へと導いてくれたと思う程綺麗だった。僕が「死は怖いもの」と思うという訳の分からないミッションなんて一瞬で忘れる程だった。どんなに海を愛して愛してやまない奴から海の魅力を説得されてたら、即答で「海好き。」と言う程だった。そこで感じた。

僕は蠢く雲、風を全身で感じ。
燦々と輝く太陽やその環境を愛する人達が居る
海を愛そう。と。


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