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文章が書けるようになった

約一ヶ月前にこんなnoteを書いた。思考の詰まりから文章が書けなくなっていた。何も書きたくない状態。当時は脳の大半を不安に覆われていて、懐かしの脳内メーカーをやれば9割「コロナ」の要素で埋まっていただろう。

この一ヶ月で自分が何をしてきたのか?

ここ連日のnoteで触れているのは「庭いじり」「市民農園」「どうぶつの森」などをひっくるめた『用事の価値』だ。

心の軸足を作るために不可欠な動きだったと思う。例えるなら、自分の足元に「↓」の矢印を向ける行為といえばいいのかな。自分の気持ちに正直な重力を生む大切を知ることができた。

次に「↘」の矢印と表現できる時間が多々あった。

それは偉大な先輩や尊敬すべき友人の『オンライン取材』だ。前向きな責任感と強大な課題に対して打ちひしがれるような葛藤を聞いて、その言葉をひとつひとつ咀嚼する。逡巡する時間も長くなってしまい、弾むような質問を投げることはできないけれど、極限まで追い込まれた人間の思考体力にふれることができた。この体験は尊い。

曖昧な未来に甘えず、現在地をしっかり確認して踏みしめる。他者と比較することなく、創意工夫の連続で前を向く姿は格好がいい。頑張ろって思うよね。

最後は前に進む「→」この矢印。悩んでも悩んでもキリがないし、心配しても心配しきれない。わからないの権化とバカ正直に向き合わず、でも考えることは放棄せず。この諦めの覚悟をグッと懐に携えて、3年後、5年後、10年後に自分がどう在りたいのか?を突き詰めた結果が上記のプロジェクトだった。宣言直後に物件を数件見てきたフットワークの軽さが我ながら心地いい。なにせ時間はあるのだから。

漠然と自然の強い土地で、畑付きの古民家がいいな〜なんて考えていたが、物件によっての性質は地政学的な働きがあるんだなと大きな発見があった。コミュニティが武器なところもあれば、建物の色気があるところもある。単純に広大な土地と大きな山が見えるだけで夢が広がるよな〜とかとか。

人間に目標が必要とよく言うけれど、今回ばかりは立ち止まって悩んでいた時期に比べて目標のおかげで身体が動くようになっている。誰かに会って考える。目標に向けた思考を積み重ねて、言語化して誰かに伝える。この繰り返しで自分のエネルギーは生まれることに改めて気づいた。人生に意味は求めず、現在地を踏みしめて、次に進む一歩を考えて動き続ける。

矢印のコマンド「↓↘→+Aボタン(行動)」を認識した途端に、寝かしていた原稿を2時間4000字で書き上げれたし、寝る前の30分でサッとnoteを書く意識が生まれた。20代のときにブログを月50本ぐらいバカみたいに更新していた感覚に近いぞこれは。いつまで続くかわからないけれど、いきなり文章が書けるようになった波動拳みたいなコマンドを駆使して、コロナ時代の揺れ動く心を切り取っていきたいと思う。

主体的に文章を書くことで、次の文章を生むことができる。シンプルな循環に身を委ねよう。

1982年生まれ。全国47都道府県のローカル領域を編集している株式会社Huuuuの代表取締役。「ジモコロ」編集長、「Gyoppy!」監修、「Dooo」司会とかやってます。わからないことに編集で立ち向かうぞ!