美とは普遍的か相対的か

長渕剛が全力で字を書く動画がある。
書き出し一画目から大筆が柄から吹っ飛び、それを手づかみして一心不乱に字を書いていく。
そんな動画のコメント欄に何百件も返信されているコメントがあった。

内容としては
”ものを大切にしない時点で書道家失格、豪快さの中にも品位があって書は成り立つ”
という旨のものだった

それに対して、
“音楽家のパフォーマンスであって書道ではないからその批判はお門違い”
だったりの批判がついていた。(ただの煽りコメもあったが)

なんでこんなに加熱したコメ欄になってんだろうか、、、
私が思うに美というものが普遍的なものではなく相対的なものだからではないかと思う。

コメ主は書道家として長渕剛を批評している。つまり何年も積み上げられてきた日本の”道”の文化を美の根拠として批判したのに対し、批判コメントはロックの破壊的な性格や激しさを美の根拠において反論している。

そりゃ交わらないし無限にやりあえるよなと感じた。

こういう実在がはっきりしきっていない概念(善ってなんなのかとかね)に対しての論争って自分のスタンスだけはっきりしてる分、相手の理解が疎かになって無限にやりあえちゃうよなって思いました、、、理解しようとする態度が大切!

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