559 83歳の日々
(34)ささやかな証言
ある日系人老夫婦の昔話として、季評が新聞に載っていた。つらい体験を吐露したことで、私的から、同時代を生きた皆の時代の証言になったという話。
記憶が語られ、個人を超えて共同体の意識にまで到達すると。
この記事を読んで、思う事がある。最近新たに、ひ孫を得て、今どき自分から発して4代も子孫が続くことに、深い幸せ感を持っているので、つい、FBなどに、
個人的な投稿を重ねてしまうこと。
実は、娘夫婦、孫夫婦、ひ孫に関わることであり、私ひとりが自由に書き散らす
ことは、本来、ひかえねばならない。
そこは重々、わかったうえで、弁解も少し。
当世、若者男女は、未婚のもの多く、国のレベルの、当然少子化問題はすごい速度で深刻になっている。若者が家庭を作らないでいることは、老親のもとで、あるいは生活は独立していても、大人としての自立の姿と捉えるには、少し引っかかる。当たり前に、思春期を通り結婚にいたり、子どもを持って自分の家庭を作り、ようやく一人前のおとなになった世代。
成る程、時代も移り変わり、子どもを持とうが持つまいが、考え方の相違とだけ言ってしまえばそれまででもある。何も国のためなどとは言うまい。
自分の子供が次々結婚して大騒ぎしていた頃から、周りには、いわゆる適齢期を越しても親のもとにとどまる未婚の子どもたちがいる友達のすがたが結構いた。
今どきの若い人は恋愛も結婚も、願望が強くないんだねえなどと、まだ、親も呑気に構えていたが。
あれよあれよという間に、気がつけば、親も歳を重ね、すんなりすすんだ人が、ジジババになっても、母さん父さん止まりで、優雅に大人ぐらし。
早く自立してくれないかなあと、小声の本音もよく耳にするようになった。
一方孫持ちは、何かと物入り激しく、頼まれもせぬのに、あれこれ手出し口出し、そして、費用の持ち出しなど。寄ってたかって、次代の国民育てに忙しい。若者は横から騒ぎを見て、無理して結婚して大変な暮らしをするより、自分の好きなことやるのも悪くないなどと考える?
違う違う、そもそも若者たちが一家を構えたくても、収入が保障される人が少ないわけだ。一般の庶民は、一皮めくらなくても、今の若者の働きでは結婚なんて出来ないくらいの経済状態。
好きな人ができても、普通並みでは世帯すら持てず
、思い切って国をでていくかもしれない。一人の道に飛び出して、どんな未来があるのかないのか、勝算ありもないも、一か八か、やってみるとか。問題は
浮世離れしている政界の二世とか、お金を持っていても、本当の価値がわからぬ輩はさておき、多くの一般の若者たちの現状である。
やっと本題に辿り着く。
普通の女が一人、恋をして結婚して、子どもに恵まれ、貧乏所帯でも明るく強く、いつの間にか孫も増えて、後戻りできない老境に突入。
大小病気も襲ってくるし、長らく貫いてきた強気、呑気も、些か調子衰え、自信は揺らぐ。そこで子どもだ!
人の子供や孫なんて、なんにも関心がなく、自分の身内だけに関心が集中する。
自慢話に聞こえるのは本意でなく、心から嬉しく喜ばしいのは事実。沈みがちな気分も見事に、幼い笑顔一つが、この世の花!
身内の自慢話としてだけでなく、幼いものの成長の過程に添って、生き生きと笑っているのは、おとなになっている自分にも活力が与えられる共通の、喜びになりうると思う。
幼いものもすぐ、社会生活があり、それぞれの長い人生の始まりが来る。
年長者として、彼らの道のりをできうる限り、整えて明るい未来を準備する気を持ち続けなければなどと、思っている。