見出し画像

見解4『おもひでぽろぽろ』ちょっと怖い思い出を食べるタエ子の話

前回は

高畑勲監督の『おもひでぽろぽろ 』の見解コラム。全9話の第4話です。

以前『となりの山田くん』の制作中に、高畑監督がアシスタントの提案に対しとても嫌がっている映像を見た事があります。
その内容は地面に対し腕を水平に正拳突きしているキャラクターが、疲れてどんどん腕が上がってしまうという内容を、こっちの方が面白いのでは?と監督に見せたところ、監督は変化を加えるとそこに意図や意味が生まれてしまうと言い却下したという内容。
アシスタントが面白いからといって描いてしまうと、視聴者はなんで腕が上がったんだろうと思ってしまうという事です。

つまり裏を返すと必要な物だけを描き、そうでない物は描かない。変化を加えるとそこに意図と意味が生まれるという事です。

実際、実写映像の場合偶然映り込んでしまう物もありますがアニメの場合、必ず時間をかけて人が描いていく訳です。
個人的にはとても好きな考え方です。

これからお話しするのは上記の考えを持つ高畑監督が、一見ストーリーとは全く関係が無さそうな脇役たちにとても重要な意味を持たせてるというお話です。

では本題に入りましょう。

実はタエ子や高畑監督の気持ちを視聴者に代弁してくれている動物達が沢山登場して来ます。
それは何か?

それは野鳥です。

時には実際描写されている鳥囀りだけの鳥の他に、
なんと挿入歌にも登場しますがこれについては最終回のお楽しみ。

登場する鳥の種類も様々で、日本文学風俗、世界史グリム童話などの意味をそれらに吹き込んでいます。
この回を読むだけでも高畑監督の鬼才ぶりが良くわかると思います。
ではその鳥達が出てくるシーンを見ていきましょう。

①この映画のアイコニック的なシーンに、実は野鳥が登場します。

『あっ雨の日と曇りの日と晴れとどれが一番好き?』
のシーン。

タエ子が
『く…くもり』と言うとキャッチャーミットが写り、

スパン!!

『あ!おんなじだ』とその後互いに微笑む2人。

このシーン好きな方多いのではないでしょうか。

実は
『あ!おんなじだ』の後に鳥の囀りが聞こえます。

これは百舌(モズ)の囀りです。

庭先の畑でモズの鳴き声(地鳴き) Cry of shrike

モズは「早贄(はやにえ)」といって、捕らえた獲物を木の枝などに突き刺したりして保存の様に後で食べたりします。(諸説ありますが)

カエルをはやにえにするモズ

秋、初めての獲物を生け贄として捧げたという言い伝えから「モズのはやにえ」と言われます。

このエピソードが終わり現在に戻ると不思議な事が起こります。

この映画は基本的に現在の描写は出来事の起きた順に描いてあります。ですが、

『あ、おんなじだ。きゃー』のシーンは自分の家です(ちなみにカレンダーは7月)。おそらく姉妹で久しぶりに会った日の夜と思われます。

そしてその後、車内の現在「きゃー」を思い出すタエ子に戻ります。

この「思い出した事を思い出す」は7月に入って少なくとも2回思い出した事を意味します。

つまりタエ子が初恋の思い出を食べたい時に食べているのです。

この思い出をはやにえしている事を描きたい為に、完璧主義者である高畑監督はあえて1回だけ現在の時系列を崩しているのです。

いかにも高畑監督らしい演出です。

ちなみにですが、すけべ横丁のシーンでもモズの囀りが聞こえます
相合傘もはやにえして食べたい時に食べている事を意味しています。

エンディングでも相合傘が出て来てましたね。
そうなるとラストの可愛らしい相合傘の意味がだいぶ変わってきます

トシオがキュウリを食べるシーンがあります。

ここではカラスが鳴いています
カゴの中の水に浸っているキュウリをトシオがガブリと食べるシーン。
これは何を言いたいかというと、グリム寓話「カラスの水差し」のシチュエーションを指しています。
喉が渇いたカラスがくちばしの届かない水差しの水を飲むために小石を入れて水嵩を増して飲んだという話です。

これは「工夫を凝らして挑戦する事こそが大きな成功への近道となる」という教訓がこの童話には込められています。
つまり、去年は山寺だったので蔵王にするとか、事前に本家に了解を取っておくとか、そういうデートの下準備が大きな成功になるというところにかけています。

これも大野屋の『グリム風呂』の様に見解のヒントをちゃんと高畑監督はくれます。
突然グリム童話が出てくる様な事を避けるのが高畑監督のルールに思えます。

③有機農業に対しタエ子はかなり否定的な印象を持っています。トシオはタエ子の話にはほとんど合わせていますがこの有機農業の話になると自分の意見をはっきり言います

タエ子が言う
『無農薬とか低農薬とか…』に対し、トシオは『消極的な言い方じゃなくて』と少し否定したりもします。

『かっこいい農業なんです』と言っても

『はぁ…』とあまり共感を得られません。

もともと農業に入って間もない事も伝えてますし、蔵王では2回目の先輩の受け売りの話が出てきて言葉の重みも無くなり、農業の斜陽の話など、女性から見ても気が乗る話がなかなか出てこない…

最後の方でタエ子は実際に有機農業に触れるシーンがありますが

『ああ腰が痛くなっちゃった』と今まで決して言わなかった愚痴まで飛び出します。

本音が言える人になれたという見方もありますが
『有機農業ちっともかっこよくないじゃない!』とまで言います。

説明を受けても
『う”~ん』と… 気持ちがまるで乗ってない。

やはり有機農業の大変さに気付いてしまい、自分には向いていないと思っているのでしょう

このシーンでは畑のまわりをつがいのツバメが飛び回っています。

なぜツバメなのか?

日本には『聞きなし』というものがあります。

動物の鳴き声、主に鳥の囀りを人間の言葉にして覚えやすくしたもの
代表的にはウグイスの「法華経」です。

他には意味のある「聞きなし」からその動物がなぜそう鳴く様になったかという由来が語られる例があります。

その一つがツバメです。ツバメ「聞きなし」「ハーシーブイ シーブイ」、「歯、渋い渋い」です。

巣作りの為、藁や泥を咥えたのでそう鳴いていると解釈したのです。

これはまさしく上手に泥をたっぷりつけたタエ子の心境「聞きなし」に例えた演出なのです。

蔵王で歩いているシーン。よく聞くとここでも囀りが聞こえます。

トシオがタエ子に
『それ皮肉ですか?』と言っていたシーンです。

このシーンの鳥の正体は「ジュウイチ」です。

ジュウイチ(1)さえずり(都民の森) - Hodgson's hawk-cuckoo - Wild Bird - 野鳥 動画図鑑

「じゅういち」と鳴いている様に聞こえてるのでこの名前が付きましたが、

同じ理由で別名「ジヒシンチョウ」とも言われます。これもいわゆる「聞きなし」です。

お慈悲の心と書いて「慈悲心鳥」と書きます。

「慈悲」とは目下(めした)の相手に対する「憐れみ」「同情」「情けを掛ける」「可愛がって大事にする慈しみ(いつくしみ)」の気持ちを表現する場合に用いられます。

つまりタエ子は憐れみ、上からトシオの農業の話を聞いている事を意味しています

蔵王の帰り田園風景を見ながらのシーンでまたトンビが出てきます。

以前お話しした『思い出のスイッチ』の話のとおりトンビは他のタカ類に比べ残骸や死骸をあさる事から、
タカ類の中では一段低い印象がある為このようなことわざが多いのです。

「鳶(トビ)の子は鷹(タカ)にあらず」「鳶も居ずまいから鷹に見える」
「鳶が鷹を生む
」など。

見解3『おもひでぽろぽろ 』思い出のスイッチを探せ!

つまりタカとトンビは格差の象徴なのです。

トンビの鳴き声
鷹の鳴き声 Cry of a hawk

ここはタエ子がさげすんで見てしまっている田舎の話だったのでタカではなくトンビなのでしょう。絵コンテ集でも「とんびが悠然と舞う」と書いてあります。

やはりここでも田舎や農業を表面的に楽しみ、さげすんで見ている心境を強調しています。トンビはトンビらしくで良いじゃない!というニュアンスでしょう。

⑥その流れでそういったタエ子の偏見の眼差しはピークを向かえます。
「タイトル画面の意味」の話でもしましたが、「田舎とは何か?」のタエ子が抱く疑問の答えが『田舎とは自然と人間の共同作業』(防風林とか水を引っ張る小川などの田園風景は、人と自然が協調し合い作られているんだよって言う話)と答えも分かり、完全に都会と田舎の差や偏見、またこの旅の意味などで農業を表面的に見てしまっている彼女の気持ちはこの旅で一番の満足感で満たされます。

見解1『おもひでぽろぽろ』タイトル画面の意味


そんな時ヒバリの囀りが聞こえます。

ヒバリのさえずり.wmv

劇中で登場する『松尾芭蕉』にこんな句があります。

「雲雀より空にやすらふ峠哉(ひばりよりそらにやすろうとうげかな)」
という句があります。

ヒバリは揚雲雀(あげひばり)と言って天に向かって飛ぶ習性があります。

空高く舞う揚雲雀よりさらに高い峠の上で休みながら眼下(がんか)遥かに、雲雀の囀りを聞く。こんな高い所まで来たのかと驚いた様子を詠っています。

つまり田舎とは何かがやっと分かったタエ子の達成感、気持ちの高鳴り、田舎を基準とした格差での自分の位置などを表しています。

(ちなみに上の写真のシーンでヒバリが鳴くのですが、絵コンテ集によると、このシーンが後で追加されたと書いてあります。ヒバリのシーンがとても大切だと言う事です)

因みにカラスがいた夕日の丘でもカラスの鳴き声と重なってヒバリの囀りが聞こえます。
旅行の満足感、達成感に加え先程の芭蕉の句にも似たシチュエーションです。
とっても気分が良いのでしょう。
始めに登場した『松尾芭蕉』はこれらのシーンの振りにもなっていた訳です。

⑦最後に高瀬駅でのお別れのシーンでも鳥が囀ります。

ここでは雀の囀りが聞こえます。

【スズメの鳴き声】可愛い雀たちが屋根でチュンチュン(Tree Sparrow)

こんな言葉があります。


「雀百まで踊り忘れず」

これは幼い時に覚えた道楽はいつになっても直らないという例えです。

もちろんこの言葉は良い習慣には決して使いません

タエ子は
『それまでに少し勉強しとくわ、農業』と言っていますが、高畑監督からタエ子への
『悪い習慣は直っていないですよ』という言葉に聞こえます。

でも高畑監督が言うタエ子の『悪い習慣』とはなんでしょう?

実は劇中いくつかの箇所で『悪い習慣』に高畑監督がしっかりマーキングしてくれています。
お膾(おなます)のシーンは作文を褒められたタエ子と『人口膾炙じんこうかいしゃ』をかけてるわけです。(広く世間に知られて、もてはやされる事を意味します。「膾」はなますの事です)
しかしこの後残したおなますが見つかってしまいお母さんに怒られます。
実はでも雀の囀りが聞こえます。

「雀百まで踊り忘れず」です。

とても分かりやすくマーキングしてくれてます。
つまり『悪い習慣』の1つは『好き嫌い』です。

好き嫌いのエピソードは締め括りでお父さんにほっぺを叩かれた際、第2ボタンが取れてしまいます。

タエ子プロデュースの思い出ではそういった好き嫌い(わがまま)は卒業したという締めくくりの演出になっていますし、叩かれたのもその時の1回だけとあたかも自分の中では克服した様に話を進めます

現在に戻ってもカタツムリを手に乗せてここでも克服した様にタエ子は見せています。

やはりここでも分かりやすくカタツムリのシーンで当然の様に雀が鳴いています。また、絵コンテ集ではカタツムリを掴むところで「好き嫌いを克服の象徴?」とも書いてあります。やはり雀の囀りを入れる事により高畑監督は『現在も好き嫌いは克服できてないですよ』と言っています。

『悪い習慣』はまだあります。これはお気づきの方も多いと思います。

そう『見栄っぱり』です

パイナップルが美味しくないのに美味しいとか、エナメルのバッグいらないとか。
2つ目の悪い習慣はこのシーンを見ると分かります。

体育の授業を休む為に朝、お母さんが連絡帳を書いているシーンでも実はが鳴いています。
見栄を張らず外面を気にせず素直になりなさいと雀が鳴いているのです。

実はこのエピソードには隠された秘密があります。

表向きはタイトルをつけるなら

『生理のエピソード』
と言ったところでしょう。
しかし生理を迎えずして『生理のエピソード』と言うのはちょっと引っかかります。

つまり何を言いたいかといいますとこのエピソードは

『初めての生理のエピソード』

だったのです。

ん?そんな描写ありました?って思った方がほとんどだと思います。

説明していきましょう。

頑張って学校に行きクラスメイトが階段をダダダッと走って下るシーンがありますがその先頭の子だけが赤白帽が赤になっています。

つまり見解3『思い出のスイッチを探せ!』で話した「あけぼの号」の生理が始まった合図の表現と同じルールなのです。
あけぼの号の先頭車両だけ赤だったり車内で走っていた子供の先頭に赤いライトが照らされている。つまりあけぼの号の様に先頭が赤い物が走る物は生理が始まった合図を表現していると言う話です。

見解3『おもひでぽろぽろ 』思い出のスイッチを探せ!

つまりタエ子は生理前で体調が悪くなっていたのです。
生理の時は体育を休むもんだとリエちゃんに言われていたが、体育の授業がある日の朝に体調が悪くなってしまう

お母さんは朝の段階でしっかり熱はないと言っていましたが体育の授業の頃には生理前で熱が上がってしまった訳です。

そして授業の前に階段を先頭の赤い帽子を被っている男の子がドドどっと走って降りてしまう
つまり初めての生理が訪れてしまった訳です

しぶしぶの決断で体育を休む事を選んだタエ子が
『おっおかしくなんかないじゃない!』
と声を荒げた時に頭に血が上り貧血で目が眩むシーンがしっくりきます。

つまり、お母さんにワガママを言ったり本音を言わず見栄を張って、外面を気にしすぎるタエ子に対して雀がチュンチュンと
『雀百まで踊り忘れずだよ』と鳴いているのです。

そもそもなんで鳥が?
その答えはこの映画の骨組みになる重要なポイントですが、最終回にちゃんと説明しますのでご安心を!

ちなみにですがタエ子のせっかくの旅行はあけぼの号からのほとんどを生理で迎えている事になりますが、ちゃんと生理の終わりも高畑監督は描いています。

それはこの旅の終盤に差し掛かるあたりの蔵王の帰りで、田舎の風景について語るシーンです。

この『田舎とは人間と自然の共同作業』のシーンで男の子達がドドドッと走るシーンがありますが、今までのあけぼのルールとは逆に一番後ろの子が赤い帽子を被っています。
ジブリ映画でよく出てくる橋は2つの世界の架け橋という宗教的な表現を良くしますが、この橋は生理中と生理後を表現しています。
このタイミングで生理が終わり有機農業、ドンガバチョ、トシオの車のシーンと続いていきます。
そうなるとトシオの車のシーンの後やタエ子が引き返した後の考察にも遊びが出てきますね。

高畑監督の恐ろしさが伺えます。

次回は 〜この映画で流れる挿入歌の秘密について紐解いていきます。

よろしければサポートよろしくお願いいたします! いただいたサポートはクリエイターとしての活動費として使わさせていただきます!