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見解2『おもひでぽろぽろ』 タエ子は源氏物語がモデルだった!

前回は 

第2回の今回は岡島タエ子について見ていきましょう!

昭和31年2月22日生まれ(27歳、10歳)の東京都生まれの東京育ち、三姉妹の末っ子で都内で新聞社の企画部に務めている。
この映画の主人公です。

タエ子の周りで起きた描かれていない出来事をあげてみましょう。

・ナナコとミツオの結婚式に参加
 (ナナコがビートルズの話をしている電話の相手はミツオと思われます)

・1年前に田舎で稲刈りを手伝っている。
 (この時にトシオはタエ子を見ています)

・最近姉妹で集まり思い出話で盛り上がった。
 (初恋のエピソードをベッドで思い出しているシーン
 『あ、おんなじだ、、、キャ〜』は同日の夜だと思われます)

・お見合いを断わった。

次はタエ子の性格をいくつか挙げて見ました。
良いところも沢山ありますが、あえて悪い所をあげました。
それでは比較して見ましょう。

<現在のタエ子>
・田舎に憧れている。
・人をさげすんで見てしまう。
・外面を気にする。
・したたか。
・思い出や空想、妄想(思い出の美化や理想)に耽けるのが好き。
・演劇や少女漫画の様な少女思考がある。
・好き嫌いがある。
・自分の話をするのが好き。
・お上りさん(下ってますが)。
・見栄っ張り。

<小5のタエ子>
・田舎に憧れている。
・人をさげすんで見てしまう。
・外面を気にする。
・したたか。
・思い出や空想、妄想(思い出の美化や理想)に耽けるのが好き。
・演劇や少女漫画の様な少女思考がある。・好き嫌いがある。
・お上りさん。
・見栄っ張り。

比べて見るとほとんどが変わっていません。
つまり、子供の頃と大人のタエ子はあまり変わっていないのです。言い方を変えるなら大人になり切れていない訳です。

ではどういったところがそう見えるのか見ていきましょう。

岡島タエ子のとは?

①出発前のナナ子姉さんとの電話での会話のシーンでは

『しっかり田舎の気分ば味わってくるっす!』と方言口調 & 笑い。
これは本家の前では言いにくい言葉です。

②山形駅でトシオと出逢った時のシーンでは

『私、また、ヒッタクリかと思っちゃって』
このシーンの前にトシオは待ち合い席で無造作に置いてある荷物につまずきます。

その後、タエ子は信用できない男には荷物を持たせられないと、言わんばかりの行動をとります。東京駅と山形駅の2つのシーンで高畑監督は田舎人のトシオと都会人のタエ子の治安面の認識の差を比較させています

ただ、東京駅のシーンでは荷物番をしている女の子が描かれていますが、そこそこ荷物を置いていますし、まるで海外の様に少し大げさにしてしまうのがタエ子の悪い所でしょう。
ちなみに時計は3時45分を指していて、トシオは相当早起きして向かえに行ってます。そういったところにも少し配慮があっても良かったかと思います。

③プーマのくだりのシーンでは

『こんな話して安心されたんじゃ、お母さんに申し訳が立たねっ』と方言口調で笑いを誘います。とうとう本家の前で言ってしまいます。まあ、相手は子供ですけど、、、さらに、

『私プーマの靴諦める』とナオコ。
『えらい!じゃあ、、、お小遣いを奮発しちゃおっかな』『やったね』と2人で笑います。
そして謎のE.T.を誘発します。そもそも、4,000円のプーマを我慢させているのに、諦める決意を固めたナオコに対しお小遣いを奮発したらプーマが買えてしまいます。

でもなぜE.T.なのか。

このシーンはまずナオコが口に手をあて、耳打ちの動作をし、タエ子がそれに気づき耳を傾ける。

その後、今度はタエ子が指を差し出しナオコが気付き指を出す。

これ、息がぴったりです

ここは田舎の人と都会の人が初めて分かり合えた瞬間をE.T.のシーンに見立てたのです。実はとても大事なシーンでE.T.を誘発させたタエ子は田舎の農業の人を、『別の世界の人』と言う認識だとこのシーンが伝えています。しかも左右が逆ですがE.T.役がタエ子になってしまっているのが、この映画の基本的な見方になります。
タエ子はこの段階で田舎の現状や抱える社会問題などは自分とは全く関係ない話と思っている事を意味します。
つまり言い方を変えると、この時点では農家に嫁ぐ事など全く考えていないという事です。

④蔵王で歩きながらトシオとタエ子が会話しているシーンでは

『それより私なんか、いいところにお勤めですね、なんて言われるんだけどに別にのめりこめるような仕事じゃないし、トシオさんが自分の仕事っていうか、農業のことに夢中になってるの、とっても感心しちゃう』
『アハハ、それ皮肉ですか?』
『えっまさか、あんまりいないのよね、そういう人』

自慢から始まり「自分の仕事」を言い直して「農業の事」に変えたのも失礼です。全体的に農業が斜陽だと感じているトシオにはキツい言葉ですね。

紅花積みの時の
『一生唇に紅を刺す事のなかった娘達の華やかな京女に対する恨みの声が聞こえてくる様だった』と言うタエ子のナレーションは少し映画から浮いてしまうくらいの素晴らしい文章です。
タエ子の思い(ナレーション)はラストの車中でもトシオについて語っていますがとてもクオリティーが高いのです。
国語の成績は良かったですし、作文も褒められていました。学芸会の際は演技に情緒を加え、日大のお兄さんから演劇のお誘いも貰っていました。
つまり目に見えたタエ子の長所であり、タエ子が『めりこめるような仕事じゃない』と思っているとはどうも思えません。
「自分の仕事」「農業の事」言い直さずにトシオの仕事に対する情熱のみを語ればとてもいい流れなのですが、映画を通して、また自分の仕事と比較する事により少し鼻のつく言い方になってしまうタエ子の空気の読めなさが顔を覗かせてしまったシーンです。

⑤蔵王の帰り道の田園風景のシーンでは

『あーやっぱりこれが田舎なのね。本物の田舎。蔵王は違う』

田舎を連発しさらに蔵王デートの企画を全否定しています。
『うーん、、、田舎かぁ』とトシオ。
『あっごめんなさい、田舎田舎って』

失礼なのはわかっているのに口に出してしまう。
そしてデート全否定には気づいていません。

⑥カラスがいた夕日の丘のシーンでは

『いいなぁ、、、』っとタエ子。変な間もありますし、もう「田舎」と言うのをこらえているふうにしか聞こえません(笑)

『あっカラスがお家へ帰っていくわ!』
『一羽!!』
『あー、やっと本物の村でこれが言えたわ』

確かに" 村の子1"役ですが、"田舎"はもう言えないから"村"にしましたみたいになってます(笑)

このシーンで過疎化の話を引き出してしまったり、
トシオが言う
『あぎらめてからもオレより出来の悪かったやつ帰省してきて 東京風吹かしたりされるどやっぱりくやしくてね』の時には自分の事も言われてるのかハッとした表情をしています。
その後お父さんの事を言ってると分かり安心も含めた様な軽い会釈をしています。

また、ナオ子がE.T.のくだりで
『あたし プーマの靴あきらめる』といっています。
そもそも「プーマ」とは何を示しているのでしょうか?
高畑監督は劇中で多くのヒントを残しています。こう言ったキーワードを繋げていくと多くの事柄が浮かび上がります。
「プーマ」のヒント、それは「ベトナム」です。

このキーワードは学級会のツネコの話とお父さんが読んでいる新聞に2回も出てきます。「ベトナム」「プーマ」と言えばベトナム戦争に巻き込まれていったラオスの王族、政治家、中立派の指導者でもあり、ラオス王国において数度にわたり首相を務めた「スワンナ・プーマ」です。

豊かな自然など都市にない特性に魅力を感じる人が増えている現在に比べ、
この時代は都会に行きたい若者が増え高齢化が進む、いわゆる過疎化が深刻だった時代です
つまりナオ子も同様の気持ちがあったと思われます。
後ほど説明しますが実際ミツオも東京の人になってしまいました。

つまり、この本家は跡継ぎ問題人手不足に直面しているのです。

ただでさえナナ子の結婚でミツオを取られてしまったのに、ナオ子に変な気を植え付けられてはたまったもんじゃありません

『プーマ諦める』は中立な立場をやめる。つまりいつの日か上京する事を決意したという意味でしょう。

ドンガバチョのシーンではナオ子からタエ子の手を取るシーンが描かれています。完全に引き込まれてしまったという事がわかります。つまりこういった事は本家にとって一番嫌な事かもしれません
このシーンの比較として、タエ子の部屋には去年行った山形の写真が飾っていました。

その写真を見るとタエ子がナオ子を引き寄せる様に肩組みしていますが、ナオ子はタエ子と逆に体を傾けています。
つまりナオ子が去年の段階ではまだ引き込まれていない事が描かれています。
逆に過疎化問題に頭を抱えるおばあちゃんとキヨ子を見るとタエ子に体を寄せているので2人のタエ子に対する歓迎度合いがとても分かりやすく描かれています。

⑦家を飛び出したタエ子がトシオに阿部くんの話をするシーンでは
アベ君に対して表面的にいい子ぶっていた自分を、問題を抱える田舎に対して浮かれていた自分に重ねてしまっています。

さて、次はタエ子のお上りさんなところを少しだけあげてみましょう!
本来お上りさんとは田舎から都会に行く人を言いますが、シチュエーションは全く逆ですが意味は全く同じなのでお上りさんと言わせていただきます。ではタエ子のお上りさん具合を見ていきましょう。

①山形に向かう途中電車の中でタエ子はモンペにはきかえています。

ちなみにモンペの語源は不明が多く明治から昭和の風俗史家である宮本勢助(みやもとせいすけ)の
「山袴の話」(1937年)において山形または米沢の人物、または紋平などという人物が始めたなどの珍説がありますが、通俗語源説の域を出ないと有力視はされていないが、こういう事を調べてモンペを履いているかもしれません。

山形駅に着き改札を出る際、上半身はボーダー、下半身はモンペをはいている奇抜なファッションの女性を駅員さんは不思議そうに見ています。

また、本家に着くや否や、モンペを披露し

『いやぁ、いまどきのここらの若妻でもメッタくてはがね、タエ子さんの方がよっぽど本格的だぁ』
『んだんだ』
『タエ子さん』
写真撮られる。
『こらぁ!』びっくりするふりして本当に転ぶトシオ。
『うわっうわぁ』みんな笑う。

これは相当恥ずかしい流れですし、実際こっちの若い人はモンペ履かないって言われてます。

『染まれー染まれ』
は紅花摘み唄ですが、これもタエ子発信ですね。

自分で調べているか、もしくは教えてもらっているかのどちらかです。
実際これが悪い事とは全く思いませんが、家を飛び出した時こういう小さな一つ一つの浮かれた気持ちが次の③に繋がっていると思います。

③最後におばあちゃんがトシオと一緒になってくれないかと言われ、外に飛び出してしまったタエ子は、これまで述べてきた事などに対して
『いたたまれなかった』と反省しています。

これがこの映画で描かれている岡島タエ子という女性です。
少しタエ子に対して厳しいまとめになりましたが、これをベースに話を見ていくと、この映画がかなり違った印象になります。


では上記を参考に、気になるタイトルの本題に入りましょう。

タイトルは『タエ子は源氏物語がモデルだった!』でしたね。

この話のキーポイントは『紅花』です。

紅花呉藍(くれのあい)末摘花(すえつむはな)とも呼ばれます。

『末摘花(すえつむはな)』と言えば高畑監督が大好きなあの物語、

そう、『源氏物語』です。

源氏物語には『末摘花(すえつむはな)』という女性が登場します。

鼻の先が紅花の様に赤くなっている事から、源氏がこの女性に付けたあだ名です。美男美女ぞろいの源氏物語の中では異色の不美人として書かれています。
大事に育てられ、おとなしく実直ではあるが頑固な令嬢。

世間知らずの面があり、極端に古風な教育を受けた為、昔気質で気の利かない性格で、この時代にしては古く奇抜なファッションだったそうです。

このように一見家柄以外に取柄のない彼女ですが、頑迷さは純真な心の裏返しであり、源氏に忘れられていた間も一途に彼を信じて待ち続けました。
結果、それに感動した源氏によりその後二条東院に引き取られ、妻の一人として晩年を平穏に過した女性です。

これは、正しくタエ子の性格のベースそのものに見えます。

高畑監督の映画設定のせいで、しっかりとほうれい線を描かれてしまいタエ子役を演じた今井美樹さんも『かわいくないのよー』と言っていました。
この時、脇にいた高畑監督はとても嬉しそうでした。
主人公のほうれい線を描くなんて事はアニメーターでもない私ですら、アニメのタブーである事は分かります。

『演劇や芸能界なんてダメだ!』と言っていたお父さんには特に『大事に育てられ』

有機農業を認めない性格は正に『実直だが頑固』です。

裸足で外に飛び出してお父さんに叩かれた、『極端に古風な教育』

田舎発言を連発する、『気が利かない性格』

紅花摘みの際のボーダーにモンペは正に『昔気質で奇抜なファッション』です。

『頑迷さは純真な心の裏返し』
この旅をやり終えたタエ子に声を掛けてあげたい言葉です



つまりタエ子のモデルは源氏物語に登場する


『末摘花(すえつむはな)』だったのです。


宮崎駿監督は似た様なコンセプトを作品ごとに洗練されていくイメージで、
逆に高畑勲監督は作品ごとに新しい事にチャレンジしていくイメージでした。
この想いは今も変わらないのですが、
『かぐや姫の物語』と、この『おもひでぽろぽろ』を比べると、意外と似た部分もありますし、
対照的に思えた両監督にも、意外と似た一面があるのだなと思えました。
(ほんと一部ですけどw)


次回はタエ子が小学校5年生を思い出すきっかけに迫っていきたいと思います。


次回は

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