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見解8『おもひでぽろぽろ』夢見る母と子の末路は?

前回は〜見解7『おもひでぽろぽろ』タエ子を引き戻した本当の理由は車中で...〜でした。


前回はとてもロマンティックな話でしたね!
トシオ本当に素敵でした!
今回はこの映画の核芯に迫りたいと思います。
田舎のおばあちゃんがタエ子にトシオの嫁に来てくれと言うシーンで、ナナ子の旦那さんであるミツオが、
『東京の人になってしまったから代わりに』という言い方をしています。

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また、映画の冒頭で現在のナナコとタエ子が電話するシーンでは
もしもし岡島ですが』と名前が変わっていない事が確認できます。

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この2つの事から三姉妹なので、おそらく婿養子としてミツオを迎えたのでしょう

過疎化が社会問題になっていたこの時代、本家としてはミツオを取られてしまった事はやはり深刻な問題だったと思われます。いわゆる人手不足跡取り問題です。

そんな状況の中、長男がいない岡島家の婿養子にさせたのはやはり頑固なお父さんの力だと言えます。

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そんな厳格な父かと思えばタエ子にはちょっと甘いところもあり、言うならば固いけど地雷さえ踏まなければ物静かなお父さんと言ったところでしょう。


しかしお母さんにはちょっと厳しそうな印象があります。

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ではそんなお父さんと一緒になったお母さんはどんな人だったのでしょう。
とても綺麗な印象ですが、お母さんには、ほうれい線がありません。


お母さんだけではなく思い出の中の人にはほうれい線が無いのです


これはタエ子が持つ理想の形で、

思い出の美化や妄想、現実逃避、他人から見た外面の良さなどが、人間の外側だけを形にしているという事を意味しています。

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実際、顔の皮膚にはほうれい線やシワがあり、更にその下には筋肉がある現実ではそういった内面的や外面的な現実もしっかり描く事をこの映画では表現しています。

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現在のタエ子は先ほどの電話のシーンでも、猫に微笑んだり、鏡で笑顔の練習をしたりして外面を気にしているのが分かります。

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話が少しそれますが『あ、おんなじだ!』のシーンでは
倍賞千恵子が流れます。

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倍賞千恵子 おはなはんの歌 (高音質 ステレオ )


おはなはん の歌詞で

『だれにも優しく愛に生きる人 胸に抱いた望みを育てて』とあります。

少女漫画の様な夢を抱く昔のタエ子と、それを今もはやにえしているタエ子そのままです。

見解4『おもひでぽろぽろ』ちょっと怖い思い出を食べるタエ子の話

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タエ子はヘアピンや服、エナメルのバックなど花柄の服を好んで着ています
(ちなみにこの時の服はパイナップルを連想させる服を着ています。熟れてないパイナップルを美味しくないのに美味しいと見栄を張るタエ子が、エナメルのバックでまた同じあやまちをします)

つまりこの曲のタイトル『おはなはん』はタエ子の事を指しています。

実はお母さんも花柄を選んでよく着ています

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特に11月中旬あたりは控え目だった花柄がとても大きくなります。

お母さんもおはなはんという事なのでしょうか?


11月中旬に何があったのでしょうか


この頃タエ子は日大のお兄さんから舞台のお誘いをもらいます。基本的にはお母さんが対応していますがこの時のお母さんはいつもと違う気がします。お兄さんが来た後の台所のシーン。

お母さん、よろしくお願いしますって頭さげられちゃったわ』からです。
主語がお母さんになっていて

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まるで恋をしているかの様な顔をしています。

この後しばらくとても楽しそうに見えるお母さんですが、お父さんにだめだ!と言われた後の皿洗いのシーンはタエ子より悲しそうです。

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ここまでだと、ただ自分の事の様に娘の事を喜んでそして悲しんでいるだけにも思えます。
しかし、日大のお兄さんにお断りするシーンのお母さんはひとりの女性になってしまっています。

『そんなにお時間とらせませんから』と学生が言います。

『ええ…  でも…』

『ぜひお願いします』 と学生。

『本人が…  恥ずかしがって…』

変な間を作ってます。

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『何度も足を運んで下さったのに』このセリフだけ口調が戻ります。ここだけ話しているお母さんが映っているシーンです。これは高畑監督がよくやる表現方法で実際お母さんが写っている時は悟られない様にシラをきります。描いてしまうと気付かれてしまうからです。
前話でお話しした車中でトシオとタエ子が手を握る説明をしましたが握る描写はしていません。

見解7『おもひでぽろぽろ』タエ子を引き戻した本当の理由は車中で、 、 、

お母さんが言うように、この日大のお兄さんとは何回もお母さんと会っています。お父さんが反対しなかったら送り向かいの度に会えていた訳です。
その時の曲がひょっこりひょうたん島の「プアボーイ」です。
歌詞の
『可哀想な...』はミスリードで、むしろ
『プアボーイ、プアボーイ、うちから遠くはなれて 』
どうやらお母さんが密かに意識していた日大のお兄さんの事を指している様です

プアボーイ ひょうたん島

商店街のシーンも、タエ子同様肩を落として悲しんでいます。

ちょっとタエ子に意地悪するのも失恋からでしょうか。

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この時の2人が下を向いて歩くシーンは明らかに2人を同じにように見せています。

お母さんは、この学生に対して、思い、愛しみ(いとしみ)、憂い(うれい)、悲しんだ訳です。

ただ、タエ子はおそらく自分の事で精一杯なのか、そんなお母さんの気持ちに気づいていません

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あくまでもタエ子プロデュースの思い出なのでお母さんの顔の火照りには色がなく、斜線で終わらせています

逆にタエ子や広田君の恥ずかしい時の火照り具合や、また風邪のシーンなどは顔が火照っていましたが校庭のシーンでは少し赤みがなくなったりと体温の変化などを細かく伝えています。

そういったタエ子目線がお母さんの心情を少し分かりにくくしていた原因と思われます。

つまり
お母さんもタエ子同様『おはなはん』なのです。

お母さんとタエ子の親子を強調するシーン
この商店街を2人で歩くシーン、

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2人並んで美味しくないパイナップルを頑張って食べるシーン。
花柄の服など

2人が同じくくりである事を強調しています。

更にもっと広いくくりで言えば岡島家の女性を見ると、

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おばあちゃんは倍賞美津子が松竹歌劇団(SKD)だと知っていましたし、タエ子も高校で演劇部に入っています。
タエ子の学芸会お母さんヤエ子が観に行きました。

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ヤエ子宝塚のファンなど
演劇に対してかなりのめり込んでいたおはなはん家族である事が分かります。

この映画で雀の意味は『雀百まで踊り忘れず』を意味してると説明しました。

見解4『おもひでぽろぽろ』ちょっと怖い思い出を食べるタエ子の話

『村の子1』のエピソードでナナコ姉さんは舌切りスズメのおじいさん役という事なので、『雀百まで踊り忘れず』を克服し立派な大人になったという事でしょう。

その証拠に、過疎化とは全く関係ない東京の学校に通うナナコ姉さんが、おじいさん役っておかしいですもんね。必ず男の子が演じるはずです。

カラスの鳴く丘で過疎化に直面しているナオコ
『大役ばっかり』と言ってい他のはここの振りだと思われます。

雀の話はこの辺にして、お母さんは商店街を2人で歩くシーンを観てもわかる様にお母さんとタエ子の歩く速さにひらきが出るように描かれています

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つまりお母さんも克服に向かって歩き出している事を意味しています。
(映画の冒頭でナナ子姉さんとの電話の中で夜にも関わらずお母さんは外出中と言っています。大分、お父さんの厳しさが緩和されている印象です。あんなに反対していた演劇もタエ子が高校の時には部活を許していますし。ただし父さんがご健在ならの話ですが、、、)

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初恋の広田君が先回りして現れた時も冷静な顔をして、右側から大きく曲がり広田君の前を通って左に曲がります

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本当に恥ずかしいなら左側の角から最短距離で曲がります。これは声をかけてもらいたい、したたかな気持ちがそうさせたと思われます。

今でもこの
『あ、おんなじだ』の思い出をはやにえし、アベ君とのお別れのシーンでもタエ子は夢の世界の象徴ともとれるマーガレットを持っています。

見解4『おもひでぽろぽろ』ちょっと怖い思い出を食べるタエ子の話

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つまりお父さんとナナコ以外は「SKD」「宝塚」「マーガレット」「演劇」の様な夢の様な恋に憧れている夢の世界の住人なのです。
ナナコが電話の時に言う『いつまでもルンルン気分』なのです。

久しぶりに姉妹で集まり思い出話をした。
その夜ベットの中で
『あ、おんなじだ』のエピソードを思い出す。

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ananで旅行用の服を探し山形の旅行を決め、
その後お見合いを断って、休暇届を提出した
これ全て7月に入ってからの話です。

ひょっとしたら今までのタエ子の性格を考えると去年山形に行った時トシオを含めた若い連中がドヤドヤって顔出したのも覚えていたかもしれませんし、
このお見合いの人よりかはドヤドヤの中にという様な期待があったかも知れません(この話は後ほど)

つまりタエ子は思い出依存症恋愛潔癖症と言ったところでしょう。

マーガレットの様な恋愛の理想とは違う現実に苦しみ、会ってる時より会っていない時、つまり思い出に浸ってそむいている方が自分の理想に会えるのです。

『泣くのは嫌だ笑っちゃお… か…』『えへー俺も見てたんですよ、とトシオが言うシーンがあります。

ひょっこりひょうたん島テーマソング

これはタエ子が「村の子1」のエピソードをトシオとナオコにする際、
ひょうたん島の歌も説明していた事を意味しています。

このひょうたん島を歌うシーンでは同番組のイントロの虹やタコなどが演出されています。コケコケコケッコッコーの「コケッコソング」も同様です。

「コケッコソング」ひょうたん島

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初恋のエピソードでは空を飛んだり少女漫画の顔になったりもします。


これらの演出は全て現在のタエ子がしているのです。
つまり観る時に注意しなくてはいけないのは

過去のシーンはあくまでも全てタエ子の思い出の記憶やイメージだと言う事です。

空を飛ぶ訳もなければ、ひょっこりひょうたん島を歌いながら歩いてお母さんが注意しないはずもありません。なんなら広田君もあんなにカッコよくなかったかもしれませんw

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広田君は完全にタエ子プロデュースの思い出で過剰にアイドル化している可能性はかなり高いと思います。
というのも広田君が大活躍したクラス対抗の試合のスコアは5-3で広田君率いる4組が勝っていますが、高畑監督は意地悪をしてツネコにこんな事を言わせてます。

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『だって折角殿村君が取ったのにスーがエラーしたからでしょ、3点取られたのは!』
そう、スー君がエラーしてなかったら2-3で殿村率いる5組が勝っていたのです。
広田君が野球が上手だった事は間違い無いですが、
まぁ、恋は盲目と言いますからね。
タエ子の気持ちはとても分かります!

それにしても高畑監督意地悪ですね。

ちょっと脱線しました。
つまり昔も今も変わらずタエ子の中には少女思考がしっかりと根付いてしまっている訳です。

この作品で何回かが出てきます。はどんな意味があるのでしょうか?
タエ子があけぼの号でこう言っています。

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『青虫はサナギにならなければ蝶々にはなれない…
サナギになんかちっともなりたいと思ってないのに…
あの頃をしきりに思い出すのは私にサナギの季節が
再びめぐって来たからなのだろうか…』
<省略>
『“自分をふりかえって”
“もう一度はばたきなおしてごらん”
そう私に教えるためなのだろうか…』

『もう一度はばたきなおしてごらん』と言う事は小学5年生の時に蝶になれた事を意味します。

結論から言いますと『蝶の状態』とは『心体共に恋ができる状態』を指しています
『心』は色々な短所を克服し素直に人を愛せる状態
を意味していて、『体』は生理を経験している女性を意味しています。
つまりこの電車乗車中のタエ子は大人ですので『体』の条件は整っています『心』の準備ができていない訳です。

逆に言えば「サナギの状態」はその準備段階を指している事になります。

なぜこの見解に至ったかは、蝶が登場するシーンを紐解く事で解る事ができます。

簡単に言えば蝶がひらひらと飛べば恋ができる状態になる訳です。

1つはラストのシーンで引き返しトシオに会う決意をした時に蝶が飛びますが、これが『心』の色々な短所を克服し素直に人を愛せる状態を意味している事はわかります。実際トシオに逢いたいと思った訳ですし。
しかしこれは一旦置いておきましょう。

もう1つがこの見解の大きな手掛かりとなります。

そう『体』の説明です。

実は『生理のエピソード』でのタエ子とリエちゃんの服に秘密が隠されています。
以前もお話ししましたがこのエピソード中にタエ子は初めての生理を経験します。
(体育の授業直前に経験します)

見解4『おもひでぽろぽろ』ちょっと怖い思い出を食べるタエ子の話

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焼却炉までタエ子とリエちゃんのサスペンダーはアルファベットの『Y』『X』になっています。

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(写真分かりにくいですが右の木の辺りに蝶が飛んでいます)

2人の後ろ姿は常に『YX』となっていますがゴミを捨てた後、初めて2人の立ち位置が変わりその瞬間、分かりやすく蝶がクロスオーバーします。

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するとここで初めて2人の後ろ姿は『XY』となります。

つまり人間が持つ男性の性染色体『XY』を表しています。

この事から「蝶」男性を受け入れる状態、つまり
「心体共に恋ができる状態」を蝶が指している事を分かりやすく説明してくれています。(余談ですが自分で想像した蝶はアゲハチョウで実際出てくる蝶はモンシロチョウだったりするのも少し乙女で面白い)

実はもう1ヶ所あるのです。

前の2ヶ所から逆算するともう1つのシーンは

この映画の表面的内容を根本的に大きく覆すものとなります。


言い方を変えるなら

高畑監督が視聴者をミスリードさせる素晴らしい一手を指しています。

それが、

タエ子が本家に着いてすぐ紅花を手伝うシーンです

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紅花をタエ子が積んでるシーンにもモンシロチョウがひらひらと舞うのです。

つまり、

『電車の中でモンペに履き替え、山形駅に着き、車で送ってもらい本家に着き、紅花を摘む。そして蝶がひらひらと舞ったので心体共に準備が整った』
と言う意味になってしまいます。

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そして朝日が立ち昇りお日様に手を合わすおばあちゃんを見て
タエ子も手を合わせます。


この流れだと残念ながらこう言う意味になってしまいます。


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『少女漫画の様な運命の人と出会えます様に...』

つまり先ほど言った
『このお見合いの人よりかはドヤドヤの中にという様な期待があったかも知れません』という事が現実的になってしまいます。

旅の目的を根本的に覆す最高の一手に見えます。
つまり実際はこの旅の目的の一つが男探しで姉のナナ子と同じように、田舎出身の男性と東京で暮らす青写真があったかもしれません。。。

あまりそうは思いたくないですが、残念ながらこの旅の目的が男探しである事を証明する動かぬ証拠もちゃんとあります。
以前話した通りタカとトンビは格差の象徴だとお話ししました。

見解4『おもひでぽろぽろ』ちょっと怖い思い出を食べるタエ子の話


蔵王でのシーンでお伝えした通りトシオとタエ子(小学5年当時)はトンビ(格下)に分類されていました
しかしタエ子は田舎に来てから何かとタカの様に上から物を言っています
別の蔵王のシーンで鳴く慈悲心鳥とも呼ばれるジュウイチの囀りから読み取ると、やはりトシオに御慈悲を与えています。
つまり上から下の人に物を言っています

このお祈りするシーンで流れているBGM。
『マルカ モマ ドヴォリ メテ』ブルガリア女声合唱団

『マルカ モマ ドヴォリ メテ』ブルガリア女声合唱団

歌詞を翻訳すると以下の通り。

『彼女は神に祈りを捧げる。
神よ、私に鳩の目をください。
愛すべき人を見つけられるように...
神よ、私にタカの翼をください。
ドナウ川を越えられるように...
そして神は彼女に目と翼を与えた
そして彼女は愛すべき人を見つけた。』

バッチリです。
タエ子はこの瞬間から格上になり、神が言う愛すべき人、トシオを見極める目を与えられたと言っています。

ちなみに平成3年8月10日発行のアニメージュ特別編集ガイドブックにはこの曲の説明として『本当の幸せがわからないから、乙女は結婚に気が進まないという歌』と説明しています。

つまりこれが本家を飛び出したタエ子が言う、『居た堪れない理由』の一つでしょう。

高畑勲恐るべし、、、

話を戻します。

行きのあけぼのの車中で5組の子達が走るシーンがあります。

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これも現代のタエ子が演出している訳ですが現実世界にも思い出が溢れてしまっています。

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「好き嫌いの克服」エピソードを思い出すシーンでも実際振り返っていますし
アベ君のシーンでは悲劇のヒロインといったところでしょうか

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やはり振り返ってびっくりし、消えてしまうアベ君に対し『アベ君!』と声までかけてしまっています

現実と思い出につながる橋の真ん中でタエ子は現実から来るトシオに声をかけてもらい正気に戻ります。

ではラストのクラスメイトが出てくるラストのシーンはどうでしょう。

『ええ、それまでに少し勉強しとくわ、農業』とトシオと上手くいく可能性は50/50な感じにとれます。

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高畑勲が大っ嫌いな、お涙頂戴を回避する為に汗だくのおじいちゃんを投入します。

思った様なお別れが出来ず座ってトシオの事を思います

おじいちゃんの音楽、

都はるみの『好きになった人』

都はるみ - 好きになった人

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前回説明したとおり前日、車中でタエ子の手を握ったトシオは、タエ子が思う『夢の様な恋愛』に該当する勇気ある行動でした。

見解7『おもひでぽろぽろ』タエ子を引き戻した本当の理由は車中で、 、 、

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すると先ほど説明した蝶がひらひら

『胡蝶の夢』と言ったところでしょうか。
タエ子は心体共に恋愛ができる蝶の状態になった訳です。

タエ子の演出により思い出がまた溢れて子供達が出てきます

戻る決意をして、タエ子的には思い出にとどまる事なく現実に戻り大きな一歩を踏み出します

しかし実際には子供達が演出している限り、タエ子は思い出から抜け出せていない訳です。『おはなはん』『好き嫌い』『見栄っ張り』『外面を気にする』『思い出依存症』これらの克服は第三者から見たところ、克服とは程遠いと思えます。
つまり大人になり切れていない訳なのです。

そんな事とは裏腹に子供達は大喜びです。タエ子の頭の中で想像が膨らみ、高瀬駅に戻り電話をし、バスに乗りトシオに逢います。

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すけべ横丁の相合い傘の思い出も以前説明した通りはやにえしています。(何度も思い耽る)

見解4『おもひでぽろぽろ』ちょっと怖い思い出を食べるタエ子の話

子供達はとっても楽しそうです。

しかしトシオの愛車R-2に乗ると現実のトシオに会ってしまったので思い出依存症と恋愛潔癖症が出てしまい気持ちが萎えてしまう

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タエ子は会っていない想像と理想の世界の方が楽しいのです

有機農業の厳しさなどがまた脳裏を過ぎる訳です。

そして子供のタエ子と子供達があの表情になってしまった訳です

「理想と現実」、「表面と内側」の葛藤がラストの子供達を振り回し、あの表情を作ったのです

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映画のオープニングのハーフミラーのビルは内側が見えません。
中ではガチャガチャと大勢の人が働いています。過疎化や跡取り問題、人手不足などに直面している本家を、タエ子の表面的で軽い気持ちや感情がかき乱してしまう。

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実際手伝いと言っても簡単にすぐ出来る様な簡単な仕事ではないのでそれなりに迷惑をかけていると思います

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紅花染めの際、雨が降ってきた時の手際の悪さや、紅花摘みはお世辞にも早いとは言えません。

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乳搾りのシーンでは牛の表情を見て上手にできるか心配そうにカズオが見ています。

また映画でタバコを吸うシーンが4回劇中で出てきます。

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1つはパイナップルで面子を潰されたお父さん

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1つは駄々をこねるタエ子に対して玄関先でもお父さんが吸っています。

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もう1つはタエ子を橋の上で拾い何かあったのか2回聞いたのにも関わらず、終始アベ君の話を続けるタエ子にたまらずトシオが車内で吸います。

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前例3つを見るとこの映画ではタバコはイライラの象徴に見えます。
最後の4つ目が本家のラストでカズオが吸っています。

見た目ではイライラが分かりませんが、先ほどの『蝶がひらひら』の時の様に逆算すると、最後の日の段階で早く通常作業に戻りたいと思っているのか
人手不足や跡取り問題の解決法としてトシオとタエ子を取り持っていたのか
ひょっとしたらタエ子の影響でナオコに私も東京に行きたいとでも言われたのでしょうか?
やはり個人的には2つ目の人手不足や跡取り問題ではないかと思います。
山形駅にカズオが行く予定だったのが急にトシオになったのがその理由です。

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タエ子とトシオが蔵王に行く時なぜナオコは一緒に行かなかったのでしょう?
トシオが蔵王に誘う時のナオコの仕草は2人を取り持つ様な仕草でした。
なぜか?
タエ子はナナ子との電話でナオコだけにお菓子を買う様、事付けされています
実際、東京駅でタエ子が泉屋のお菓子を買うところを必要なシーンとして高畑監督はしっかり描いています。つまりナオコはナナ子に2人を取り持つ様頼まれているかもしれません

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タエ子が高瀬に着いた時の本家の表情はちょっと怖く、何か緊張感すら感じます。

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家族総出で取り持とうとしていたんじゃないかとも思います。

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村の人たちも同じ手法で表現してますし、
村総出の可能性も感じます。

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見解2『おもひでぽろぽろ』 岡島タエ子とは

こういった問題に直面している事や、農業が斜陽になっている本家の内側とタエ子から見える表面的な外側のギャップこそが、今回この映画で一番伝えたかったこのなのでしょう

果たしてタエ子は本家に嫁げるのでしょうか。


次回はいよいよ最終回!!
最終回は


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