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考えるための遅いインターネット

・平成とは失敗したプロジェクト
・トランプを支持する「境界のある世界」の住人は、魅力的な嘘を支持している
・インターネットの本質は、自分で情報にアクセスする速度を「自由」に決められる点

これらの内容は、「遅いインターネット(著)宇野常寛」に書かれている内容です。この本は、今まで読んだ本のなかで、一番自分が考えていなかったことに気付かされる本でした。政治やエンタメ、過去の思想を使い、世界をこう捉えることができるのかと驚きました。

まだ本の内容を理解しきれていない部分が多いですが、理解するためにも書いていきます。


平成とは失敗したプロジェクト

著者は、平成では、「政治」と「経済」の二大改革プロジェクトに失敗した時代というのが結論としています。「政治」の改革プロジェクトとは、自由民主党の事実上の一党独裁から「二大政党」に移行し、議会制民主主義に移行することとあります。このプロジェクトは、小沢一郎、小泉純一郎、橋下徹、小池百合子など、様々な政治家が挑戦したが、誰一人として実現できませんでした。それは、実現しようとした人々が、カリスマ的なリーダーとして、「テレビポピュリズム」を用いて実現しようとし、実現しなかったのは、その手法の限界だったとあります。

この「テレビポピュリズム」とは、ワイドショーにカリスマ的なリーダーが登場することで、無党派層など、リテラシーの低い大衆を動員することで、既存の勢力に対抗するという手法でした。しかし、この手法は、メディアの潮目を読むことで瞬間的な最大風速を起こすことはできても、持続的に風を起こすことはできません。

これは自分自身を省みると、一時的に対立構造を作れたら状況での選挙では盛り上がるけれど、継続的に政治に関心をもって行動することはできませんでした。おそらく、ワイドショーを見ていた人たちがも同様だったのではないかと思います。

そして、これらの「テレビポピュリズム」に対して、インターネットを通じた政治運動が解決策になると注目されていました。これは、テレビなどのメディアとは異なり、インターネットでは、個人が発信することもできるため、当事者意識が生まれることで、政治にも持続的に行動し続けることになると思われた。しかし、インターネットにおけるソーシャルメディアは、既存のワイドショーと変わらない状態になっているとあります。ワイドショーのように、その瞬間の潮目を読みながら、「いいね」の数を競うことが重視され、持続的な行動ではなく、瞬間的な最大風速が重視されています。

ソーシャルメディアにおける「フィードバック」について、強烈な中毒状態を引き起こしていると感じています。投稿した内容について、いいねの数やリツイートの数、コメントの数が多いと心地よく感じてしまいます。そして、数値化されたフィードバックの数は、より多くのフィードバックを得るために、何を投稿すれば、より多くのフィードバックが得られるかというゲームに変わってしまいます。

「発信」とは、本質的には、自分の考えを表現することで、他者(時には自分自身)の行動を変えることが重要だと思います。しかし、「フィードバック中毒」においては、その「数」が重要になっており、どう行動を変えたいかという部分が抜け落ちています。

民主主義は機能不全に陥っている

著者は、トランプ大統領の当選や、イギリスのEU離脱、そして、日本の平成プロジェクトの失敗から民主主義が機能不全に陥っているとしています。

著者は、アメリカ大統領線で、ドナルド・トランプが当選後に、ソーシャルメディアにあふれる知人たちの投稿「トランプの当選は絶望的だが、アメリカに囚われずに他の国にいけばいい」といった内容に、その思考が、トランプを生んだと指摘しています。

トランプを支持しなかった人たちは、グローバルな市場のプレイヤーだからこそ、アメリカに縛られないことが可能ですが、しかし、世界の大半は、まだローカルな市場のプレイヤーであり、「境界のある世界」の住人です。

「境界のない世界」の住人は、既に進みつつあるグローバリズムにおいて、先の発言にあったように、「アメリカ」などの国という境界のある世界は必要としていません。彼らは、世界に新しい価値を提供し、そこで国家に守られなくとも十分な生活することが可能だからです。

Twitter や ワイドショーを見ている「境界のある世界」の住人と、グローバルな市場のプレイヤーである「境界のない世界」の住人であれば、どちらがローカルな民主主義に積極的かは明らかです。

自分のペースで考えるための「遅いインターネット計画」

著者は、機能不全に陥っている民主主義に対して、3つの処方箋を提示している

・民主主義と立憲主義のパワーバランスを後者に傾けること
・情報技術を用いてあたらしい政治参加の回路を構築すること
・メディアによる介入で人間と情報との関係を変えていくこと

この3つの「メディア」が本題の「遅いインターネット」であり、いま必要なのは、もっと「遅い」インターネットであるを結論として述べています。

著者は、現在のインターネットが人間を「考えさせない」ための道具になっていると指摘しています。自由に発信の場だったはずのインターネットは、同調圧力により不自由な場となり、また自分で情報を摂取するだけになっているとあり、これは「考える」ためではなく、「考えないため」にインターネットを用いています。

そして、著者は、「遅いインターネット計画」という運動をはじめています。そこは、「潮目」を読むのではなく、自分たちのペースで「考えるための情報」に接することができる場をつくること。そして、コミュニティを育成し、自分たちで考え、書く技術を共有することとあります。

「遅い」とは、情報をしっかりと咀嚼し、自分のなかで咀嚼することを指しています。そして、潮目をみてフィードバックを得ることを目的にした発信するのではなく、本質的に行動を変えるための発信をすることです。

最後に

「遅いインターネット」については、とても共感しました。Webサービスでは、ユーザの選択肢をなくし、いかに迷わせず、考えさせずに離脱率をさげるかという観点で設計しています。それらがサービスとしての効果を生むのは間違いないですが、そういうサービスばかりでいいのかと悩むことが多いです。

人は知らない間にコントロールされ、そして、あるべき世界の姿を描けなくなっていると感じました。自分自身のこととしてしっかりと考えていくきっかけにしたいと思います。

 

支援は、コミュニティ研究の取材、サービス開発などに費用にあてさせて頂きます。