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「休み癖がつきますよ」って言葉が大キライな話


長女は担任の先生にとても恵まれています。


ハイブリッド登校(週4通学、週1ホームスクール)をしている娘に対して
「週1回学校を休むことが習慣になっているのではないか?」という危機感はもちろんあって、「毎日来れるようにならないか?」という願望もあるので、個人懇談の枠が毎回長めに設定されているのですが
先生が長女本人に直接「毎日学校に来なさい」と言うことはありません。

まだ小3なので、「学校に行かせるのは親の責任」だとお考えなのか
長女に直接「学校に来い」と指導をしても信頼関係が崩れるだけと感じていらっしゃるのかわかりませんが
矛先が長女に向かないことは本当にありがたいなと思っています。


私自身が学校に行きたくなかった小4から中2の時期に
いろんな大人たちが「学校は毎日行くもんだ」とか「休み癖がつくよ」と100回以上は誰かに言われましたが、それを言われたって学校に毎日通いたいと感じることは1度もなかったです。どうすることもできない現実が見えたのと、解決できない自分の無力さにがっかりするだけです。

最終的に「学校来なくていいよ」と言って私の気持ちに寄り添った担任の先生に救われたのですが、私の経験上(よく考えると当たり前なことですが)子供には相手が信頼していい大人なのか見抜いて判断する能力があるんだなと思います。



ってか、休み癖ってなによ??!


休み癖って「ダラダラとして、やらなければいけないことを先延ばしにしてしまう習慣」を意味するのでしょうか?

人間にはコンフォートゾーンというものがあって
人によって範囲が違いますが、
その範囲内にいると心穏やかでいられるし、
その範囲を外れると強い拒否感がうまれます。

コンフォートゾーンから出たくないから、
やりたくないと思うことにはなかなか手が伸びません。


コンフォートゾーンは
その人の考え方や習慣によってつくられるので、
ちょっとずつ変化させることができる
ようです。

習慣になってしまえば、
やりたくないことも厭わなくなりますし、
逆にどんどん堕落へ引っ張る可能性もあります。

学校の先生が「毎日来ていれば慣れますから」とか「休むことが習慣になっていないか?」と考えるのは、子供のコンフォートゾーンを意識されているのかなと思います。


だけど、
本人が努力したいと思うかどうかを無視していいの?
努力するもんだって決めつけるの失礼じゃない??!
慣れるんだから大丈夫というのは乱暴じゃない??
いきなり多くを求めすぎなんじゃない??

「失敗してはいけない」という風潮が、
大人の過干渉や押し付けを後押ししている

ようにも感じます。

昔、「休み癖が付くよ」と言われていた身としては、
勝手に決めつけないで!!!って思います。

「休み癖がつくよ」という言葉から無意識に「ただ言われた通りにすればいい」という支配のようなものを感じ取っていたのかもしれません。
私のことを本当に心配していたのなら、
その一言よりも相手にもっとうまく働きかける言葉があっただろうに。。。


今のところ、小5の頃に心配されていた休み癖というものはありません。
私は約束も支払期限も守ります。

やらなければいけないことも、早めに終わらせた方が得することを知っているので感情スイッチoffにしてチャチャっと片付けます。(このスイッチは社会人になって色んな失敗をしながらスモールステップでちょっとずつ出来上がったものだと思います)

私はちゃんと出来るようになってるんです。

「休み癖がつきますよ」という言葉を聞くと、
大人の過干渉とか相手からの支配を感じるし、過去の(私が悪いわけでもないのに)どうすることも出来なかった日々を思い出してしまうので

この言葉が嫌いです。

「休む」か「休まない」かの選択すらないのかよ。。。ってガッカリしちゃう。


とは言え、子供の好きにさせて堕落していくのを見ているだけでいいというわけでもありません。

大日向小学校で先生をされていたひでこやさんが教えてくれた「大きすぎて扱いきれない自由は人間を堕落させる」ということも、頭に入れておかなければいけません。たった一人で生きているわけではないので「何でもかんでも自由」は社会には馴染めなくなる可能性が高くなります。


自由と規律の塩梅って、難しいよね~。


最後まで読んでくれてありがとうございます。 スキ、コメントは私のやる気になります!!それだけでとっても嬉しいです♪♪もしサポートしていただけるのなら、娘達の野外活動に使いたいと思います!!