何も持っていないなという無力感
最近、なんとなく嫌な倦怠感が続いていた。深く考えるとドツボにハマるものだと分かっていたので見ないようにと思ってわざと見逃していたが、いよいよ我慢ならなくなってしまったのが今日。
とはいえ、私にしてはかなりポジティブな方法で向き合って「なんかまぁいいかな」と落ち着いたので、いつかまた見直すときのためにここに残しておく。
人と会えない日が続いて長い時間が経った。厳しい状況に置かれてなお、何かをやろうと企画して楽しませてくれる人たちや企業を多く見た。もちろん、自分の生命に直結するが故の行動も。
私はそれを消費し、ありがたく享受した。これまで私が生きる糧としてきた人たちやものたちに対して今こそ還元すべきだと考えているし、そのように行動している。
さまざまな人が新しい試みを行い、たくさんの新しい情報が手のひらに流れてくる。その中でふと自分を顧みたとき、なんだか何もしていないように見えてしまった。結局のところ、自分は誰の「ため」にもなれない人間なのではないか。
ふと気づいてしまった嫌な気持ちに折り合いがつかない。そんなネガティブな感情に飲まれるときの大体は運動不足か食事の不満足、もしくは身体の不調や冷えが一つの原因だ。とりあえず風呂で暖まろうとお湯を張った。
最近はずっと誰かのラジオや動画を見たり聴いたりしていたから、たまには日本語から離れようかと洋楽を流しながらお風呂に入る。
そうしてシャンプーをしながらずっと考えていた。結局のところ、自分と誰かを比べて「自分には何もない」と思っているだけのこと。もしかしたら本当に何も持っていないのかもしれない、しかし、それを「誰かと比べる」というのはあまりにも失礼だ。今の私には為し得なかったことをしたからその人は何かをできている。
ここまで人間らしい考え方に修正できればもう大丈夫かな、と頭を洗い流す。私が人間として生きるために必要なのは誰かを尊敬する感情だ。
私にはできないことをやってのけるみんなを尊敬している。それでも私以外は私じゃないから、採点基準は別。しっかりトリートメントもして、さらにはお肌の保湿までしちゃって、体に気をつかった食事をした今日の私は大きな花丸をもらえるくらいだ。
もっと言えば、この自粛期間に色んなことを自粛できている、それだけでみんながもっと褒められるべきなのだろう。
今はプラスを考えすぎちゃいけない、マイナスの度合いが強いんだから。自分の中でゼロに近づけられたらそれでいいと気付けた一日だった。