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仕事がなくても死ぬってことはないんだね - 『今夜もウェブで会おう』 (第12通目)

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梶さんへ

世の中の人にうっすらと付きまとう不安があると思うんだ。
それは、「仕事がなくなったら終わり」「ビジネスに失敗したら終わり」っていう考えから生まれる、恐怖だ。
つまり「お金がなくなったら死ぬんじゃないか」っていう不安。

この不安は、フリーランスだけじゃなくて、誰にでもあるような気がする。

でも、最近、落ち着いて考えてみた。
そしたら、「金がなくて野垂れ死ぬ」っていうことは、自分から「死」を選ばない限り、ありえないってことに気がついたんだ。

また相変わらずひろゆきのトーク動画を聞き流しながら作業しているんだけど、そこで学んだ生活保護の話を聞いて。

生活保護って「受けちゃいけない」みたいな謎のハードルがあるけど、
国の制度を必要な時に利用するのって、法律で裁かれるような話じゃないよね。
人生の選択肢としてはアリなんじゃないかと思えるようになったんだ。

「どんな時でも努力すべき」というストイシズム的な思考はが世の中では善とされているから、
制度に頼るということは甘えであり、努力の反対、すなわち悪とされることが多い。

確かに生活保護をもらっていると公にしている人は、ネットでの風当たりが凄まじい。
「困窮しているのは自業自得、あんたのせいでしょ。私たちが安泰なのは、努力をしているから。落ち度がない私たちにあなたを助ける義理はない」ってな感じで、自動的に突き放すところある。
ケースバイケースで考える代わりにね。

ストイックで自分を後回しにするのはカッコいい。
でも、変なところでカッコつければつけるほど、破滅に向かって進んでいく気がする。

「生きるためとはいえ、生活保護には絶対手を出さないぞ」ってカッコつけることで、「仕事がないと死ぬ」という恐怖が生まれる。
思い込みが、人生の難易度を上げてしまう。
その結果、追い詰められて自殺をしてしまったり、犯罪に走ってしまう人もいる。

破滅しちゃいたいほど心がヘトヘトなら、仕事を取ることは一旦忘れて、制度を使って、次に向けて頑張れるまで自分に休暇をあげればいいのにね。
毎日近所を散歩して、ゆっくり暮らして…

実際、うちも鬱でニートだった時、よくママやおばあちゃんに外へ連れ出されたっけ。
丘の上でおにぎり食べたりしてさ。

振り返ってみれば、そうした素朴な時間が、人生における幸せだったんだと思う。

ともかく、生活保護が受けられる国に住んでいるのはラッキーだよね。

生活保護とか、自己破産とか、手厚いセーフティーネットが張られている。
プライドを捨てて生きようと思えば、生きられる。
なりふり構わない限り、つまり、どんな時も自分から死を選ばない限り、常に生の道はあるんだ。

そういうわけで、世界は割と安全な遊び場って考えたほうが得なんじゃないかな?。
せっかくなんだから、やりたいことに燃え尽きるまで挑戦したほうが、人生面白そうだよね。
そうすると、肩の力が抜けて、割とうまくいきやすいのかも?

将軍川



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📧梶→将軍川

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じつは「マインクラフト」っていうゲームをやっていた時期がある。

これがサバイバルゲームで、荒野に突っ立っていると、勝手にゾンビやら骸骨が寄ってたかって襲いかかってくるから、
それを防ぎながら、ブロックを掘り起こしたり、建物を作ったりしないと、1日目で死んでしまう危険な世界なんだ。

半日ぐらいプレイして、夕方から図書館に出かけた。
そのときに、アスファルトの上をサンダルで歩きながら、「なんて、この世は何も起きないんだろう」と感じたのを覚えてる。

なんて穏やかな世界なんだろうか、ゾンビもドラウンドも自分を殺しに来ない、と。

そのときに、ふわっと、わかったんだよ。
この世界はわたしを殺しに来ない、
わたしは、ただの石ころみたいに、ただ存在しているんだ、わたしはここにいていいんだ、ってことが。

そして、自分はとても孤独なことに気がついた。
社会があって、いろんな人に必要とされたり、好かれているから、生きているわけじゃないんだね。
誰からも必要とされなくても、たとえ親や周囲の人から否定されたとしても、わたしは生きてるんだって。

ただ、自分を取り巻く世界の中に、ぽつんと石みたいに存在しているだけで、わたしは存在している。
「わたしが存在すること」には誰も干渉できないんだ、って。

その時、この世界は、なんて穏やかなんだろう、と思って、そう、おんなじ言葉を使わせてもらうけど、素朴な幸せを感じたな。
ずっとこの世の果てまで、この許された世界が続いているんだ、わたしはここにいていいんだ、って。

たまに電車に乗っている時に、地平線が見えたりすると、その中にぽつんと「ただ存在している」だけの自分が佇んでいるような気がする。

これって、自分を「いてはいけないもの」だと考えたことのある人には、伝わるんじゃないかと思って書いてみた。

恥ってさ、「社会の一員として恥ずかしくない自分でいるべき」っていう思い込みのある人が感じるんだと思うよ。

だけど、まずは「生きてていい」っていうことを理解して、素朴な自分に帰ろう。
金がないくらいで死ぬ必要はない、生活保護だろうが物乞いだろうが、ただの道具なんだから使えばいいと思う。


そういうわけで、
全くおんなじことを考えてたって言いたかった。





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🍬おまけ

アイコン_将軍川

テトリス初心者のプレイ画面みたいな模様。
ハンガリーのローカル列車にて。

第12通目  おまけ


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