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『素数曼陀羅』

 そこは『natalis』と云う名の店だった。
 カフェほどの解放感はなく、と云って昭和レトロ風の喫茶店と云う訳でもないのだが、とにかく心身ともに落ち着く空間なのである。薄暗い照明も私の好みだ。親父臭いと云われようが気にすることはない。私は私の好きなものを大切に生きていたい。ただ、それだけのことだ。

 ここに来るのは何度目になるか。私は密かに常連となるべく足しげく通っている。マスターにそう認めてほしいと云う理由なき欲求があった。

 店内を満たすコーヒーの香りはさながらアロマのようであり、それはほろ苦さよりも甘さを想起させた。古びた内装とこれまた幾分古びて見えるマスターと常連客たちの放つのどやかな雰囲気は外界で荒れた心をいつも癒してくれた。店で飲むことを信条とする私にはこうした外的要因もコーヒーの味と同様──いや、もしかしたらそれ以上に重要なのである。

 ある日の午後、店に入るとカウンターの端でひとり黙々と何かに没頭している女性を見掛けた。この店にしては珍しく若い客だった。脇に置かれたコーヒーカップから湯気の立ち上る様子はない。彼女はどれくらいここにこうしているのだろうか。

 今にして思えば、私の行動とその物言いは随分と失礼だったと思う。

「あなた、シュタイナー教育ってご存知?」

 店に来て数分の間もなく、これは何ですか? と云う私の不躾な質問に彼女はそう答えた。私が「すみません、知らないです」と云うと、別に謝ることではないのだけれど、じゃあ、素数は知っていますか? と訊いてきた。

 日常生活で突然「素数」と云う単語が出てきて私は少し戸惑いはしたが、それなら知っています、と答えた。

 素数って、何だっけ。あれだ。数えると心が落ち着くとか云う──違う、1と自分以外では割りきれない数のことだ、確か──。

 自慢じゃあないが私は数字が苦手だ。見ただけで「お前などには解るまい」と語りかけられている気がしてくる。

「これは、素数曼陀羅って云うの」

 ショートカットでアースカラーの服を着た彼女は二十代半ばだろうか。とても落ち着いていて、知的な印象だった。

「まず、板の上に円周上に釘を打つの。素数ごとに違った好きな色の糸を掛けていくと、こんな神秘的な模様が出来上がるの。ちなみに、これは48本の釘が打ってあるわ。まず23番目ごとに、時計回りに糸を掛けていく。糸はどの釘とも重複しなくて、最初にかけた釘に戻ってくるの。その後は、19、17、13、11、7、5って具合に糸を掛けるだけ」

 これらの数が素数であることと、正確には、48とこれらの数の最大公約数が1であることが大事なのだと、彼女は云った。

 私は呆気にとられていたが、そこで我にかえった。始めに、こんにちは、だとか、ちょっとよろしいですか、とか普通は訊くものだと云うことをすっかり失念していた。

 私は彼女の目の前に置かれたその造形美に感心するあまり、まるでネットで検索するが如く自らの興味本位だけで彼女に質問を投げ掛けていたことに今更ながら気が付いたのである。

 動揺しているように見えたのか、彼女は私にやさしくこう云った。

「よかったら、あなたもやってみます?」

 私は丁重に断りの言葉を述べた。

「そうですか──」

 見ているのもいいですが、実際に手を動かしてやることに本当の意味があるの、と彼女は云った。

 素数だとか数字が幾つか出てきたあたりで私の思考は既に停止していた。だが、それが美しく、魅力的であることに変わりはなかった。

 吸い寄せられるように彼女のもとにいた私はそこで漸く席についた。

 生身の人間と接するというのは、どう云うことだっただろうか。私は忘れかけている。この店のマスターや常連客たちは人と云うより──もっと別の存在な気がしてならないのだ。

 ふと、何故ここに彼女が、と云う疑問が湧いた。しかし、彼女が人であることは間違いない。私と同じように。

 もう一度彼女とここで出会うことがあれば、その時は素数曼陀羅と云うものを私もやってみたい、そう思いつつ、必要のないメニューを手にしながら注文をした。

「マスター、いつもの」

「はい、いつもの浅煎りね」、とマスター。

 素数曼陀羅か──。

 きっと私に必要であるに違いない。何となくだが、そう思う。もしや、彼女は私のためにここに来たのではないだろうか。

 身勝手な妄想が膨らむ。だが、私は知っている。このnatalisでならそれがあり得ると云うことを──。

 目を閉じて店の空気をゆっくりと吸い込んだ。私のためのものだろう。よく乾いた豆が小振りな焙煎機の中でカラカラと鳴った。もうすぐ芳しい香りが漂ってくるはずだ。

 あの曼陀羅は私にとって、どんな意味があるのだろうか。私はまたしても思い、考えを巡らせていた。

 この店では不可思議なことがまま起こるものなのだ。だがそれらは時間を経過するごとに香りと味を微妙に変化させる浅煎りのコーヒーのように、喧騒のなかや、ざわめく心では決して味わうことができないものなのである。

 ともすれば、飲んだ実感もないままに、空になったコーヒーカップだけがぽつんと取り残されるようなことになりかねない。

 深く息をき目を開けた。タイミングよく滑るようにして差し出されたカップ越しに、たなびく湯気とマスターの柔らかな笑みがあった。



〈了〉

 

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