ワクワクすることって?

私の夢はワクワクすることは何なのか。

私は何がしたいのか。                           それは、とても単純である!!

新しいことに挑戦すること!!

 私は、同じことを何回もこなすことが苦手なのである。

大学の通学路も同じ道で帰りたくないので、わざわざ新しい道を選ぶときがあるほどである。

 

ここで、大学4年間の中で私が挑戦したことを整理しよう。

・偏差値32からの大学受験

・往復80キロの自転車通学

・日商簿記2級取得

・ルービックキューブチャレンジ

・ヒッチハイク

・東京ー新潟の自転車往復など

 

周りからもなぜそんなことをするのか。

意味がわからないと言い続けられながら続けてきました。

 

なぜ、私はそんなことをし続けているのでしょうか?

 

挑戦することの意味

確かに言われてみれば、、、と考えた数は星の数ほどあります笑

新しいことに挑戦することは、別に楽しいことだけでなくむしろキツかったりしんどいものが大半になります。

 

実際に深夜の山の中、40キロ自転車を漕いでいるときには「何やってんだろ俺は。。」

と一人泣きそうになった時もありました笑笑

 

そんな経験をしながら今でも挑戦し続けているのは理由は

とても単純なものだと気付きました。

 

それは、人生において後悔をしたくないからです。

 

もしかしたら、やらなかったことの中に自分の一生を捧げられるものがあるかもしれない。もしかしたらその経験から人生の転機があるかもしれない。

 

そんな後悔をしたくない。

 

データとしても50代を対象としたアンケートがある。

 このグラフによると約半数以上の人が人生を振り返った上で後悔している。

 

きっとみなさんも少しは覚えがあるだろうと思います。

もっと勉強しておけばよかった。

もっと遊んでおけばよかった。

もっと恋愛しておけばよかった。

もっと人生に向き合えばよかった、、、。

 

しかし、こんな私ですが高校まではろくに勉強もせずに部活も適当にやりパチンコばかりしてしまう時期もありました。

 

言葉を選ばずに言うと、「底辺のような生活」をしていたと思っています。

 

しかしそんな私だからこそ人生に向き合う大切さを知りました。

 

こんな底辺から抜け出したいと本気で思いました。

だから私は今本気で挑戦しています。毎日を後悔しないように必死に生きています。

 

もしくすぶっている人がいるなら本気になってみて欲しいです。

本気になることは大変なことですし、きついことも多いです。

ですが、年をとって後悔するよりは何万倍も辛くありません。

 

ぜひ本気になってみてください。

 

行き着く先ー夢は何なのか

新しいことに挑戦することに終わりはあるのだろうか?

私の結論はない思っている。

 

だって世の中には、まだまだ分からないことだらけだ!!

科学者ですら、いまだ解明できていない人類のことだってある。

世の中にある解決しなきゃいけない課題だっていっぱいある。

 

挑戦することに終わりない。

だからこそ私のやることに終わりだってないのだと思う。

 

しかし、そんな私にも夢はある。

 

それは、裕福になることである。

 

身につけているものを高価なものにすること。

おんぼろアパートからタワーマンションに引っ越すこと。

子供に教育機会を設けてあげること。

たくさんの旅行をして多くの経験をさせること。

 

この夢を叶えるために、今多くの挑戦・経験をしている。

 

ここで私が大事にしている言葉を紹介したい。

 

人間が賢くなるのは、経験によるものでなく

経験に対処する能力に応じてである。

 

これは、アイルランドの文学者のジョージ・バーナード・ショーの言葉である。

彼は、文学者の才能だけでなく教育、芸術など多彩な才能を持っていました。

彼が多彩な功績を残せたのは、人よりも多くの経験をしたからではなくその経験に対して真摯に向き合い対処してきたからである。

 

私もただ経験を人より多くするだけなく、その経験に対して向き合い過去の自分を超えることが大事だと思っている。これには、学歴も出身も関係ない。大事なことは過去の自分を超える事だけだもの。

 

これからについて

 私は、学生から社会人になります。

責任が付与され学生の頃のようには行かなくってきます。

 

しかし、これは新しいステージが変わったことも意味しています!

これから新しい経験をします。

きっと辛く怒られることもあります。

 

ですが、そんな時こそジョージ・バーナード・ショーの言葉を思い出し

真摯に向き合いながら成長していきます!!

 

人間が賢くなるのは、経験によるものでなく

経験に対処する能力に応じてである。