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心の声

こんばんは。今、メキシコのグアダラハラは夜10時半です。

今日は担当してるクラスでテストがあったので、いつもより早くクラスが終わった。なので、いつもより早くnoteを書き始められた。


#国際女性デーによせて

3月8日。今日、メキシコは国際女性デーだった。スペイン語では、Día Internacional de la Mujerと言う。

朝SNSを開くと、FBやInstagramに紫色の背景に今日この日に対するメッセージがたくさんポストされていた。

そもそも、国際女性デーは、1908年にアメリカで婦人参政権を求めて始まったデモを受けて、1910年にデンマークのコペンハーゲンで行われた国際社会主義会議において「女性の政治的自由と平等のために戦う日」と提唱されたことがきっかけだそうだ。その後、国際連合によって1975年に「国際女性デー」を3月8日にしようと決められた。

つまり、「全ての女性は美しい。全ての女性に感謝しよう。」と祝う日ではないのである。

むしろ、今までの歴史の中で虐げられてきた女性たちが立ち上がり、女性の力強さを見せることでその意思を伝えようとすることが目的のようだ。

僕は実際に自分の目で見たわけではないのだが、グアダラハラでも道路が封鎖され、大規模なデモが行われたそうだ。女性たちは、自分たちの意思を表明しながら、町を練り歩いた。

中には、店の窓やバス停のガラスなどが割りながら、行進していくグループもいたそうだ。

そういう映像を見ていて、ふと考えたことがある。

日本には「国際女性デー」があまり浸透してないように思う。僕が覚えている限りでこのことに直接関わる何かを見たのは、一度もない。

日本人女性のイメージってなんだろうか。

物静か、おしとやか、大和撫子、3歩下がって歩く…..

そういう控えめなイメージが多いような気がする。もちろん一人一人は違うので、あくまでも一般的なイメージになるのだが、僕が今まで接してきた日本人の女性の中には窓ガラスを割るような人はいなかった。

一方、メキシコ人女性のイメージってなんだろうか。

おしゃべり、おおらか、気性が荒い、スキンシップをとりたがる、強い…..

そう。強いというイメージは確かにあるのかもしれない。映像を見ていて、メキシコの女性には「男になんか負けてたまるものか!」という強いメッセージが感じられた。もちろんメッセージの伝え方が器物破損というのはちょっと幼稚な気がするが、していることよりもしていることを通しての彼女たちのメッセージを読み取ると、そう感じられた。

強いと言えば、メキシコ人と結婚している日本人の友達は、完全に尻に敷かれている。この間一緒に飲んだのだが、奥さんを家に残してきたので、1番最初に帰って行った。自分の奥さんのことを大切に考え、奥さんが死ぬなら自分も死ぬとまで言っていた。もちろん奥さんもその友達のことを大切な存在だと思っている。

メキシコの女性は、母性愛が強い人が多いように思う。以前付き合っていた彼女は、僕が熱を出して家で寝ていた時に、仕事中だと言うのにすぐにかけつけてくれた。恋人に何かがあれば、自分のことを多少投げうってでも何かをしてあげようと考えている人が多い。

加えて、メキシコでは人前でもハグやキスをする習慣がある。コロナになった今でも街中でよく見かける。一見、かまってちゃんな女の子が彼氏といつも一緒にいたいから、公衆の面前でも見境なくハグやキスをしていると思うかもしれない。もちろんそういうこともある。

しかし、ハグをすることで相手の悲しみや苦しみを

「半分私にも分けて。そしたら、あなたのが軽くなるよ。」

そういう意味もあるそうだ。

何も女性のことに限った話ではないのだが、人は今見ているものや言われたことをそのまま受け取ろうとする。その奥にある何か別のメッセージだったり、本当のところはどうなのだろうとはなかなか考えつかないものだ。

僕も言葉通りに受け取ってしまうことがある。特に自分に余裕がない時はそう考えてしまうかもしれない。しかし、なるべくそうならないようにしている。

なぜなら、デモに参加しながら、物を破壊していた女性たちが、本当に心から望んで破壊しているわけではないと思うからだ。

そんな女性は、一人もいないと思う。

国際女性デーは、もちろん女性のための日だが、男である我々が何か大切なことを考えなければならない日なのかもしれない。


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