創造的退廃

どうも、お久しぶりです改心丼です。いつもPCですが今回はスマホで書いてます。

うーんと、端的に言って鬱っぽくなったかもしれません。今はある見方をしたら・または部分的に「病的」って状態な気がしています。

雑に名付ければ「過剰思考」状態と言ったところで、これは強迫観念的な意義感、過集中、あるいはそれを受けての非常な悟り状態、みたいなものを指します。

この状態はこの状態で、言った通りある意味では落ち着いているというか、奇妙に(ただ、素直なものとして)達観もある状態なんですが、

意識を何か別のものに向けるか全く無視する事による、「抽象性の保存または無視」をするか多少の混沌性や退廃を受け入れて、創造的ながらも一定の「過剰速度の言語化」か、厳密性に伴った「鈍足な言語化」を選ぶかといった感じで、これらに際して日常の行動の意欲はときに非常なまでに減退していたりします。

ちなみにこれには人間または個々人の有す、言語能力、あるいは言語化と目的の選択性みたいなものも関係している所であると思います。後者に関しては、人間のやっている事は、ただ単純法則的な言語化でもない、といった具合です。

ちなみに自分にとって過剰速度の言語化、は、自分に速い思考が可能な事を教えてくれますが、早い思考はその分だけ自らを消費する、あるいは余地がなく創造性が限定された環境に置く不安定な状態、を意味してい得るので、自らそれを選びたいとは思いません。ただ、観念的に、流動性に傾いてあまり意図せずにそう言った状況、相当の行為に至る事はあります。

自分はどっしりとしているようでもありながら、思考のとっつけとなる事象・時間は、単純で、広く普遍的に存在するものであり得、非常に脆い部分も持っています。

またより多くの着想を持ち得る事と、物事を正確にこなせる事は別概念で、デュエル・マスターズを例にして言えば、勿論練習量などもかなり関わるのは据えた上ですが、自分の体感としては積まれたある程度のエンジンによってデッキのルートを理解できたり、一定レベルまで構築を仕上げる事、またそれに際して適したカードを発想する事はできるようであっても、プレイングとなると致命的なレベルで無意識的・非言語の「まあいっか」や無思考への没頭を生じ、むしろそれは悪びれの対岸、非自然的では無い、状態として訪れている様にも感じる程です。

例えば高騰するカードを儲けるのに充分な確率で予想できたとしても、フリマアカウントを使って転売に走る行為には「体系的な」観点から至らない、ような(そのコンテンツが金銭的価値を帯びていても、単にお金目的ではない)状態も通ずるところがあります。これは極端でわかり辛い例えですが、お金を稼げたとしても思考停止でそれに勤しむのでは無い事、を言っています。

プレイング然り、マネーゲーム然り、現実、は推論とまた違いますし、自分が本当に「幼稚」な部分を有す場合もあります。ただ、ミスを判る事と、そもそもの人間の基本的な方針、は異なり、加えて言えば創造的な状態、において見ているもの、は違ってい得る、という話です。

またここは、個々人のデュエルマスターズ対戦の勝利や、デュエルマスターズ自体の生活における、「比重」も関わってくる所でしょうが、最もこれらは一種の「義務感」とさえ形容できる「必然的である感覚」を指しています。

総じて、適性があるのでは無いか、という話です。もしかすると言語化している以上は、言語化できるレベルの容易な話、なのかもしれませんし、最もらしく意図的に言語化しているかもしれない、という部分も否めませんが。

自分の場合、所謂自動思考、的な類いを含むかもしれませんが、一度始まる、一度つっかえると一定のキャパまでとめどなく、また思考を言語化している際も、次々に思考が、特に「言語ではない感覚的なもの」として、言葉として表現するなら「接続詞」「ある程度の思考の流れ」として訪れます。

この感覚が、言語化に伴って、思考そのものになるのか、あるいは段階的に上な更なる抽象化のきっかけとなるのか、または感覚の際の方向に関わらず、別概念や思考の前提を再確認、再定義させるきっかけになるかといった所はまた別です。

ちなみにこれが、「思考」と言えるのかという事については、自分のそれにもいくつかのパターン、決まった文体はあるものの、少なくともある前提、ある形式に対して、それを抽象化した物である、形式をみなせる場合には「思考」であると言えると考えています。

ここは重要ですが、たとえばある二元的に定義できる抽象化において、対偶、排反等の形式を問わず「A→Bである」とき形式を限定してそれに相当するC、を考えられ、範囲としてCと同等なDを用いて「C→Dである」と言った時、論理の形式すなわち両者の→に当たる部分に互換性があったとして、これら両者を単純に言ったとすれば、「前提を考える」事をしなければ抽象度からしてこれらは全くの別物と言える、特に、前提を伴って捉える言語とすればこれを思考ひとつ、単体で言える事であり得ます。またCが具体的に言語や定義である場合に、形式を限定したCである事は、わかりやすく言えば、ただCという言語や定義して言う事とは区別されるべきです。

余談ですがこれらは「一つを言って多くを理解する事」あるいは「言われた一つから多くを広げる事」と言われているような事に通じている所でしょう。

まあ、実生活では、こだわりすぎるとか、思考が死活的に位置するといった場合は、この噛み合いが問題にもつながり得る所です。

ちなみにこれらはある程度努力、意識的という言い方もできる、思考する事によってもたらされる、価値あるものと意味付けられるとすれば、特に「ゆっくりとしたエンジンを搭載しながらも、(短絡に決めつけるのではなく、)揺るがない到達を目指そうとするような姿勢」は、個人的に「日本人のルーツ」として存在するような気がしています。あくまで日本人として生まれて、日本って認識して勝手に括ってるのかもしれませんが、ただ「そんな気が」するって話です。

ときには何百個はくだらない思考をメモに頼りながら先延ばししつつ溜め込み、それらをちらつかせながら無意識の没頭点、あるいは過剰な興奮の限界点・虚無点への収束をみつめながら、無駄な時間をつくる事を繰り返し、全く意識の介入ができない訳ではないものの、最終的には「結果として言語化できたもの」が言語としての体裁を成す、といった感じです。

普通は潜在的な意識として、行動を選び忘れる事によって、または数式化といったより極に位置する抽象化によって、消化され得る事です。

言語も一定の抽象性を持つとして言えば、Aさん(全くの他人であり得ますが)を見て「自分より不幸な人間はいる」とか思ってみたり、身勝手ながら自分に都合のいい幸せを捉えてみたりっていうのも、「ブラック・スワン」として、極の理解に基づくもの、あるいはその延長として考えることができます。これは潜在的ながら意識的なものであり得ます。

ちなみに現在ではDMvaultもごくたまに訪れて数戦交えるという感じになっています。

単純な数字はあるものの、発信の影響力ってのは図れないですが、少なからず記事を書くときは頭を占めるコンテンツとしてのデュエル・マスターズの比重が、自分にとって良くも悪くも大きくなっていたりします。同時に創造的であるかもしれないですが。

まあ大体、鬱っぽいときは往々にして、複数の記事を考えていたり、それらを含めて総合的に自分が多くの思考をしていたりします。

以上、改心丼の近況と、その抽象的な分析でした。

これらを持って記事、及び抽象論は、そう自己認識する段階であるかは別ですが自分の速度でで書いてます。ただ過度に言語化されてしまったり、発想を忘れてその穴を埋められないといった場合には、先延ばししてそのまま放置したりという事も多いです。

割り切りをつけられたり、書いている途中で留められた場合には、記事が出ます。ちなみにデュエマの記事においては、言葉としてのまとまりというよりは、意味のある事を書こうとする事を伴っての「言語化の苦痛」です。勿論これは世に出ていない記事と、一部の記事において顕著なものであって、それに比べれば適当な記事やコラム記事も多いです。

まあ、DMvaultに打ち込んでいた解説が、ログイン時間の都合でぶっ飛んでしまった事があったのですが、デュエマの記事関係ではそれが今までで1番苦痛で記憶に新しいですかね。

ここまで色々書きましたが、文字に起こす事とか、記事を書く事自体が自分にとっての整理となっています。

以下、軽いデッキ紹介です。


<3分作成デッキ紹介>

共有イメージ

以前、ベイBジャック、ブスートを使用したガシャゴズラループがありましたが、闇のグッドスタッフに目を向けていたらブスートに目が留まったので作りました。

余談ですが、最近の目に余る速度のデッキパワー上昇やデッキの多様化を含めて、自分が疲れてる事だったりが構築に現れていたりします。


ほぼ回してませんが言及すべき所としては、

・自然枚数はナップのアンタップ条件のために一定枚数以上は減らせない
・ガシャゴズラ召喚時の墓地が課題
・ループへの移行ないしフィニッシュループの際に、パーツを野良回収で補う

といった所でしょうか。最後の点に関しては、回収だけでなく野良ブーストも視野に入ります。


ループとフィニッシュ

無限GR召喚ループ

①ガシャゴズラ→ナップ+エンジオン×2
②エンジオン効果でブスートとオカルトバウンス
③オカルトでナップ+エンジオン×2破壊
④ナップ効果で3マナアンタップ
⑤起きた3マナでブスート召喚、ガシャゴズラ→①

ここでオカルトをバタイユにすると、無限破壊ループが成立します。

これで実質複数枚のオカルトを回せる為、余剰のエンジオンでバタイユを対象にする事で山札を回復できます。

オカルトの破壊効果での山回復は置換効果の重複により不可能です。

因みにバタイユがなくても、オカルト2枚とオーマがあれば無限破壊は可能です。オカルト1枚で無限GRをしながら、2枚目でオカルト、オーマ、任意を破壊しオカルトを回収する事で可能です。

基本の破壊をバタイユではなくオカルトにしているのは、ループを見ても分かりますがこのデッキの基本の使用用途である「ゴズラ以外の破壊」の役割への適性です。

因みに破壊要員を学校男で代用する事も可能ですが、今回は破壊の全てをオカルトとバタイユに任せています。


他細かい点等

・マナ回収にもなるステップルを初動に据えるのはありです。同様にエスメルは受け札になりながら野良ブーストと盾落ちケアができます。

・GRゾーンについては、ループ御用達のバクシュ、バルチュー、予知オレちんなどで、盾落ち・ボトムケアやフィニッシュ方法の選択が可能です。ガシャゴズラループに限っては、パキラキなども採用圏内です。デッキとの兼ね合いですが、エンジオンが早期から使用できる場合はなるべくループパーツは抑えたい所です。クリスマ、カット、全能あたりが最優先です。ハンデスに対しては、必要枚数ブーストをしてガシャゴズラさえ引ければ、むしろアドバンテージになり得る場面もあると思います。

・オカルトを採用している以上、アンダケインを採用してオカケンのギミックを組み込む事も可能です。ただ、今回のループとガシャゴズラを主流とするなら、やはり序盤から墓地とマナが重要な為元のデッキがコントロールとして洗練されていない場合は、オカルトが1枚故オカケンのギミックはノイズになり得る印象です。

・ハンデスギミックが充実していないのと、デッキとしての軟弱さから1ドローを重く見て零龍は抜いています。復活・破壊の儀は単体としてループにおいて使えなくもない効果ですがどちらもタイミングはイマイチ噛み合っていません。それでも零龍は単純に強く、またこのデッキでも卍誕が見据えられるギミックなので、1ドローのデメリットも踏まえて、零龍は他のカードとの兼ね合いで採用してみるのがいいかと思います。

・試作段階というのもあるにせよ、ギミック的に相手のメタへの耐性や、メタへのメタとの両立が難しい所があります。それらは今は切っているに近いですが、単純なデッキとしては、純クリーチャー単(エスメルを除く)ながら、ガシャゴズラがダークネスのハンデスにメタ的に働きながら自身はダークネスにも似た立ち位置でデッキをパワー負けし辛いものにする札になっていたりします。

以上、デッキ解説はここまでです。

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