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【16】着物記者歴30年のライターも驚く「究極のきもの」とは? 糸づくり篇①

「蚕から糸へ、糸から着物へ」プロジェクト!
《私たちのシルクロード》
第16回 糸づくり篇①「繭が糸を決める」

お蚕さんから糸を作り、染めて織って着物に仕上げる――この全工程をレポートする「蚕から糸へ、糸から着物へ」プロジェクトです。
それは「私たちのシルクロード」。

前回「お蚕さん篇」⑬では、養蚕農家の花井雅美さんが育て上げた繭の出荷後、残された毛羽(けば)や選除繭(せんじょけん)についてレポートしました。今回から、いよいよ中島愛さんによる「糸づくり篇」に突入します。


■中島愛さんの手元に来た繭たち

2020年10月19日、埼玉県にある中島愛さんの工房に、花井雅美さんから冷凍便で発送された繭(まゆ)が届きました。

中島さんは、この日を心待ちにしていました。なぜなら上質な生繭(なままゆ)が手に入らなくて、心ならずも糸づくりから離れていたからです。「また糸づくりができるんだぁ!」とワクワクしてこの日を迎えました。

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繭をひとめ見た中島さんは「とっても美しい繭でびっくり」したそうです。養蚕の研修を受けたことがあり、また、晩秋繭の座繰(ざぐ)りを経験してきた中島さんは、育てるのが難しいはずの晩秋繭が「ピカイチにキレイ」なので、その背後に「大変なご苦労があった」と花井さんの仕事ぶりがしのばれたといいます。花井さんの育蚕プロセスは、これまでの連載でご紹介していますが、この時点(2020年10月19日)で、中島さんは把握していません。

「丁寧に育てられた繭であることは、これまでの経験から、見た瞬間から分かりました。繭の大きさ、透明感から、なんとなく勘で、掃除や消毒が行き届いている農家さんかなぁと思いました。」(安達の質問に対する中島さんの回答書より。「糸づくり篇」で、この枠内のコメントは以下同)

繭は自身を語るのですね。そして分かる人にはその背景さえも見える・・・。

■生きている糸を求めて

中島さんが糸づくりに関心を抱くようになったのは、機(はた)織りを学んだことがきっかけでした。その源泉をたどると、20代後半にイギリスの大学に留学したことに行き着くようです。1年に及ぶ在学中、テキスタイルデザインなどのアート全般を学んでいると日本の機織りが世界的に評価されていることを知り、「ならば日本で」と、帰国後、機織り教室に通いました。

機織りに取り組むうちに「糸を工夫したら、面白いものができる」と思うようになったそうです。市販の糸は「どこか機械チックで、つるっときれいすぎる」と飽き足らなさを覚えていた頃、ひとつの出会いがありました。

今回のプロジェクトメンバーである吉田美保子さんのブログで「座繰り糸」というものがあるということを知ったのです。

求めていた「生きている糸」ではないか。

そうして「座繰り」について情報を集めているとき、中古で買った雑誌に西予市野村シルク博物館で繭からの糸づくり、染め、織りを研修できるという記事が掲載されているのを見つけました。興味を抱いて見学に行くと、研修所は設備が整っていて、集中して学べると思い、1年の基礎コースを受講することにしたそうです。

愛媛県の南西部に位置する西予市野村町は、養蚕および製糸で知られるシルクの町。同期の4人の方とともに糸づくりや染織のほか、染料として使う紅花や藍を育てたり、花井さんが蚕種(さんしゅ)を送ってもらっている「愛媛蚕種」や養蚕農家を見学したり、中島さんはあらゆる体験をしました。

一番感動したのは、初めて自分で作った糸で、染めて、織って、着物を作ったこと。「本当に繭から着物って作れるんだ!」という驚きとともに、胸にストンと落ちてきた、ある思いがあったそうです。

「なんて説明したらいいかわかりませんが、自然をいただいて、生きているという実感が湧いた気がしました。」(中島さん)

下の写真は、その着物。野村町で採取した五倍子(ごばいし)や臭木(くさぎ)、お蚕さんの糞(ふん)で糸染めしたそうです。なんと、お蚕さんの糞が染材にもなるとは! あたたかみのオーラを感じる、美しい着物です。

中島さん 作品

野村町で研修して、糸づくりへの見方、考え方が変わったという中島さん。「考えて作る」と「感じながら作る」という両方が大切だと思うようになりました。

「絹糸は生き物なので、しっかり考えて作っても思い通りにはいきません。繭に任せて、繭や糸を感じながら作ることで、「こうしなきゃ」という柵(しがらみ)から解放されて、良い糸ができることもあると気づかされました。」(中島さん)


■吉田美保子さんと打ち合わせ

10月31日、中島さんは、吉田美保子さんが開催されていた2人展「あわせ」会場に赴きました。そこで吉田さんの作品を見つつ、今回の糸づくりについての打ち合わせをしました。

着物に使われる絹の糸には、繭から1本の糸を繰り出して複数合わせた生糸(きいと)と、煮た繭を広げて真綿にしたものから糸を紡ぎ出す紬糸(つむぎいと)があります。それぞれに良さがありますが、今回のプロジェクトでは、お蚕さんが吐き出した糸の個性を生かした着物づくりをしたいと、生糸を選んでいました。

この日の打ち合わせでは、経糸(たていと)、緯糸(よこいと)それぞれの太さ、撚糸(ねんし)回数、精練(せいれん)の練り減り率、納期について決め、帰宅して座繰りの本数や合糸本数の組み合わせを検討したそうです。下の写真、左が吉田さん、右が中島さん。

20201104吉田さんと中島さん

花井さんの繭を見て、吉田さんとの打ち合わせを済ませた中島さん。「作り出す糸のイメージが浮かんできましたか?」と聞いてみました。

「打ち合わせ後はまだ、糸のイメージはなかったです。太さなどの設計図が決まっただけです。繭を煮て、座繰りして、綛糸(かせいと)にした段階で、初めて「糸が見える」という感じです。私がどういう糸にしようと決めるわけではなくて、それぞれの繭のもっている個性をいかに傷つけず、そのまま引き出すかということだけに重きを置いています。私はただ糸を引き出すだけで、糸の個性は、繭が決めます。」(中島さん)

「糸の個性は、繭が決める」?
「繭のもっている個性を傷つけず、そのまま引き出す」?
なぜか子育ての極意を聞いたような気がして、私はしばし胸に手を当て、自省しました。

糸を打ち合わせた時のことを、吉田さんはメールで伝えてくれました。「(展覧会)初日に中島さんにお会いできたことは、衝撃的に素晴らしかったです!どんなふうに衝撃的だったかというと、花井さんに会ったときくらいの衝撃です。ふー、言葉になりません。」

どんな話だっだのか。でも、なんとなく吉田さんの気持ちが分かりました。
そんな中島さんの糸づくり、次回からじっくりお伝えしていきます。

下は、「糸づくり篇、突入祝い」のおまけ写真です。

中島さん ポシェット蔵

中島さんの作品です。糸づくりだけでなく、友禅染や縫製の腕がある中島さんが手掛けたポシェット。なんだか面白いでしょ。もっとご覧になりたい方は、下のアドレスからお入りください。


毎週月、水、金曜にアップしている本連載。次回は5月19日(水)です。繭から糸を引き出す座繰りの工程に入ります! どうぞお楽しみに。


*本プロジェクトで制作する作品の問い合わせは、以下の「染織吉田」サイト内「お問い合わせとご相談」からお願いします。


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