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「日本原価計算基準史」⑤「原価計算規則」別冊「製造工業原価計算要綱」

1「原価計算規則」別冊「製造工業原価計算要綱」

 1941年(昭和16年)2月14日の閣議決定に基づき,原価及財務諸表準則統一協議会が企画院内に設けられたことと,物価局の中央価格形成委員会の専門員会である利潤率委員会が合流することに決定したことに照応して,従来商工省総務局に設置されていた財務管理委員会は,委員を追加し,小委員会を付設して,内部組織を改めました。すなわち,当時,それまでの商工省財務管理委員会は,監査に関する本委員会,4つの原価計算小委員会,保険小委員会から構成されていたが,2月27日付をもって以下の小委員会が付設されました(『會計』第49巻第6号,123-124頁)。

 第一小委員会(金属工業原価計算委員会)主査 太田哲三
 第二小委員会(機械工業原価計算委員会)主査 中西寅雄
 第三小委員会(化学工業原価計算委員会)主査 長谷川安兵衛
 第四小委員会(軽工業原価計算委員会) 主査 黒澤清
 第五小委員会(石炭原価計算委員会)  主査 吉田良三
 第六小委員会(利潤率委員会)     主査 佐倉重夫

 1942年(昭和17年)4月,閣令・陸軍省令・海軍省令第1号として「原価計算規則」が公布されました。そして企画院「製造工業原価計算要綱草案」は(以下では企画院「要綱草案」と略称),その別冊「製造工業原価計算要綱」(以下では別冊「要綱」と略称)として法的基礎を得ました。別冊「要綱」の構成と内容は、企画院「要綱草案」とほぼ同一でした。

 なお,企画院「要綱草案」には以下の記述がありました。
「本要綱は原価計算に関する一般的要綱にして其の実施に関しては本要綱を基準とし,業種別経営規模別に各種原価計算準則を定めて実施するものとし…」

  これは商工省「原価計算基本準則」(1933年)でも謳われていた措置であり,ドイツでは「簿記準則」以来,既に実施されていたものでした。企画院「要綱草案」が企画院委員会の審議に上ったとき,「要綱主義」か「準則主義」かの選択が問題となりました(黒澤1943,2頁)。
 「要綱主義」とは,別冊「要綱」の制定を以て直接工業事業場に原価計算を実施させ,業種別原価計算実施手続を法制化しない方針を指していました。一方,「準則主義」とは,別冊「要綱」に基づいて業種別原価計算実施手続を作成する方針でした(黒澤1943,2ー3頁)。

 結果として「準則主義」が採られることとなりました。業種別原価計算実施手続の作成については,各業界の委員および陸軍会計監督官,海軍会計監査官等が担任しました(黒澤1990,438頁)。

 黒澤は,後に当時を回顧して次のように述べています。
「これらの業種別原価計算委員会に参加した実務家たちは,非常に真剣であり,彼らのもてる全経験をわれわれに提供して,二年余にして数百に上る業種別原価計算準則をつくり上げたのであった。
 私は,この偉大な事実を原価計算に関する大規模な実験と呼ぶことにした。1940年代はまさに,大規模な原価計算の制度的実験の時代であった。」(黒澤1980,p. xxv)

  準則整備と同時に原価計算制度の啓蒙・普及のために、1941年(昭和16年)9月に日本原価計算協会が設立されました。同協会編集による雑誌『原価計算』は、1942年(昭和17年)12月に創刊されました。また、同協会は、原価計算に関する研究会、講習会、後援会のほか、「原価計算展覧会」を各地で開催しました。さらに、原価計算係臨時養成所や原価計算相談所が開設された。原価計算運動は、「大規模な原価計算の制度的実験」と呼ぶにふさわしい壮大なものでした。詳しくは、「日本原価計算基準史」シリーズ⑥で取り上げる予定です。

2 「鉱業原価計算要網」

 1943年(昭和18年)4月9日に「原価計算規則」が改正され、当規則別冊として「鉱業原価計算要綱」が制定されました。「鉱業原価計算要綱」の構成は以下の通りです。
第1章 総則
第2章 原価要素
 第1節 生産原価の要素
  第1款 物品費
  第2款 労務費 
  第3款 経費
第3章 原価計算の方法
 第1節 生産原価の計算
  第1款 部門費計算 
  第2款 生産品の原価計算
 第2節 一般管理費及び販売費の計算
第4章 鉱業会計の勘定及び帳簿書類

 「製造工業原価計算要綱」とは別に「鉱業原価計算要綱」が出された事情については、以下のように説明されています。

「元来昭和14年に価格等統制令が出た時分に企画院がつくった原価計算要綱というのは、ここに掲げられたような鉱工業原価計算要綱というものでありました。ところが鉱工業原価計算要綱を検討して行くと、原価要素、減価償却、原価計算の方法の三点で共通性が乏しいことがわかって来た。それで分離せざるを得ないということになって法制上分離をしたのですが、…」(日本会計研究学会1943b、30頁)

 第1章については,「製品」が「生産品」に,また「製造原価」が「生産原価」に置き換えられている以外,「製造工業原価計算要綱」との実質的相違はありません。

 第2章では,生産要素として「物品費」,「労務費」,「経費」が挙げられています。一見,商工省「準則」の用語に戻ったように思えますが,そうではなく,鉱業という業種の特殊性に基づくものです。すなわち,鉱業における原料費は,生産目的物としての原料鉱物そのものであるため,製造工業における外部から購入される加工対象物としての材料費とは性格を異にします。そこで,原料費の他,補助材料等を含めて総括的名称として物品費という概念が適用されました(黒澤1990,445頁)。

 1943年(昭和18年)に開催された「鉱業原価計算」をテーマとする円卓討論会では、「鉱業原価計算要綱」では、すべての費用を「物品費」と「労務費」の2つに分けるのが合理的であるとの意見も出され、「企画院で一通り最初につくった試案ではそうなっておったのですが、この試案は明るみに出ないで消え去ったわけでした。」というエピソードも紹介されています(日本会計研究学会1943b、38-39頁)。

 業種の特殊性による「製造工業原価計算要綱」との相違としては,他に,減価償却方法があります。

「製造工業原価計算要綱」
「減価償却は定額法に依る。但し業種に依り必要あるとき又は固定資産の性質上之に依り難きときは定率法に依ることを得」(第2章,第1節,第3款,第16,8)

「鉱業原価計算要綱」
「固定資産の減価償却は生産高比例法、定率法又は定額法に依り計算することを原則とす」(第2章,第1節,第3款,第16,7)

 定率法と定額法の他,生産高比例法が認められている点が特徴です。上掲の討論会では、生産高比例法適用の前提となる「経済的採掘可能鉱量」や探鉱費、試掘費の処理等についての原価計算実施上の難しい問題が多々取り上げられています。

3 改正「原価計算規則」

 「原価計算規則」は,1932年(昭和17年)4月1日に公布された後,1943年(昭和18年)4月9日,同年11月15日および1944年(昭和19年)5月15日の三回小改正が行われました。
 1943年4月9日の改正の主要な目的は,前述の別冊「鉱業原価計算要綱」を制定することと,「会社固定資産償却規則」第五条に定める固定資産の耐用年数を「製造工業原価計算要綱」に準用することでした。
  1943年(昭和18年)10月30日に,最後の企画院財務諸準則統一協議会が開催され,そこで「原価計算制度の刷新簡素化に関する件」が決定されました。それは以下のような内容でした。
 ① 原価計算制度の目的の明確化
 ② 原価計算の簡素化
 ③ 前各項の措置を確保するための「原価計算規則」の改正

 これを受けて,1943年11月15日には,「原価計算規則」第2条が以下のように改正されました。

「第2条 主務大臣原価計算を為すべき事業の範囲及原価計算を開始すべき期日を指定したるときは当該事業主は別冊製造工業原価計算要綱又は鉱業原価計算要綱に基き原価計算を為しべし。但し主務大臣の許可を受けたるときは原価計算の開始の期日延長することを得。主務大臣必要ありと認むるときは前項の規定に拘らず製造工業原価計算要綱又は鉱業原価計算要綱に基き業種別原価計算準則を定め,之に基き原価計算を為さしむることを得」

 改正前は,「製造工業原価計算要綱」に基づき業種別又は業種の経営規模別に定められた準則に基づいて行う必要がありましたが,改正後は,「製造工業原価計算要綱」又は「鉱業原価計算要綱」に基づき直接,原価計算を行い,改正前は主務大臣に提出が求められた実施手続も,工場事業場に備えればよいとされました。その分,会社の自由裁量の余地が広がりました。すなわち,「この改正案は,大体において準則主義から要綱主義への復帰を示す」ものでした(黒澤1943,13頁)。
 1944年5月15日には上記「原価計算制度の刷新簡素化に関する件」を受けて,「製造工業原価計算要綱」と「鉱業原価計算要綱」が改正されました。  
 前日14日の情報局発表による要綱改正の要旨は以下のようなものでした。  
 ① 原価計算が製品の一定単位に要する価額計算のみなりとの誤解を一掃
  し,物量計算と価額計算との一体的総合計算体系たる点を明確化すると
  共にこれに関する規定を整備,経営能率増進に積極的に寄与せしむるこ
  ととした。
 ② 現段階における原価計算の使命に鑑み,必要な個所は強力に実施する
  が,さして重要でない点に関する画一的規定はこれを廃し,弾力のある
  運用を図る余地を大ならしむるとともに,計算手続は事情の許す限り簡
  素化した。
 ③ 会計の勘定及び帳簿書類の細目に亘る規定を削除して実情に即した指導
  をなし得るようにした。

 上記の3点について,改正「製造工業原価計算要綱」では,以下のような変更が行われました。まず,原価計算の目的が以下の規定に変わりました。

「本要綱に依る原価計算は製造工業に於ける経営の実体を計数的に把握し,以て適正なる価格の決定及び経営能率の増進の基礎たらしむることを目的とす」(第1章 総則,第1)

  改正前の「正確なる原価を計算し」という表現が「経営の実体を計数的に把握し」に変えられました。その意義として,当時の解説では「経営経済計算の立場からは計数的とは必らずしも金銭的計算表示のみに限らず物量的計算表示であっても何等差し支えなく」(宮崎1944,34頁)と説明されています。
 上記2点目に関連した変更点としては,改正前には製造指図書については業種別準則に規定が置かれていたため,「製造工業原価計算要綱」本体には規定がありませんでしたが,改正後は「製造工業原価計算要綱」本体に製造指図書に関する規定が加えられました。

 また,上記3点目に対応して,「第4章 工業会計の勘定及帳簿書類」のうちの「工業会計と原価計算との関係」の項目だけが,「第1章 総則」に移され存続しましたが,「勘定組織」と「帳簿書類」については完全に除かれました。

 その他,改正前の「第2章」のタイトルが「原価要素」が「種類別原価計算」に変えられる等,幾つかの変更が行われました。

 「原価計算規則」およびその別冊「製造工業原価計算要綱」によって整備された原価計算制度については,戦後,消極・積極、両方の評価がなされました。前者としては以下のものがあります。
「強制であったから業者の創意工夫は完全に封殺された嫌いがある。規定の表面からする時は業者の自由裁量は広大であった筈であるが監督の便宜からして殆ど画一的な取扱いを受けた。例えば間接費の配賦に於いて多年業者が機械率を以て正しい方法であると信じ且つ得た答も充分自己を納得せしめるものであったにしても,規定するところが工数を基準として配賦せよと命じおる時は之に盲従せざるを得なかった如きである。従ってあくまで従前の方法に愛着を感じおるものは経営用には機械率を用い,提出書類には工数率によるものを提出していた。総合原価法を適用すべきか個別原価法を適用すべきかの問題,或いは仕掛品の評価法について或いは本社費の配賦法等々について同一のことが言える。」(大倉1950,87頁)

 後者としては以下のものがあります。
「現代の原価計算理論および実務において一般に慣用されるにいたった原価計算に関する用語の多くも,ほぼこの要綱に由来するといってさしつかえないようである。
 (略)
 原価要素の三要素の名称が,材料費,労務費および経費として確立したのは,この『要綱』からであって,これまでは,材料費を物品費と呼んだり,労務費は労働費と呼んだりするごとき用語の安定性が欠けていたが,この要綱によってはじめて確定するにいたった。これはきわめて些細な問題にすぎないようにみえるけれども,原価計算における言語の安定がみられ,そしてそれが戦後の『原価計算基準』に引きつがれることになったのであるから,些細な問題として閑却するべきでないと思う。」(黒澤1990,439頁)

 当時の原価計算では、間接的価格統制と直接的価格統制は,いずれも原価計算を活用しますが,原価計算を(a)原価比較による経済性の管理目的(間接的経理統制)と(b)公定価格決定目的(直接的経理統制)とに分けて整理すると,その特徴は以下のようになります。
(a) 間接的経理統制~後計算中心,利子を原価に算入,正確性重視,部門計算を重視
(b) 直接的経理統制~前計算中心,利子を原価から除外,適正性重視,部門計算は最小限

 「製造工業原価計算要項」は両者を一挙に目指そうとするものでした。これに対しては,当時も以下のような評価がなされていました。
「原口 『基礎タラシムコト』というのでありますが,本来価格決定の基礎の原価計算と能率増進のためにする基礎の原価計算とには若干相違がある。両立するものではない。だから『及び』としているのであって,これから価格を決定しようという基礎のはその1つであって,それに若干の増減を加えてやる。経営能率にそういう風に若干の斟酌を加えてやろう。こういう風になればひっついていく。この点は従来から始終問題になっているし,今日でもそう思っている。
 黒澤 こういう規定をおいた以上は,『製造工業価格決定要綱』と『経営能率に関する要綱』というようなものが別に制定されなくてはいけないのですね。ドイツの場合に前例があるように価格決定要綱と共に経済性告示があるというようにいけば,よくわかるのですね。」(日本会計研究学会1944(1),33頁)

 その矛盾なり,不備は,当時既に十分認識されていたことが分かります。

文献

大倉義雄1950「原価計算の再認識」『會計』第57巻第2号。
黒澤清1943「原価計算制度の『合理化刷新』に就いて」『會計』第53巻第5号。
---1980「中西寅雄と日本の原価計算」(中西寅雄1980『中西寅雄 経営経 
 済学論文選集』千倉書房所収)。
---1990『日本会計制度発達史』財経詳報社。
日本会計研究学会1943「〈円卓討論〉鉱業原価計算要綱」『會計』第53巻第
 6号。
----1944 「〈円卓討論〉改正製造工業原価計算要綱に就いて(1)」『會
 計』第55巻第1号。
宮崎正1944「改正原価計算要綱に就いて」『會計』第54巻第4号。

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