隣の芝生はラメ入りのピンク

2022年8月の中旬から2023年5月の中旬まで、私はアメリカにいた。
留学していた。

数えるとざっと270日、初めての海外での生活は壮絶だった。

小さい時から海外での生活に憧れていた自分にとって、この留学は10年来の夢が叶ったキラキラしたものであるはずだった。

青い空、広い土地、自分の知らない人しかいない世界で一からコミュニティを作る。
希望に満ち溢れた入国だった。

実際はそんなことはなかった。
空は広すぎるし、土地はデカすぎる。自分のことを知らない人たちは自分がまだ上手く使いこなせない言語を母語として喋っている。
言うなれば、全員エミネムレベルの速さで話しかけてくる。

何も聞き取れず、勢いづいていた最初の1週間で全ての自信を喪失して、ルームメイトとその周りの友達以外の現地の友人はできなかった。

私は自称ギャルで、身なりだけはずっとギャルでいようと、金髪は美容院に行って整えていた。
アメリカでも続けた金髪は私の命綱だった。

学校との約束で常に成績は上位でなければならなかった前期は、睡眠障害でほぼ毎日3、4時間しか寝れなかった。

一向に消えないクマは、コンシーラーとグリッターシャドウでごまかした。

眠れない恐怖、迫っている日の出、迫っている始業時間。無遅刻無欠席に加えて、ほぼ満点の成績を求められるプレッシャーは重すぎて何度も潰されそうになった。自分と同じ条件を抱えて学んでいる日本人はいなくて、みんな半年で帰るか、もう条件をクリアしている人ばかり。

みんなキラキラして見えた。
周りは私ほど帰国を望んでいなかったし、アメリカが好きだとさえ言っていた。

ただ、私の目には光がなかったらしく、毎日誰かに「疲れてる?大丈夫?」と聞かれた。毎日"I'm fine."だったけど、寝れないとか説明するのがめんどくさくて、毎回"I'm good."と答えていた。

最低条件のクラスに入れなかったとわかった瞬間、川に飛び込んで全て終わらせようとしたあの日から、私の目に映る他の人たちは1人残らずギラギラしていて、その人たちの生きる世界は私の地味で不健康な庭とは違った。

こうして私は、地味で枯れかけの庭で残りの260日を過ごすギャルになってしまった。

宝物のスーパーボール

スーパーボウルじゃなくて?て思うかもしれない。
スーパーボールです。

この宝物のスーパーボールは、私が一生忘れないって思った、枯れかけの庭をキラキラでかわいい庭に戻してくれた日に大好きな人からもらったもの。

2022年11月20日、私はロングビーチに1人で旅行に行った。海を見て、たくさん日本人に会えた(ほぼ知らない人だけど)。

その日は、コンベンションエリアで、COMPLEX CONというポップカルチャーのイベントがあった。
2022年のホストはVerdyさんで、Verdyさんの繋がりでたくさんの日本のブランドが出店していた。

そこに出店していた中には自分が知ってるブランドも、好んで着ているブランドもあって、夢みたいな空間だった。

そこで新たな出会いとかもあって、自分が日本人でこういうイベントにアメリカで参加できたことができてよかったと思ったし、絶対忘れないと思った。

宝物のスーパーボールは、CREATIVE DRUG STOREのディレクターでラッパーのBIMさんがくれたものだ。自分はBIMさんのワンマンのグッズだった証明写真をスマホケースに挟んでるほど大好きだったので、本当にお会いできただけで幸せだったのに、「ワンマン行きました!!!!」て伝えたら、「じゃああげるよ」って飾ってあったBIMさんの顔がプリントされてるスーパーボールをくれた。

間違いなく、自分の人生の中で忘れられないほど、キラキラしていた。
ずっとずっと忘れられない高揚感が、写真を見るたびに蘇る。

この瞬間がずっと心に残り続けていたことに違いはないのだが、途中でHIPHOPが聴けなくなるほど、落ち込んでしまった。私の人生はメンタルカスちゃんねるの提供でお送りすることになってしまった。

提供:メンタルカスちゃんねる 協賛: J-Rock

リリックに英語が入ってることが多いラップは自分の庭を枯らす要因にもなってしまって、途中からめっきり聴かなくなった。

代わりに狂うように聴いていたのが、J-Rockだ。エッセイに死ぬほど出てきているヤングスキニーをはじめ、関連アーティストを片っ端から食わず嫌いせずに色々聴いた。

この時期にバンドを聴きまくったことは帰国してからの私のスケジュールに大きく影響した。

全然関連じゃないバンドも聴いたのであたしはとんでもない雑食になってしまった。



もう出国からも、宝物をもらった日からも1年が立ってしまい、記憶も薄れつつある。

多分これを書いてた時はもっとホットでグッドな感情だったのだろうが、残念ながらあのホットさも薄れてしまった。別に書くこともない。

苦しかったことも多かった、というか苦しいことしかなかったが、それもいい経験だった。

隣の芝がラメ色の可愛いピンクに見えていたあの頃、あたしはドブ色の日々を過ごしていたが、結局帰国したら、自分の世界にも彩度の高い色が戻ってきたのでそれでもよしとする。

あの当時聴いてたバンドの曲は、またいつか一個noteを書きたいと思ってる。

実際にライブを見て大泣きするほど、いいバンドにたくさん出会えたので。

そういえば、CDSのフリーライブ、当たった。

この日ぶりにBIMさんに会う。ライブを見るのは2022年のワンマンぶり。楽しみ。



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