無題、酔い。

noteお久しぶりかもって思ったら12日前に書いてました。
酔っ払っています。なのに、ケータイじゃなくてパソコンで書いてます。


朝起きて、最悪なnoteだったら、消すかも。

今日はサークルの同期と飲みました。あと二日でやめるバイト先に遊びに来てくれて、終わったあと飲みに行きました。私は酒雑魚だから、6杯くらい飲んで普通にトイレで潰れかけ嘔吐。ふう。最悪でやばい、既に最悪なnoteかも。

帰り道、リリースされてから、あり得ないほどにずっと聴いてるKOHAKUの新譜のアイボリーを雨の音が聞こえなくなるくらい大きな音で聴きながら帰って、おうちに着いてこれを書いている。

KOHAKUさん、とっても優しい歌をくれる、大好きなバンドです。
ここまで熱中するなんて、出会った1年前には思っていなかった。日々進化し続ける彼らのライブからは目が離せないし、ずっとずっと優しい歌をくれるから、私自身も優しくなれる。

新曲のアイボリーの話でもしましょうか。
この曲を初めて聴いた、琥珀の春、若月樂っぽい歌詞だなと思いました。”平熱をぶら下げる小さな午後”とか、一番と二番での歌詞の対比とか、あえて”景色に耳をすませ”るところと”居間の音に目を凝ら”すところとか。歌詞を見て『あぁ、樂ちゃんだな』と思ったのは、”言葉にできないことは詩にして”なところ。聴いているときは、歌だと勝手に思っていたけれど、詩なのがとても若月樂を感じた。
”詩” と調べると、「文芸の一つの形態。人間生活・自然観照から得た感動を、一種のリズムをもつ言語形式で表したもの。」と出てくる。逆に、歌は「拍子と節をつけて歌う言葉の総称」と出てきた。樂にとって、言葉にできないことはただの歌ではなくて、もっと特別な詩として残したいのだろうなと勝手ながら解釈した。

この曲は、KOHAKUの優しさを最大限に表現したものだと思っていて、とっても優しくてでも少し切なくて、その優しさは相手を想うが故のものなのだと感じる曲だなと、思った。歌詞や歌のメロだけじゃなくてドラムやベースの音にもその優しさは滲み出ていて、メンバーの優しさを体現した、優しい楽曲だなと思った。

言葉にできないこと、たくさんあって、でも本当は伝えたいこともたくさんあって、私は詩にする才能なんてないから、いつもいつも手紙で伝えている。目を見ていうことはできないけれど、なんか手紙なら素直になれる気がする。

私の生活に君自身が寄り添ってくれることはないのかもしれないけれど、君の音楽が、君が生み出した音楽が、ずっとそばにいてくれる気がして。
言葉にできないことを、手紙にして、文字にして、あなたが捨てない限りずっとあなたのお守りのような存在であるように、そんなのほぼ呪縛で気持ち悪いね、じゃあもう捨ててもいいよー。
私があげたものも全部、消耗品以外捨てちゃっても、もう怒らないからさ。

今までたくさん迷惑をかけてごめんね、ありがとう、たくさん優しくしてくれて。
もうこれからは無理に優しくなんてしなくていいのよ、ありのままのあなたがいいのよ。私たちにもともときっと優しい未来なんてなくて、あなたの優しさを私が享受する日々で。それでもいいと思っているから、私は昨日も今日も明日も明後日もあなたが好きなのよ。私が投げた言葉を素直に受け取る必要なんて全くなくて、都合のいいように解釈すればいいし、届かないまま全部捨てちゃっても、それはそれで正しい選択だと思うの。

だってあなたについていくだけの私だから。

変わらない2人の生活、交わらない私たちの生活、それで良い生活。
あなたの優しさで絆される日々。それで良い日々。

私が決められる、私の人生、きっと綺麗な真っ白ではないけれど、真っ黒では決してないわ。少し霞んだ色でも、私が綺麗だと思えるその色の人生私は愛していきたいと思います。

あなたに出会って少し綺麗な色になりました。ありがとう、だいすきだよ。

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