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ベルリン(ドイツ)①<旅日記第42回 Nov.1995>

 ついにベルリンにまできたかーー。

 わたしたち日本人にとってのベルリンという都市のイメージは、ヒトラーと、かれが率いたナチスドイツの持つそれを切り離すのは無理だ。アンネ・フランクの隠れ家のあったオランダのアムステルダムで、そして、チェコのプラハのユダヤ人街で、ホロコーストのポーランド・アウシュビッツの強制収容所、ワルシャワという都市の破壊等々で、何度もドイツの過去と向き合わざるを得なかった。

[旅に持参していた手帳のメモ=1995年10月30日~11月5日]

1995年11月の手帳

 そのドイツの東西統合で、東西に分断されていたベルリンが一つとなり、1989年に再びドイツの首都となってまだ6年と日が浅い時である。ベルリンの壁で分断されていた東ベルリンと西ベルリンの街並みの差は歴然としたままだった。 ベルリンという都市は、どのような表情で、わたしを迎え入れてくるのだろうか。

どうも、街の様子がおかしい

 まだ朝の暗い内に通ったポーランドとドイツの国境越えから、ベルリンに到着するまでには随分と時間を要した気がする。ベルリン行きに乗っての終着だから、降りた駅はベルリンのはずだが、街の様子があの「大ベルリン」ではない。

 街に出てもどこか閑散とした感じがする。プラハの新市街をふらついたときの印象と同じだ。人がいない。建物もそっけない。「ここはベルリンか?」。たまに歩いてくる人をつかまえ、「ベルリンへはどうやって行けばいいのか」と尋ねるも、言葉が通じない。そうか、東西ドイツは統合したが、ここは、旧・東ドイツの側のベルリンなのだ。

「西ベルリン」に行かなくては・・・

 わたしが、というよりも、たいがいの人がイメージしているベルリンはブランデンブルク門など「ドイツの栄光」をシンボルする力強さを基調とする建築物が残る都市計画の行き届いた市街だ。そうか、「西ベルリン」に行かなければならない。

 さてと・・・。

 街の人に聞き始める。

 「西ベルリンへはどうやって行けばよいのか?」

 「・・・・・・?」

 「・・・・・・・」

言葉が通じない。

もしかしたら「西ベルリン」という概念が存在しないのかもしれない。

「西ベルリン」の玄関口は、“動物園駅”だった。

 Sバーン(S-Bahn)と呼ばれる市内鉄道か、Uバーン(U-Bahn)と呼ばれる地下鉄でたどり着いたのだろうか。「西ベルリン」の中央駅は、「ベルリン動物園駅 (Berlin Zoologischer Garten)」という名だった。

 アメリカのワシントンの地下鉄駅に、パンダが人気の動物園に最寄りの「ZOO」駅というのがあるが、あのベルリンの中央駅が「ZOO」駅なんてちょっとイメージが違う。

 やっぱり、統合ドイツとして、それでは国の威信にかかわると思ったのか、わたしの旅から10年後の2006年5月にベルリン中央駅(Berlin Hauptbahnhof)が開業している。いまだったら、ベルリンへ行くとき、「動物園?」などと戸惑うことなく、駅前に降り立つことができるはずだ。

 広々とした道路を歩くと、「動物園駅」というかわいらしさはどこかへ消え、1866年の対オーストリア戦争、1870~71年の対フランス戦争の勝利を記念して建てられたという戦勝記念塔やブランデンブルク門など国家の栄光を見せつける記念物が多い。日本でいう皇居前のようなエリアを歩いているのだから当然のことか。

 一通り歩くと、少々、騒々しい街中がこいしくなり、ドイツビールのジョッキを傾けていた。

 泊まるところに行くにはまだ時間がたっぷりとある。

              (1995年11月5日)

                          (つづく)

てらこや新聞第126号 2015年9月15日

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