<旅日記④ Sep.1995>クアラルンプール(マレーシア)


クアラルンプール編 【道路横断に見る東西比較】

 バスの窓は、ギラギラした太陽光をさえぎるため黒っぽいシールの色だったが、今、まさにそこに差し掛かるマレーシアの首都・クアラルンプール都心の風景はきらきらに輝いて見えた。造形美あるカーブのハイウエイが広々と確保され、摩天楼に吸い込まれていく。しかし、なぜだか、ハイウエイの出口付近には人が立ち止まってクルマの流れが途切れるのを待って横断しようとしている。それが、一人や二人ではなく、あっちにもこっちにも、である。片側3車線もある高規格道路を横断するなんて無謀だとは思った。が、バスから降りたわたしもかれらと同じことをせざるを得なくなる。

 マレーシアは、マレー人と華人、インド人を中心に構成される国家。イスラム教を国教とする。仏教寺院なども点在するが、ここはイスラムの国。ことにクアラルンプールは、まちなかのモスクが都市景観の中に重要なアクセントを造っていて、高層ビル群とのバランスが魅力となっている。そんなクアラルンプールには一度は訪れてみたいとは思っていたが、実際に訪れてから17年たついま覚えているのは道路の横断のことだけだ。どうも申し訳ない。

 人口は東京の10分の1であるせいか、この都会にはさほど密集感はなく、超近代的に開発された人のいない歩道を悠然と歩いた。しかし、突然に歩道の先がなくなってしまい、広い車道を横断せざるを得なくなるところが所々にあった。「こういうことだったのか。」バスの中から見た道路脇に立つ人々の事情が呑みこめた。向こう側に行くにはとにかく広い車道を渡らなければならない。おそらく、都市の近代化を急ぐ中、古い街を寸断し、超近代的な都市インフラを整えたせいで、そこに暮らす人々の日常は後回しにされてしまったのだろう。日本を含めたアジア型の開発の中には生活道の分断はありがちなことだ。

 しかし、それだけではなかった。

 宿泊は、陽のまだ明るいうちに、古い街中の中華街の棟続きの一角にあるゲストハウスの2階の部屋に落ち着いた。夕方、部屋の窓から外を眺めていると、白杖をついた目の見えない人々が10数人はいただろうか、街角の信号のない小さな交差点に立って、道路を横断しようとしている。ホテルの前が目の不自由な人の訓練センターだったのだ。そこから出てきた人たちが、家路につくには、小さな丁字路を渡らなければならないが、右折、左折してくるクルマが後を絶たない。止まるクルマはないので、目の見えない人々がそれぞれ自分の勘にまかせ、クルマが来ていないタイミングを測って交差点へ突入していかなくてはならない。スムーズに横断できた人と、なかなか、道路に突入できずにうろうろしている人と・・・。

 この出来事をきっかけに、クルマの運転に許容されている社会的なコンセンサスは、クルマを運転する者の、歩行者に対する配慮が欠けているという個々のマナーの問題というより、国・地域によってかなり違うらしいことに気づいた。

 クアラルンプールでは、それが昂じて、途中で歩道の切れ、ここから先はこの道路を横断せよと言わんばかりの構造となっている高規格道路となる。では、日本にそれがまったくないかと言えばそんなことはない。歩道の途中で点字ブロックは消えて無くなりこれから先はどうしろと言うのだという所はあるし、信号のない横断歩道でクルマが止まってくれずに渡ることのできない歩行者。ホーチミンやハノイといったベトナムの大都市では、自転車とバイク、クルマが一斉に車道をラッシュしてくるので歩行者はその間を上手にするり、するりと横断する術を身につけている。クルマは止まってくれないものであることが社会のコンセンサスとなっている。

 それとは別に、アメリカの西海岸の都市でクルマの歩行者に対する配慮の行き届き度の高さに驚いたことがある。歩行者として信号のない横断歩道に差し掛かると、手前のクルマ、そして、センターラインの向こうのクルマがさっと止まってくれる。偶然ではなく、それが当たり前なのだと気づき、驚いたものだ。もちろん、世の中には例外というものがあってロサンゼルスの危険地帯では警察官の検問を強行突破していくクルマを見たことがあった。が、あれは“法の外”で生きている人たちだ。

 比較する尺度となるのは、社会の中でフツウに生きている人々の意識の共通項がどうなっているかによって、その国や地域のマナーの一般像を見ることができる。それが社会のコンセンサスということになる。

 クルマの歩行者へに配慮という領域の序列に見る限り、アメリカ・カナダ地域に高い得点を付けたら、日本はそれをはるかに下回り、大陸アジアはさらに・・・という序列にならざるを得ない。それが、社会の成熟度合いとともにどっちへ向かっていくのかは、それぞれの国・地域の人々のコンセンサスしだい、だ。

 以上、お話は、いまから17年前の1995年のことだから、「いまはそんなことはないよ」と最新事情をご存じの方は、昔話として大目に見ていただきたいが、日本においても当時と今とで交通マナーなど国民性にかかわることには変わったとは思えないので、それほどの違いはないと見てはいる。

               (1995年9月5日~7日)

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