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クラカフ(その二)<旅日記 第35回 Oct.1995>

 トーマス・クックの時刻表

ヨーロッパの鉄道を乗りこなすには、イギリスを代表する旅行会社トーマス・クック社発行の時刻表(ちょっと分厚い本)が欠かせない。ヨーロッパ全域に張り巡らされた国際列車(インターシティ)のダイヤがびっしり網羅されている。これ一冊があれば、ヨーロッパ鉄道はとても便利に活用できる。たまたま名古屋の本屋さんで見つけ買っておいて本当に役立った。

 この時刻表を手に、すっかり暗くなった1995年10月29日の夕方、ポーランドの古都クラカフの駅の切符売り場に並んだ。翌日の朝、ワルシャワに向かうためだ。

「ちょっと見せてもらっていいかな」

わたしの真後ろにいた、着こなしばっちりのヤッピーな青年が話しかけてきた。わたしの「トーマス・クック」を仲間同士で見て列車の時刻を確認している。

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「ポーランド語、話せる?」

「ところでキミはポーランド語を話せるの?」。

もちろん、話せない。

「切符を買うとき通訳してあげるよ。どこへ行くの?」。

 かれは、イギリス人。10人以上仲間がいた。20~30代の男女だが、雰囲気がただものではない。社会主義国家でなくなったばかりの、1995年のポーランドでは、若い人たちのファッションはやぼかった。そんな中、ここにいる一団はとてもお金のかかっていそうな洗練された服装をしている。

 みんな、イギリスの大学の若手研究員で、政府間の約束で資本主義国家になろうとしたばかりのポーランドを文化的に支援することを目的にポーランド各地の大学などに長期派遣されている人たちだった。ふだんはポーランド全土に散らばっているが、ミーティングがあってクラカフに集合したということだ。皆、わたしと同様、翌日の乗車券を買いに来ていた。

 イギリスの若手学術会議のメンバーたちとカフェに

 『トーマス・クック』を持っていたおかげでこのイギリス人たちと知り合い、みんな連れだって行くカフェに誘われた。この中で比較的年長に見え、帽子とコートがとてもシックにきまっている女性が話しかけてきた。イギリスのテレビドラマで上流階級が話す英語だ。生で聴くのは初めてだ。その品格にこころがふるえた。

 イギリスの自宅に医学部に学ぶ日本人がホームステイしたことがあるということで日本人であるわたしに話しかけてくれた。わたしがイギリスに行くときに立ち寄らせて もらってよいかと話すと、「わたしたちはとても忙しいの」とやんわりと断られた。

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 夜のカフェは華やいでいた。ここにいる人たちにふさわしいおしゃれな雰囲気だった。その中に紛れ込むように席についた。美しい英語が 奏でられ、心地よい思いをした。

親切なジョナサンと友達に

 メンバーの中で、いちばん若い男性、ジョナサンと、かれと仲の良いもう一人の男性が、フレンドリーでやさしかった。ジョナサンは、わたしが次に向かうワルシャワの大学で西欧政治学を教える任務に就いており、FM局で政治のことを解説する英語番組を持たせてもらっているのだという。名前を書いたメモが見つからないもう一人の男性とジョナサン、そして、わたしは、あす、号車が異なるが同じ列車に乗る。

 翌朝、クラカフを10時15分発の列車。ワルシャワが近づいていたころ、ジョナサンら2人がわたしの席までやってきた。名前のわからないほうの男性が「イギリスに行くのだったら、スコットランドに行ったほうがよい。ぜひエディンバラへ訪れてほしい。ほんとうに美しい都市だから。エディンバラに行ったら、この人に電話をしなさい。とてもいい人だから。遠慮せずに。わかった?ほんとうにだよ」

 それを言うために別の車両から歩いてきてくれたのだった。

 ワルシャワに住んでいるジョナサンは、自分の部屋の電話番号を教えてくれ、わたしの滞在中に街を案内してくれる約束をして、ワルシャワ中央駅で別れた。     (1995年10月29日~30日)

        「てらこや新聞」118号 2015年 02月 17日

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