町山智浩さん、誹謗中傷をやめてください。

 町山智浩さんの佐々木俊尚さんに対する中傷が止まらない。かれはTwitterでこのように発言している。

安倍政権に対する批判のなかで病気などを揶揄したものはほんのわずかで、大部分は政策批判です。しかし、佐々木俊尚はわずかな病気揶揄だけを取り上げて、政権批判があたかも誹謗中傷ばかりであるように印象操作してるんですよ。そんなの読めばわかるでしょう。

https://twitter.com/TomoMachi/status/1277423493785587712

数々の無責任や政策や人事、改竄、公選法違反などで現政権が批判されているのに、「悪口はエンターテイメント」などと決めつけて、政権批判をネットの誹謗中傷へと矮小化をはかる、佐々木俊尚のいつものステルス・ファシストしぐさ。

https://twitter.com/TomoMachi/status/1277296817328123904

 現代社会において、人を「ファシスト」呼ばわりすることは最も強い非難に含まれることだろう。もし、その言葉に根拠がないとすれば(わたしはないと思うのだが)、それは最悪の中傷である。町山さんの態度はあまりにも卑劣だ。

 もっとも、人によって文章の感じ方は違うことはたしかである。問題の記事は以下から読めるので、ほんとうにこの記事でそのような「印象操作」が行われているのか、そして、「そんなの読めばわかる」のかどうか、ぜひ、ご自分で読んで確かめていただきたい。

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/73222

 ちなみに、5ページの記事のなかで、安倍首相の病気に触れた個所は最初の1ページのみである。わたしには、この箇所をどう読んでも「わずかな病気揶揄だけを取り上げて、政権批判があたかも誹謗中傷ばかりであるように印象操作して」いるとは思われなかった。

 あるいは「わずかな病気揶揄」だけを取り上げることそのものが印象操作だ、ということなのかもしれないが、たとえ数は少なくとも(わたしにはとても「わずか」とは思われないのだが)、実際にその「揶揄」が存在する以上、それを取り上げて問題視することが否定されるべきだとは思えない。

 もし、それが「印象操作」にあたるとすれば、だれであれ公人や有名人に対する中傷は「相対的に数は少ないのだから印象操作になる。取り上げるべきではない」ということになってしまう。それでは有名人のほうはたまったものではないだろう。

 続く2ページ目にはたしかに「悪口はエンターテイメント」と語った箇所があるが、これは「昔から人々は著名人に対する悪口をエンターテインメントとして楽しんで来た」というごく当然の内容であり、それがどうして「政権批判があたかも誹謗中傷ばかりであるように印象操作して」いることになるのか、わたしにはさっぱりわからない。

 わたしの読んだところ、どこにもそのような「印象操作」の個所は実在しない。もしあるというのなら、具体的にその個所を指摘してほしいところだ。

 町山さんはどうやら実在しないものが見えてしまうようである。人間、独善と逆恨みをこじらせるとここまで認識が狂うのだろうか。何か空恐ろしい気がしてしまう。

 もっとも、「印象操作」という言葉は、あくまで「印象」の問題であるから、具体的に該当箇所を指摘できなくても、「自分はそういう印象を受けた。そうなるよう操作しているのだ」といいはれば通るのかもしれない。

 しかし、そのような曖昧な「印象」を元に人を口汚く罵倒することは誹謗中傷であり、名誉棄損としかいいようがないだろう。人間として最低のルールすら守れていないと感じる。いったいこの人はどうしてしまったのか。それとも、元からそのような性格なのか。

 かつて、ぼくはかれの映画『万引き家族』に対する虚偽発言を指摘し、批判した。

https://note.com/kaien/n/n5acedb58d58d

 それを佐々木さんが取り上げてくれたのだが、町山さんの佐々木さんに対する中傷攻撃はその後から始まっている。つまり(本人はべつの理由を並べているが)、かれの攻撃はそれなりの「正義」に偽装してはいても、ただの逆恨みなのだ。

 あきらかな私怨にもとづき、公然と、一方的に人を侮辱する。どうやら、町山さんの自制心はもう取り返しのつかないところまで来ているようだ。人の名誉をたしかな根拠もなく侮辱することは人間として最低最悪の行為である。

 あるいは、かれのなかでは邪悪な「アベ」を少しでもかばうような言説は絶対悪になっているのかもしれないが、現実社会はそのように単純な構造になっていない。たとえ失政が続く政治家であっても、何をいっても良いということにはならないのだ。

 かれにひとかけらでもまっとうな良心があるのなら、その独善の闇から踏み出し、自身の発言を反省することを求めたい。まあ、それがほぼ不可能だろうと思うから、こうして記事を書いて批判しているのだが。これが、自己欺瞞を抱えた人間の末路である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?