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言葉にするとかしないとか

なんで人間だけが言葉を使うんだろう。

言葉は、物事への輪郭を与えること

内から生み出す言葉は難しい。
ノートいっぱいに文字を書いても何にもならないこともある。
文字を書こうとしても何も出てこないことさえある。
言葉にできないのは、自分の中の語彙を超えてしまって、どう表していいかわからないから。
むりやり形にするならば、洪水のようになってしまって、つかみ取ってもばらばらと落ちてしまう。
言葉にしないのは、言葉にして実感すると、形になって目の前に現れて認識せざるを得なくなるから。

無理に言葉にしなくても、無理に知ろうとしなくても、いいのかもしれない。
言葉にしなければ、何も感じようとしなければ、落ち込むことも傷つくことも考えすぎることもない、私の目指す穏やかさを手に入れられる。
でも、言葉を失くした記憶の世界は、全てがぼんやりとして、ふわふわとして、思い出せず、感じ取れず、理解しきれず、まるで花曇りのような世界になってしまった。
楽だけど、少し悲しい。優しいけれど、少し寂しい。

「楽ばっかりしていると、無知になるよ」

他人にも、世界にも無関心になったら、私は多分一人ぼっちになってしまう。

言葉は、人と人をつなぐ線

見たことや感じたことを伝えるために言葉を無視することはできなかった。
人からもらう温かく鮮やかな言葉に何度も心が揺さぶられた。
傷ついたことの何倍も大きな波に包まれるから、
自分もまた誰かの力になりたいと思ってしまうから、
やっぱり私には言葉が必要なんだと思った。
私は人と繋がることが好きで、言葉の力を信じている。

つなぐために、わかるために、言葉を探す。

灰色で塗り固めた世界は無機質で、静かな世界かもしれないけれど
泣いたり笑ったり、毎日違う色で染まるような世界はずっと若くて可愛いのかもしれない。
自分の中で何でも整理がつくようになってしまったら、世界はもっと単調な色合いになるだろうか。
でももしかすると、いつかすべて色褪せてしまうのかな。

ああそうだね。世界の色付けは、私の持てる言葉次第でどうにでもなるんだね。
それだったら、私はできるだけ優しくて暖かい色を選ぶよ。
白の余白も大事にするよ。
誰かと一緒になったときには、きれいな色に混ざるように。
穏やかだけど決して寂しくはならないように、単調な原色だけで塗りつぶしてしまわないように。
二極化ではなく、グラデーションを大事にできるように。

真っ白だったところにどんどん線が増えて、形が見えて色がついて、それらを描く道具を手に入れて。
また新しい一ページをめくって、描く。

たとえ色褪せてしまうとしても、いつまでも変わらないコンクリートより、味が出るセピア色の方が私は好きなんだと思う。

だから、やっぱり言葉にしよう。
人間だけができること。
「あのね」に耳を傾けること。
あなたにわたしが話すこと。

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