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看護の日に想うこと

夜勤が終わり帰宅途中

公園のバラがとてもきれいだった。

そんな季節になっていた。


2020年 5月12日

看護の日

フローレンスナイチンゲール生誕200年


すでに1日過ぎてしまった今

(絶賛昼夜逆転中)

思いつくことを書きます。


最近職場には差し入れが届くし

疎遠だった人から「コロナ大丈夫?」というメッセージが届く。

私にも応援してくれる人、信じてもいいんだ、と思える人がいるんだな、と思う。

こんな思いができるのも看護師をしているおかげだ。


勉強したのはずいぶん昔だし、間違ったことは言いたくないので多くは語れないが、

ナイチンゲールの偉大さを感じる。

「ひたすら掃除し、敵も味方も関係なくお世話した人」

それが私が認識しているナイチンゲール。

窓を開けると

モップ(今やクイックルワイパー)で床を拭くと

温かい食事を運ぶと

地位がある人もない人も

どんな人でも病んだ姿を見ると

今でもナイチンゲールを想像する。

感染拡大が起きた現在、まさに、

療養環境を整えることの大切さを実感する。

新鮮な空気を吸うだけで

人は元気になるのだと、本気で感じる。

彼女が「これが看護や」と言ったこと

本当に、本当に、すばらしいことなんだ

言葉にしたら安すぎるかな、なんて感じてしまうほど、大切なことなんだと思う。


今、医療従事者は拍手を送られるようになった。

可愛げもなく毒を吐くとすれば、

(もう、ほんとにかわいくない!)

ただの照れかな?ちょっとだけ戸惑うよ。

私は十数年前から働いてきたし

病院にいる人以外にもがんばっている人がたくさんいるし

正直がんばっていない

いや、がんばりたくても今は力を発揮できない医療従事者もいる。

ベッドが、呼吸器が、医師が、看護師が、なんて言うけれど 

出番を待つだけで1日が終わることが結構ある。


地域包括ケアシステムなんて言葉、どこに行ってしまったのだろう。

住み慣れた場所で生活を、といって病院を減らしていたのに

やはり現代人には病院よ、ってなってしまうのか


なんて思いが毎日ふつふつと出てくるが、

ナイチンゲールは確かにすばらしいわけで

看護という仕事は本当にすばらしいわけで

拍手されるのは素直にうれしいし

差し入れで頂いたステーキ弁当は美味しかったし

私がやってきたことは間違ってなかったし

不安もあるけど更にやりがいを感じてしまう。


医学の進歩は感染症との戦いであり

その歴史的瞬間に立ち会えるだなんて

と自分で言って自分で感動するときもあり

かと思えば相変わらず人間関係にイライラすることもあり

毎日疲れる。

それでも私は看護が好きだと思ってしまう。


私は今

私は今

(ヤクルトも寄付でいただいた。ありがとうございあます)

ウイルスに勝つとか、病気を治すとか、

そういうことを言いたいんじゃなくて

(大事だけどね、大事だけど

結果的にはそういうことかもしれないけど

今、ここで、私が言いたいことはそういうことではなくて)


生きる喜びを感じたとか、大切なこととは何かを学んだとか、何かにチャレンジできたとか

withなんとかでありつつ、心が満たされていくのを感じてもらう

看護師は、それができると想っている。


さあ、これからも窓を開け

時にはヘパフィルターなどの空調を駆使して

大丈夫でありますように、と

愛を込めて看護したい。


とりとめもない文章で

ブログで稼ぐには、みたいなこと言う人が真っ先にボツにしそうな投稿だと思いますが、

今の溢れる?流れる?揺れる?ような想いをリアルに書きたかった所存です。

みなさま、どうぞ、ご自愛ください。





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