見出し画像

消えた年金記録、探して繋げて復活!ホントにこれでいいのか?

若い頃はアテにもしてなけりゃ貰うつもりもなかった年金。
二十代で勤め人を辞めてから、やりたい事がコロコロ変わり、ちっとも落ち着かないまま気づけば五十路を越えているではないか。
四十代なんてどこかに置き忘れてきたのか?ってくらいの瞬間移動。

まさに光陰矢の如し。

誰か僕の四十代を探してきてくれないかな?
もう少しわがままを言わせて貰えるなら、5歳くらいまで戻してくれると感謝感激するんだけれど。

花のバブル入社組

僕のサラリーマン時代の勤め先は上司のいないヘンテコな会社で、雀荘で大学の先輩に誘われて入社した。先輩と言っても年齢は10歳も離れていて、先輩は物理学科で僕は建築学科だったから繋がりは麻雀パイだけである。

バブル絶頂期を迎え、史上最大の売手市場であった東京ではこの年の採用戦線において過去最大のベアを実施した。
大卒の初任給が遂に20万円に乗り、あまりの急騰により前年や前々年入社組の賃金基準を見直さないと新入社員との逆転現象が起こってしまうくらいだった。
なのに雀荘でリクルートされる学生ってのも珍しいところだけど、さらに僕は卒業を待たずに11月に大学を中退してさっさと入社してしまった。昔からやりたい事が出てくると我慢できない性質なのだ。
大卒待遇にすると確約してくれたので、それなら早い方がいいじゃないかって思ったのだ。

な~んてのは表向きの説明で、そのまま残っていても卒業できたかどうかは怪しかったってのもある。
いや、そっちが本当の理由だろうってご指摘は無用ですwww

その会社は入社当日から勝手にどうぞ~って感じの、一分野一人制みたいな会社だった。
「〇〇君の担当はこの分野だから、じゃ!今日からよろしく!!」ってな具合でほっぽり出され、仕事を教えてくれる上司や先輩がいない。しかも、僕をリクルートした頼みの綱である先輩は暫くして退社してしまった。

僕に与えられたデスクは同じ部門(全部で3部門あって取締役は4人いた)の取締役の隣だった。出張予定なんかはこの人に伝えていたから上司に相当すると言えない事もないけど、分野が違うので仕事が全くかぶらない。並んで仕事しているけど、その人が漁師で僕は猟師って感じ。
その会社では取締役も新入社員もまったく同じ仕事をやっていた。分野が違うだけだった。

そこは何から何まで面白い会社だった。会社は神田錦町にあって、ずっと机に座っている人もいれば、糸の切れたタコみたいな人もいた。出社は10時で退社は5時ってのが通常ペースだけど、仕事に手慣れている取締役なんてのは10時に来て3時頃にはいなくなっていた。休日はカレンダー通りだし、仕事さえこなせば何をやってようが自由なところが気に入っていた。

こんな風だったから、社内に限っては仕事の指示を出して貰った事もなければ、なにかを教えてくれた人もいない。褒められたことも怒られた事もない。これで会社が成立していて、しかも無借金の優良中小企業だった。

って、僕はなんの話を書こうとしていたんだっけか?
そうそう年金の話だ。【めぐまつさん】の年金記事に触発されて年金事務所へ出かけてきたのだ。
ある会社の常勤取締役を降りて別の会社へお世話になるのだけれど、3週間ほどのタイムラグが発生するため、年金事務所で資格喪失の書類を貰うついでに年金記録を調べてもらった。

僕の年金記録

僕は若い頃から、何をするよりも誰とするかが大事だと思っていて、勤め人を辞めてからは、その考えを一層強くした。
だからって理由ではないけれど仕事は色々とやった。住処だって一番長くて5年くらいで、転勤族でもないのに18歳で実家を巣立ってから37年間での引越しが海外含めて25回もある。しかもマンション購入とかもあって、無計画このうえない。

こんな風に同じ場所にいる事にさえ飽きてしまうから、この道一筋なんて人は別世界の存在でそれだけで尊敬できる。いまでも地方へ引っ越せないかと考えているくらいだし、コロナが落ち着いたら再び海外へ行くかもしれない。

一方、これまで社会保険や年金についてちゃんと考えた事がなく、ネットで自分のおかしな年金記録を見ても、さほど気にならなかった。

僕が年金手帳(オレンジ色)を貰った平成元年は、プリプリやwinkがブレイクし、ワンレンが流行り始めた頃で、お立台で扇子を片手にパンツ見せながら踊る女性が爆誕する少し前だ。
三共の「24時間戦えますか」時任三郎リゲインに対抗して、中外製薬が「5時から男」の高田純次グロンサンをぶつけてきた年でもある。
それから7年ほどサラリーマンをやって自由人になり、法人を作ったり個人に戻ったり、海外に行ったり日本に戻ったり、たまに非常勤で勤め人をやったりで25年ほどが過ぎた。その間、僕が在籍した会社の数は(同時に複数とかもカウントすると)14社ある。きっとまだまだ増える。

いまから10年くらい前のこと。年金ネットなるものを知り、自分の年金記録をチェックした事がある。最初のサラリーマン時代のみが厚生年金で、あとは国民年金の印が続いていた。想定内であるし、この記録がもっとも事実を反映する内容だった。

次にネットを見たのは僕が経営していた会社で厚生年金に加入した頃だ。この時はなぜか、元嫁さん(大手製薬企業で働いている)の扶養家族になっていた期間が実際よりも物凄く長くなっていた。2~3年だったはずが17年とかになっている。
世の中が消えた年金問題なんて騒いでいた頃だったから、やっぱいい加減なんだなぁと思った。

最期に確認した時は海外を飛び回っていた頃だから3年くらい前だ。その時はなかなか素晴らしい内容だった。
先ず、直近の国民年金が未納になっている。これは海外で働いているのに不在届を出していない僕が悪い。のちに免除期間として認定して貰った。
それよりも驚いたのは、最初の厚生年金の記録がバッサリ消えていた事だ。元々なかったならミスかなと思うけど、前回はあったものが消えるなんてどういう事?って思った。
僕が海外にいるのをいい事にこっそり消去したかと疑ったくらい。その後はついにネットで僕の年金そのものが検索できくなり、そのまま現在に至る状態の時に見つけたのが【めぐまつさん】の年金記事だったってワケ。

年金記録を探せ

で、先週末に年金事務所で相談してきた。

担当してくれた方の説明では、かつての厚生年金番号(現在は基礎番号で統一されている事も知りませんでした)と基礎番号の接続ミスだろうとの事。でも、一度は繋がっていましたよ、と説明しても明確な理由なんぞは教えてくれない。ってか分からないんだろうね。ちょっとオドオドしているのが分かったので追求するなら別の人にしようと思って止めた。

すると、年金記録を確認する係のような人(そんな部署があるのかどうかは知らないけど)がやってきた。ちょっと迷惑そうな顔をしている(ように見えただけかも知れないけど)から、こっちも『忙しいんだけど今日は見つかるまで帰らないから手早く探してよ』と言い放ち、暗い雰囲気の事務所の椅子にドッカと座って本を読み始めた。
本当は四国に帰省する予定だったので1時間ほどで羽田空港へ行かなきゃならないのだけど、時間があまりないなんて知られると手抜きされそうなので教えてあげない。
この面倒そうな国民に早く帰って欲しけりゃ、さっさと見つけ出してねって事だ。

結果、僕の消えた記録は発見されたのだけど、接続をいまここでやると時間がかかると言う。国民年金に移行するのであれば、そこで繋いで貰って下さいと言うではないか。意味が分かんない。
おいおい、ここは社会保険事務所ではないのかい?と思ったが、記録の確認が出来たのであれば後はどうにでもなると思ったから空港へ向かった。

で、出張から戻って市役所へ行き、健康保険と国民年金に入り直して(今月中に再び厚生年金に入るから実際は不要なんだけど一旦は入る仕組みらしい)、年金事務所で確認できた厚生年金番号を基礎年金番号に連結して貰うことで年金記録は完成しました。平成元年11月から現在までのうち、未納となっていたのは9ヶ月分だけでした。

とりあえず年金復活!
あ~良かった、って貰うつもり満々じゃんか。爆

でも、不思議ちゃんが一つ残っている。
国民年金の3号納付が17年3ヶ月になっているのだ。確かに元嫁さんの扶養家族に入ってた時期があるんだけど、元嫁さんの会社からお小言を頂いて、2年間くらいで扶養から外されたのだ。その後は個人宛てに国民年金の納付書が届いていて払っていた記憶があるし、そもそも元嫁さんって呼ぶくらいなのでとっくの昔に別れておりますwww

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?