多様性について
・小さい頃、世界には絶対的な正義と悪があって、かつ悪は悪であることに自覚的だという一種の希望を持っていたけど、きっと実際は十人十色の正義があるだけなのだよな。これを話すと、会社の先輩は幼き頃にガンダムを通ってこれを悟ったらしい。対して僕はアンパンマン止まりだったからこういう思想なのだろう。
・同性婚問題、大前提選択肢としてあった方がいいと思いつつ、下記の記事を発信したときに社内の先輩からこんな感想をいただいたのが印象に残っている
"結婚という仕組み自体が、「愛のプロセス・結果」「関係性の他者への証明」「契約としての効能」「親族関係の構築」「経済的契約」とか混在していてややこしいですよね。異性同性問わずに結婚の権利が平等になるのと、そもそも「結婚」という概念の再構築されていく未来が作られるのと、どっちもありうるのかもと考えてしまいました。"
・時期柄、所謂"叩き上げ"な成功者ほどD&Iに対して保守的で、下手すると排他的な側面が滲み出ていて興味深い
構造的弱者に光が当たると、相対的に自らの成功が必ずしも"自己責任"だけではないことを突きつけられ、ハングリーさが霞むように感じてアレルギー出るのか
とはいえ、自分が持て囃されるゲームを降りたくないのは人間としてナチュラルな反応(自分だって然り)ではあるので、あくまで新ルールを認めることは当人の過去を否定するものではないと丁寧にコミュニケーションしていかないといけない
・最近話題になっているキングオブコントの座席問題、そういえば小さい頃初めて金スマを見たときに似た違和感を覚えたのを思い出した
(が、正直慣れてしまって何も感じなくなっている自分がいた...)
・サイバーエージェントさんが、自社のD&Iに対してかなり論理的に理由づけしていてすごい
もちろんこの類は発起する側の意志が不可欠でありつつ、推進する過程で大勢に納得してもらう上でアカデミックに整理するのは有用なアプローチかもしれないと思った
・全然政治は詳しくないのだけど、差別発言を繰り返す杉田水脈議員について調べる中で、素人目にも明らかな昨今の腐敗について特定の個人や政党を責めるのは簡単な一方、権力を得るに至る構造ありきな部分も無視してはならないと思う
・僕が長らく「陰謀論者」や「ネトウヨ」を追い続けてきたのは、「全く自分と思想が違うから」だけではなく「どこか自分と性質が似ているから」なのだけど、やっとそれが「敵が欲しいのではなく、仲間に飢えている」というものだと言語化できた。
そして、それは自分がD&Iに取り組んできた上での最も根源的な欲求なのだと腹落ちした。自分自身少なくともセクシャリティの文脈ではマジョリティだったわけで、意外と本質的な動機はわからずにいたので、ようやくスッと落ちた感がある。D&Iというものは、右にせよ左にせよ登り方が違うだけでほぼ絶対的な社会正義なわけで、敵との境界が揺るがない、つまりは仲間の輪郭が明瞭であるという意味では格好のテーマだ
ちょっと発散すると、この前会社の後輩が、入社理由について「自己成長が目的化していない人が多かったから」という話をしていて、まさにそれはデカかったと思い出した。そして、それは多分「皆ミッションの実現に向かっている=内面・身内だけでなく、少なくとも最終的には外側を見つめている=社会課題という仮装敵と対峙関係にある仲間である」とも言い換えることができて、結局あらゆる選択において仲間の希求は通底している要素なのだと思った
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