多様性について

・小さい頃、世界には絶対的な正義と悪があって、かつ悪は悪であることに自覚的だという一種の希望を持っていたけど、きっと実際は十人十色の正義があるだけなのだよな。これを話すと、会社の先輩は幼き頃にガンダムを通ってこれを悟ったらしい。対して僕はアンパンマン止まりだったからこういう思想なのだろう。

・同性婚問題、大前提選択肢としてあった方がいいと思いつつ、下記の記事を発信したときに社内の先輩からこんな感想をいただいたのが印象に残っている

"結婚という仕組み自体が、「愛のプロセス・結果」「関係性の他者への証明」「契約としての効能」「親族関係の構築」「経済的契約」とか混在していてややこしいですよね。異性同性問わずに結婚の権利が平等になるのと、そもそも「結婚」という概念の再構築されていく未来が作られるのと、どっちもありうるのかもと考えてしまいました。"

性的少数者を支援するNPO法人「パープル・ハンズ」事務局長の永易至文(ながやす しぶん)さん(57)は「関係を親族に秘すカップルが多く、公正証書や遺言作成さえためらう。同性婚制度ができても、利用する人が一気に伸びる、とはならない」とみる。だが「制度ができ社会や人々の意識が変わり、やっと最後に当事者が恐る恐る変わる」と語る。

ゲイを隠して生きてきたから…連れ添った「相方」との同性婚に飛びつけない だけど制度は次世代の希望になる

・時期柄、所謂"叩き上げ"な成功者ほどD&Iに対して保守的で、下手すると排他的な側面が滲み出ていて興味深い
構造的弱者に光が当たると、相対的に自らの成功が必ずしも"自己責任"だけではないことを突きつけられ、ハングリーさが霞むように感じてアレルギー出るのか
とはいえ、自分が持て囃されるゲームを降りたくないのは人間としてナチュラルな反応(自分だって然り)ではあるので、あくまで新ルールを認めることは当人の過去を否定するものではないと丁寧にコミュニケーションしていかないといけない

・最近話題になっているキングオブコントの座席問題、そういえば小さい頃初めて金スマを見たときに似た違和感を覚えたのを思い出した
(が、正直慣れてしまって何も感じなくなっている自分がいた...)

キングオブコントの構図
金スマの構図

「会社の会議や大学のグループワークの中でも、男性が『女性がいると場が和む』などと発言するのを聞いたことがあると思います。これは女性に『感情労働』を押し付けているということです。特に若年の女性は『潤滑油』として感情的な調整役やケアワークを押し付けられることが多い。コミュニケーションをとる上で笑うことは良いことでもありますが、それを女性にばかり押し付けているのが問題です。」

「女性の方がよく笑う」は押し付けられた性役割。「観客は女性、審査員は男性」のキングオブコント、何が問題?


・サイバーエージェントさんが、自社のD&Iに対してかなり論理的に理由づけしていてすごい
もちろんこの類は発起する側の意志が不可欠でありつつ、推進する過程で大勢に納得してもらう上でアカデミックに整理するのは有用なアプローチかもしれないと思った

「なぜ多様性を推進するのか?」の根拠は大きく分けて以下の2種類あります [Starck2021](日本語訳は筆者による)。
一つは 道徳的根拠(moral rationale) で、人間の尊厳を根拠とするものです。差別の撤廃やアファーマティブアクションはもともとはこちらを根拠としていました。
もう一つは 道具的根拠 (instrumental rationale) で、多様性がその組織・グループにメリットがあることを根拠とするものです。

多様性尊重と包摂に関する文献調査


・全然政治は詳しくないのだけど、差別発言を繰り返す杉田水脈議員について調べる中で、素人目にも明らかな昨今の腐敗について特定の個人や政党を責めるのは簡単な一方、権力を得るに至る構造ありきな部分も無視してはならないと思う

「杉田議員は結局、男性議員が言いづらいことを代弁してきたんだと思います。まだまだ男性社会の政界で後ろ盾のない女性が生き残っていくために、男性の考えを代弁し、さらに過激な発言に走ってしまう。」

なぜ杉田水脈議員は過激発言を繰り返し“出世”したのか──女性が女性を叩く構図は誰が作ったか

「過剰同化とは、ある特定の共同体に対して、後発に参入するものが「生き残り戦略」ないし「より手っ取り早く承認されたい(常に注目されたい)欲望の実現」のひとつとして往々にして採る態度とされる。」

なぜ杉田水脈氏は差別発言を繰り返したのか?~”ホシュ村”への過剰同化の危うさ~

・僕が長らく「陰謀論者」や「ネトウヨ」を追い続けてきたのは、「全く自分と思想が違うから」だけではなく「どこか自分と性質が似ているから」なのだけど、やっとそれが「敵が欲しいのではなく、仲間に飢えている」というものだと言語化できた。
そして、それは自分がD&Iに取り組んできた上での最も根源的な欲求なのだと腹落ちした。自分自身少なくともセクシャリティの文脈ではマジョリティだったわけで、意外と本質的な動機はわからずにいたので、ようやくスッと落ちた感がある。D&Iというものは、右にせよ左にせよ登り方が違うだけでほぼ絶対的な社会正義なわけで、敵との境界が揺るがない、つまりは仲間の輪郭が明瞭であるという意味では格好のテーマだ

ちょっと発散すると、この前会社の後輩が、入社理由について「自己成長が目的化していない人が多かったから」という話をしていて、まさにそれはデカかったと思い出した。そして、それは多分「皆ミッションの実現に向かっている=内面・身内だけでなく、少なくとも最終的には外側を見つめている=社会課題という仮装敵と対峙関係にある仲間である」とも言い換えることができて、結局あらゆる選択において仲間の希求は通底している要素なのだと思った

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