父親

僕は何かを呑み込むことが下手くそだ。自分の唾で咽るなんて昔からしょっちゅうで、昔は炭酸飲料も飲めなかった。幼い頃は特に顕著で、イカタコなんかは口に入れたは良いものの、呑み込めずにどうしようもなくなってしまった記憶しかない。

父親で覚えている最も古い記憶は3歳。牛肉が呑み込めずに咽び泣く僕。粘つく唾液のせいで、塩っけしか感じない飯の味。ちゃぶ台をぶっ叩きながら「さっさと食べろぉ!!!」とブチギレ倒すあいつの顔。

思い返せばその頃からずっと、僕は父親のことが本心では嫌いだった。週末は家にいるかと思えば、黙々とパソコンで仕事をし、リビングで一家団欒の空気なんて一切なかった。僕と妹はそんなリビングに居たいだなんて当然思わないので、心中「ごめん!」を唱えながらかーちゃんを犠牲に自分たちの部屋に引きこもっていた。

飯に焼き魚が出た日には面倒くさいことしかない。綺麗に食べることに固執する彼は骨から綺麗に身をはがせないとキレたものだ。骨をクリアしても次は内臓が待っている。小中学生なんかが焼き魚の内臓の美味さなんかわかるかい。それでも毎回食うことを強要され、丸のみに近い形で胃に押し込めることを覚えたものだ。

美しく食うことはもちろん良いことだ。あいつのおかげで魚を当たり前のように綺麗に食べられるようになったことは、感謝している。しかしそれに固執しすぎることは違うと思う。美味しく楽しく食えなきゃ飯じゃねえ。牛肉のときも、焼き魚のときも、まったく楽しくなかった。父親がいないときの食卓の方が、家族らしさがあった。

僕の妹は、母兄の優秀さと比較すると、頭の出来はかなり劣る方だった。その上人からの教えはガン無視し、何かあれば自分のせいではないと頑なに言い張る意固地っぷりもあり、手を焼く上に可愛げがないという最悪なコンボをかますやつだった。小中学生時代は勉学に限らず、その場を誤魔化すために嘘をしょっちゅうつき、その度にかーちゃんから物理的にも論理的にもボコボコにされていた。このまま成長してしまっていたら、家族以外妹をまともに相手してくれる人間なんていないだろう。そんな焦りを覚えるレベルでかつての妹はヤバかった。うちのかーちゃんは愛情深い人間なので、妹が何度しょうもない頑固さで人の話を無視しようと徹底的に、まともな人間性にしようと向き合い続けた。勉学なんてどうでもいいから、せめて人に好かれる娘にしなければと、妹の将来をずっと心配していた。僕もかーちゃんの論をわかりやすく伝え直したり、オーバーヒート気味なかーちゃんをフォローしたりした。そんな母と兄の長年の努力もあってか、学力は変わらずとも、妹は人間的にかなり成長でき、今では介護の仕事を頑張っている。

父親が妹に取った行動は無視だけだった。

自身から妹に話しかけることはなく、妹がかーちゃんから怒られていれば通りすがりに無言でげんこつを叩き込むだけして去る。ネグレクトと言っても良い。人間として妹の相手を一切しなかった。妹と父親の会話を思い出そうとしてみても、ほとんど記憶にない。唯一忘れられないのが、「ペナルティのワッキーがやってたおばけの救急車ってやつ面白かったよね」と妹があいつに語り掛けるシーン。僕とかーちゃんがいないときに、どうやら父と妹でバラエティを見て、そのギャグで一緒に笑い合ったらしい。何かの脈絡で、妹がこの話をあいつに持ちかけるのを3-4回は見た記憶がある。その度に妹は、笑いながらもどことなくあいつの様子を伺っていた。あいつと共有できるものが欲しかったのだろう。あいつはいつも、大した反応を示すことはなかった。

ここまで父親の悪口を散々書き連ねてきたが、僕は22歳ぐらいまで、あいつのことを良い父親だと思っていた。あいつは途中までは、良い父親ではなかったが、決して悪い父親でもなかった。家族旅行を毎長期休暇ごとに計画したり、経験のために良いレストランや施設にも連れて行ってくれていた。あいつが好きなバラエティを見ているときは、家族4人での会話も楽しげだった。頭も顔もスタイルも良く、ドイツへ早い段階で駐在できるような仕事のできる父親をかつては尊敬していた。

良い父親でないと気づいたのはあの時。今でも覚えている。朝寝ている僕を起こし、かーちゃんから告げられた言葉。

「お父さん、浮気しているみたい…」

相手はあいつが香港駐在のときに接待で行ったというカラオケ風俗の中国人商売女。40代の年増で、風俗の中でも売れ残りの部類らしい。あいつはろくに遊んでこず、大人になってからも半端に真面目に生きてきたようで、女性経験が乏しかった。仕事の付き合いで風俗に行くなんてことは、世の中よくあることだろう。わかっている人間は、あくまで火遊び程度に済ませる。あいつはしっかり入れ込んでしまった。家族を捨て、商売女と結婚したいのだとのたまった。

初めて知ったときは号泣して落胆した。あいつのことを尊敬していたから。しかし泣きながらも今までのことを整理して、冷静に見つめ直していくうちに、途中からあいつは良い父親ではなかったいうことに気づいた。薄々わかってはいたが、自分が良い家族にいるのだと思い込もうとしていたのだ。そうして幻想だったのだと気づくのに、たったの2時間しか費やさなかった。それだけ自明なことだった。

これは僕にとって人生の転機だった。父親が身をもって、価値観の狭さがどんな結果を招くのかを教えてくれた。あいつは人生経験が乏しいから、商売女の打算も、家族の大切さもわからなかった。バイアグラを飲み、性欲に溺れる猿並みの理性だけしか、彼を突き動かすものはない。僕はあいつみたいな人間になるのはごめんだ。あいつは勉学はできるかもしれないが、人間として致命的なまでにアホなのだと、浮気を通じて知った。これをきっかけに僕は、価値観はぶち広げればぶち広げるほど良いという考えを持つ価値観フェチ野郎になった。広げた価値観をもって、自分が何を選びたいのかをきちんと考えられるようにならないと、人間として生きる意味がない。あいつの浮気がなければ、気づけなかった。

今となってはあいつのことなんてどうでもいいとしか思っていない。僕にとっては所詮たったの2時間で切り捨てられるような人間だ。最後に大事なことを知ることができたし、むしろ数十年後に介護が厄介になりそうなおっさんの面倒を見る必要がなくなって良かったと感じている。

だがかーちゃんと妹に関してだけは許せない。妹は終始、あいつからの父性を得られることがなかった。「お兄ちゃんが父親代わりだよ」と母妹はいつも口を揃えて言う。自負もあるし彼女らが本心から言っているのもわかる。それでも、妹が欲し続けていた父性を埋められない。僕では妹の「おばけの救急車」に応えてあげることができない。

かーちゃんは元お嬢だが、祖父が亡くなってからは苦労人だった。去年の祖父の弔い上げのときのこと。苦労時代に散々な目に遭わされたとかーちゃんが語る、僕にとっての従叔母が来た。かーちゃんと年齢は2つ程度しか変わらず、幼少期は姉に近しいような、ライバルのような存在だったらしい。かーちゃんは従叔母から苦労時代に「搾取された」と言っていた。そんな存在を、かーちゃんは大事な弔い上げに呼んだ。

酒とタバコのやりすぎで脳梗塞になってから片足が不自由なようで、従叔母は杖をついていた。彼女の傍らには旦那さんもいた。従叔母の旦那さんは自分の会社の事業に失敗し、現状暮らしは裕福とは言えないらしい。そんな状況下でも旦那さんはコンビニバイトの合間を縫って来てくれた。従叔母は搾取のことをかーちゃんに謝罪したことはない。しかし久々に僕らと会えることを嬉しそうにしており、「また来るときは連絡頂戴」と優しく言う。かーちゃんから以前聞いていたような理不尽さは見る影もない。そこはかとない反省の香り。かーちゃんともう一度仲良くしたい、そんな気配。こうなる気がしたから、様々な想いを呑み込んで、かーちゃんは従叔母を呼んだのだ。僕はそんなかーちゃんの在り方がとても好きだし、こういう人間でありたいと思った。

弔い上げの帰り。従叔母は不自由な足を引きずりながらゆっくりと歩を進める。それを旦那さんがそっと支える。その後ろ姿を見てかーちゃんがふと呟く。

「裕福じゃなくても、ああいうふうに支え合って生きられるのは幸せだよね」

何を言えばいいかわからなかった。かーちゃんの諦念交じりの寂しげな表情。理不尽に遭ったかーちゃんの隣には誰もいないのに、遭わせた従叔母の隣には優しそうな旦那がいる。従叔母を憎いとは一切思わない。あるのはどうしようもない無力感。かーちゃんはもう手に入らない。良い相手がいれば再婚しても良いと僕も妹も思っているが、本人にその気はない。息子娘とはまた別の領域にある大切な存在を、僕らでは見つけてあげることができない。

離婚はかーちゃんにとって悪いことではなかった。家の雰囲気を悪くする癌がいなくなったし、獣医の仕事を再開できて、大変そうではあるが、傍から見ても専業主婦だった頃より充実しているように見える。ちゃらんぽらんだが、妹も僕もいる。あのままあいつと夫婦をしてしまってた方が、さぞ苦しい人生だっただろうと確信もできる。パートナーとして、あいつに戻ってきてもらうだなんてのはあり得ないし、仮に更生したとしても断じて許す気はない。それでも、かーちゃんが今後絶対に手に入れられないものを、あいつが作りやがったことが、僕は許せない。

唯一、あいつを今でも心からすごいと思っていることがある。あいつは音楽が好きで、CDもレコードもアホみたいな量をもっていた。メジャーどころからマイナーどころまで、かーちゃんもあいつが聴く音楽のセンスは買っていた。僕も音楽好きだが、インターネットのおかげで掘り下げることができたのであり、あいつの時代の方が遥かに難しかっただろう。僕とは畑が違うが、そのセンスも、開拓力も尊敬していた。大量の音源を引っ越しの度に移動させられることにかーちゃんは辟易していたが、あいつは1枚も売らなかった。それだけ彼にとって音楽が大切であり、彼という人間を構成する要素だったのだろう。僕も家にCDが1,000枚近くあるからわかる。どんなにクソみたいな人間になろうと、彼とともに生きてきた音楽だけは捨てることはないだろうと思っていた。

離婚後、あいつは音源を引き取りに来ることはなかった。浮気ばれ直前は、中国のチャートで上位のしょーもない曲を流していたらしい。カラオケ風俗でウケるために。

音源はほとんどが売られた。かーちゃんが引っ越しの度に荷造りしていた苦労はなんだったのか。唯一尊敬していた部分も、共通していると思っていた部分もなくなってしまった。気づかぬうちに、あいつは別人になったのだと実感する。虚しさだけが残る。

僕はかーちゃんの愛情深さを受け継いでいると自覚しているし、あいつを反面教師に良いところ取りできた。しかも最後に価値観の大切さにも気づけた。価値観フェチがあるのとないのとで、僕の視野は大きく違っただろう。あいつはこの重要さを一生わかることはないのだろうけれど。複雑ながら、感謝していなくもない。

かーちゃんと妹にしたことを許す気はないが、かといってあいつの不幸を願ってはいない。ただ自分のしたことを理解し、後悔し、反省する。そんな日が来ることだけを、ひっそりと願っている。

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