相手を知れば行動も変わる
誰かの発信や行動は、誰かの生活の問題や悩みからの開放のためになされていると思っている。
しかし、少しでも自分の生活が侵されたと感じるや、文句を言う人がいるのは残念なことだ。
交通誘導警備の現場ではたまにクレームが入る
入職前の講習で聞かされてはいたが、実際言われたのは初めての体験だ。
人の行動は誰かの問題解決のためになされている
そもそも人の行動は誰かの問題解決のためなされており、
公共・私用の別なくすべての機能はこの認識の下でのことだ。
なのに便利すぎて忘れている
特に、自分の生活上の当たり前が侵されたと感じると急に怒り出すのだ。
僕が被ったクレームは、宅配バイクのドライバーからで
手招きが偉そうなうえ雑であるとのこと。
確かに経験日数が浅いことで誘導が雑に見えるのはあると思うが、
手招きが偉そうというのは意味不明だ。
誘導は動きを大きくはっきりとが基本で仕切られてる気がするのだろう。
相手のイラ立ちにも一理ある
そうはいっても相手のイラ立ちにも一理ある
なぜなら、彼もまた自分の仕事で誰かの問題解決のため動いている
こちらの都合でコース変更することが、ユーザーの満足度に影響する。
こういったことがあるから丁寧に対応することが前提になってるのか
こうして起こったことをもとに書いてみると
何が問題だったか分かる。
書くという作業は頭の中にある情報を整理するのに有効だというが
今回そのことが理解できました。
信頼は余裕ある気配りから
最初の配置で先輩の動きを見ていたら全方向に指差し確認とジェスチャーのメリハリがすごかった。
指さしは目線の誘導になり、ある意味最強の確認方法なのだ
あんな感じか💡
と思って自分でもやろうとするが、実際は車も歩行者(自転車)の動きも早いから焦ってしまう。
やってみると簡単にできてしまうこともあればその逆もある。
具体的行動が自分の問題を顕在化させるとはよく言ったものだ。
相手の行動の意図を知れば腹など立たない
お互い行動の仕方は違えど、その思考は同じなのだから、
いつもの当たり前が変更されても腹は立たないはずだ。
日本人はもともとそうしたおおらかさを持っていたのだが
便利で機能的すぎるとつい忘れてしまう。
すべては相手を知ることから
最近の学びはリサーチである
相手を知ることで伝える内容と方法がわかるようになるから
まず相手をよく知れというが
リアルな現場でもこうしたことができていれば、
問題は起きないのだろうとつくづく感じた一日でした。
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