米川影親
ヤマトタケルのミコトの神上がり(古事記)
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ヤマトタケルのミコトの神上がり(古事記)

米川影親

20220701


ヤマトタケル(歌川国芳画) ウィキペディアより借用


古事記に記述されているヤマトタケルのミコトが東国遠征を終え、尾張のミヤズヒメの家を出る場面より亡くなるまでを訳しています。
今回わかったことは、ヤマトタケルのミコトは亡くなる前は高熱で苦しんでいたということです。古事記の歌謡はそのように解釈すると歌の繋がりが読み取れます。
ヤマトタケルのミコトがその死後に祭られる名は熱田の神なのですが、その名というのもこの亡くなり方に起因しているともかんがえられます。
伊吹山の主神に氷雨を降らされるというくだりから、冬のように思いがちですが、夏のさなかであったのかもしれませんね。



故(かれ)、ここに御合(みあい)して、その御刀(みはかし)のクサナギの剣を以て、そのミヤズヒメのもとに置き、しかして伊吹山の神を取りにみゆくにおいて詔(みことのり)。「ここの山神は、素手に直に取らむ」
しかしてその山に登りし時、山辺にてその大きさ牛の如き白猪に逢い、ここに言挙(ことあ)げ為したまいき。

「是の白猪に化ける者は、その神の使いの者。今は殺さぬといえども還る時には殺さむ」と詔たまい、しかして登ります。

是れ於いて、倭健命に大きな氷雨を降らし打ち惑わせり。
此の白猪に化ける者は、それ神の使いの者にはあらず。まさにそれ神の正しき身、言挙げに因り見惑うなり。

故、還り下り倉部に到りましし、この清泉に息(いこ)い以て坐しし時、御心ややにして寤(さ)めましき。故に名付くその清泉を、居寤(いさめ)の清泉(しみず)と謂うなり。

故爾御合而、以其御刀之草那藝劒、置其美夜受比賣之許而、取伊服岐能山之神幸行。於是詔「茲山神者、徒手直取。」而、騰其山之時、白猪、逢于山邊、其大如牛。
爾爲言擧而詔「是化白猪者、其神之使者。雖今不殺、還時將殺。」而騰坐。
於是、零大氷雨打惑倭建命。此化白猪者、非其神之使者、當其神之正身。因言擧、見惑也。故還下坐之、到玉倉部之淸泉、以息坐之時、御心稍寤、故號其淸泉、謂居寤淸泉也。

http://www.seisaku.bz/kojiki/kojiki_11.html より


日本古典文学全集 「古事記・上代歌謡」 小学館 p225 注釈七
 三重県四日市采女から鈴鹿市石薬師に至る東海道にある坂という。この前後の地名の配置は乱れていて、当芸野―尾津前―三重村―杖衝坂―能褒野の順路が正しい。

http://www.seisaku.bz/kojiki/kojiki_11.html より

①そこより発ちタギ野上に到りし時詔(みことのり)。「吾が心は常に空より駆け行く念い、然(しか)し今吾が足は歩みを得られず、タギタギシク(タギ滝如く)成りぬ。故に名付くその地をタギと謂うなり。


自其處發、到當藝野上之時、詔者「吾心恒念、自虛翔行。然今吾足不得步、成當藝當藝斯玖。(自當下六字以音。)」故號其地謂當藝也。

http://www.seisaku.bz/kojiki/kojiki_11.html より

④その地よりやや少しみゆき、甚だしき疲れに因り御杖を衝きややに歩む、故に名付くその地を杖衝坂と謂うなり。


自其地、差少幸行、因甚疲衝、御杖稍步、故號其地謂杖衝坂也。

http://www.seisaku.bz/kojiki/kojiki_11.html より


②尾津前の一松之許に到ります。先の御食の時所、その地に御刀を忘れるもなお失われず有り、ここに御歌の意湧く。(忘れた刀を守り、吾が去る後ろ姿をひたすら待ち続けた松への思い偲歌)


 尾張に 直にむか(迎/対)へる 尾津の崎(伊勢国桑名郡)なる(並/生) 一つ松 吾背(だけ)を 一つまつ(待/松) 人にありせば 太刀佩け坐しを 衣着せ坐しを 一つまつ(待/松) 吾背を


到坐尾津前一松之許、先御食之時、所忘其地御刀不失猶有、爾御歌曰、
 袁波理邇 多陀邇牟迦幣流 袁都能佐岐那流 比登都麻都 阿勢袁 比登都麻都 比登邇阿理勢婆 多知波氣麻斯袁 岐奴岐勢麻斯袁 比登都麻都 阿勢袁

http://www.seisaku.bz/kojiki/kojiki_11.html より


③その地よりみゆき、三重村に到りし時、また詔。「吾が足三重の勾(まがり/正座)の如くして甚だしく疲れき。故に名付くその地を三重と謂う。


自其地幸、到三重村之時、亦詔之「吾足、如三重勾而甚疲。」故、號其地謂三重。

http://www.seisaku.bz/kojiki/kojiki_11.html より

④(杖衝坂)


⑤それよりみゆきして能褒野(昇野)に到りし時、国思(おぼ)し歌を以て意吐く。


 山と吐く 煮の間亡ろ場 唯菜着く青垣(が 氣)山籠もれる(高熱を抑える) 山とし麗し

 

 (通説 倭は 国のまほろば たたなづく 青垣 山隠れる 倭し うるはし)



また歌に意吐く。

 命の間 炊けむ(高熱の)人は 直御子も 平群の山の 熊櫧の葉を 髻華に挿せ そのコ(籠/隠)


 (通説 命の 全けむ人は 畳こも 平群の山の 熊白樫の葉を 髻華に挿せ その子)


此の歌は国思し歌となり、また歌に意吐く。

 艀(はしけ)やし 吾家(わぎへ)の方よ 雲出太刀くも


此は片歌となり、此の時御病甚だしく、急(せ)きここに御歌に意吐く。

 乙女の 床の辺に 吾が置きし 連る氣の太刀 その太刀早


歌い竟え、即ち崩(かむあがり)ましき。



自其幸行而、到能煩野之時、思國以歌曰、
 夜麻登波 久爾能麻本呂婆 多多那豆久 阿袁加岐 夜麻碁母禮流 夜麻登志宇流波斯
又歌曰、
 伊能知能 麻多祁牟比登波 多多美許母 幣具理能夜麻能 久麻加志賀波袁 宇受爾佐勢 曾能古
此歌者、思國歌也。又歌曰、
 波斯祁夜斯 和岐幣能迦多用 久毛韋多知久母
此者片歌也。此時御病甚急、爾御歌曰、
 袁登賣能 登許能辨爾 和賀淤岐斯 都流岐能多知 曾能多知波夜
歌竟卽崩。

http://www.seisaku.bz/kojiki/kojiki_11.html より








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米川影親
老子と漢字の成り立ちの研究を通して古代中国の思想と文化を知り、そして日月神示やホツマツタヱ、カタカムナ、古事記、日本書紀等を訳しながら読み進めて得られた日本神話や文化による見方を、この世の物理の裏に当てはめてゆくことで、新たな着想での物理学の道を切り開いてゆきたいと思っています。