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男子校的少年ジャンプ流チームマネジメント論(オンライン同窓飲み会で考えたこと)

私は就職氷河期世代の工場系技術屋兼中間管理職である。中学、高校と広島の男子校で育ち、ご多分に漏れず、現在の残念な人格はそこで形成されてしまった。同年代の女の子と会話どころか目を合わせることすら出来なかった、哀しき青春である。当時共学校に通っていたら、間違いなく今の私はない。きっとモテモテで人生を踏み誤ったことだろう(←負け惜しみ乙)。

卒業して25年も経つが、未だに付き合いの続いている気の置けない学友は多い。滅多に田舎に帰省せず、なかなか学友たちと物理的に会うことがない「隠れキャラ」な私も、彼らとはいつもSNS上で互いの近況を知らせ合ったりしている。元々親しかった学友だけでなく、在学時に付き合いのなかった学友とも今は付き合いがあったりするのが面白い。彼らと貴重な「あの頃」「あの環境」を共有したという関係性は、一生続くのである。

そんなつかず離れずな間柄であるが、今週ある学友から、昨今の社会的状況下で俄かに脚光を浴びる「オンライン飲み会」(@学友)のお誘いを受けた。「飲み会は 杯寄せ合って 馬鹿話」が基本と信じている意識低い系昭和脳中年の私であるが、そこはOB間で公私に鋼の結束を誇る当該男子校。彼に呼ばれたのでは参加しないわけにはいかない。ここ数日noteの更新が滞ったのは、緊急度×重要度両方がマックスであるこのオンライン飲み会を最優先としたからであって、決してネタ切れでもサボりでもない(はず)。本稿は、そこで議論された学友の1人(現:私と同稼業の工場系技術屋兼中間管理職)のチームマネジメント論を元に、私なりの考察を加えたものである。

1.男子校は「少年ジャンプ」である

私の通った中学・高校は伝統的に自由な校風で、高校からは私服通学が認められていた。一応、県内では進学校と言うことになってはいるが、先生方は「勉強はやりたい奴がやれ、但しやらなかったからと言って後で泣いても自分の責任ぞ」と言うスタンス。生徒は生徒で当然勉強だけに邁進するはずもなく、「如何に面白いこと・他人とは違うことをやるか」に集中する。いくら時効と言う有り難い制度があろうとも、コンプライアンスの喧しい昨今では、ここには決して書けないような楽しい思い出が私にも沢山ある。正に主体性と自由、責任を重んじる文化。「進学実績は今一つでも、世に有為な人材を絶えず輩出する」という自称「伝統校」「名門校」である。本当に有為かどうかは、世間様が決めることであるが

そういう校風なので先生と生徒、或いは生徒同士は飾るところが全くなく、体育会系、ヤンキー系、草食系、オタク文化系、インテリ系等の様々なカテゴリーの生徒がごった煮となって、「如何に面白いこと・他人と違うことをやっているか」をお互いに競い合い、認め合う文化であった。そして不思議なことに、カテゴリー毎の閉じたコミュニティがあるようで全くないのである。今回のオンライン飲み会も、「体育会系、ヤンキー系、草食系、オタク文化系、お笑い系、インテリ系」の各系からの面子6名であった。「週刊少年ジャンプ」で例えるなら、順に「魁!男塾、ろくでなしブルース、ウイングマン、こち亀、珍遊記、てんぎゃん」の食い合わせである。ちょっと違うか。でも異論は認めない。要はお互い世界観が全く違う者同士が混じり合って、「ファミコンジャンプ」「ファミコンジャンプ2」の世界になっているのである。これらのゲームははっきり言ってクソゲーだったが、現実の男子校での生活、及び今回のオンライン飲み会は少年ジャンプ3原則「友情・努力・勝利」が輝く神ゲーであった。

国内外を結んだメンバーの杯が進む中、「在学時、カテゴリーの違う人間同士が何故共存し、互いを高めあうことができたのか。また、何故今日に至るまで気軽に集まっているのか」という話になった。意外にあっさり出た結論としては、以下①②の通りである。

①女の子を巡ってお互いにマウントしたり萎縮したりする必要が一切なかったので、素を曝け出すことができたから

②女の子の目を気にする必要がないので、曝け出される”素”の質=”素質”のレベルが高まり、お互い面白がりながら認め合えたから


2.男子校的チームマネジメント論

ここで自称ヤンキー系代表・元ろくでなしブルースな学友(一緒に悪い遊びを楽しんだ仲。現:私と同じ工場系技術屋兼中間管理職。実は超有能)のコメント。工場の自分の部下(ヤンキー系、草食系の2カテゴリー)が若い女性社員を前にした際の態度について彼が言うには、「無駄にイキってマウントしたがるヤンキー系、無駄に恥ずかしがってコソコソしている草食系」だそうである。その態度が男性同士の関係にも影響していて、チームマネジメントの観点からもなかなか面倒臭い。つまりは気になる他人(この場合若い女性社員)の目を気にし過ぎて各自が”素質”を潰してしまい、結果として組織としての伸び代を奪っているのではないか、と言うのである。彼らの本当の”素質”を常に引き出してより良いチームにするには、自分たちが通った男子校のような環境に出来ると良いのだが、という説であった。

ダイバーシティだの男女同権だのと言ったことが常識である現代にこういうことを堂々と書くのはいささか気が引けるが、個人的には私も同感である。もし自分の担当職場があの男子校の環境なら、チームマネジメントはどれだけ楽か。あんなに気楽で楽しい環境、即ち互いの素を曝け出し合い、高め合える環境は、男子校を出てしまうとそうそうない。また、好むと好まざるとに関わらず、常に互いに何らかの利害関係が絡んでしまう組織人、サラリーマンになってしまうと益々難しい。

今の時代にあっては「ウチは職場を男子校状態にしたいので、女性は一切雇用しません」は決して通用しない。同時に生き馬の目を抜く大競争時代である。どんな職場であっても、男子校のような「人目を気にせず、各々が自分の”素質”を発揮し、高めあい、認め合う」という環境、チームを作り出し、組織的な成果に繋げられるかどうかは、正に我々中間管理職の腕次第なのである。

3.現実世界での男子校的少年ジャンプ流チームマネジメント(工場編)

では、老若男女、正社員・非正規社員、学歴、国籍と、従業員の属性に幅広い多様性がある工場組織で、上述のような「男子校風の自由で主体的な環境」を創るにはどうすればよいのだろうか。

私がこれまで中間管理職として経験してきた工場の数々の担当職場で個人的に思い出深いのが、新卒で入社した酒類メーカーの国内工場の、とある充填ライン職場である。その職場は男性正社員5名、男性協力会社員2名、女性準社員10名位の編成だったが、今思うと男女入り混じっている割に私の通った男子校に近い雰囲気だった。所ジョージのような飄々としたライン長さんを筆頭に、定年間際の寡黙なインテリ系、職人肌の体育会系、ちょっと困った元ヤンキー系、漫画や音楽、パソコンに精通したオタク文化系、こないだ高校を卒業した若くて大人しい草食系男子、家では旦那を尻に敷いているであろう豪快主婦、合コンに行ったらいそうな元気で若いお姉さん、などなど。正に「少年ジャンプ」のキャラ勢ぞろいである。その職場も中では細かくは色々あるとは言え、私が他に経験した職場とは明らかに違っていたのは以下の点である。

・ちょっとした意見や愚痴を素で言い合える

・工程に何か異常を感じたらすぐに相談し合える

・ベタベタとした慣れ合いの仲良しクラブではなく、お互いの間に心地よい緊張感がある

この職場は、何故こういう「男子校」「少年ジャンプ」のような雰囲気になっていたのか。私の中間管理職としてのマネジメント力、リーダーシップが卓越していたから…ではなく、私が担当する前からこの職場はこうであった。その理由を「少年ジャンプ3原則」である「友情・努力・勝利」を切り口に思い出してみる。

・【友情】先輩・後輩関係なく、互いの技能・経験から自主的に学び、教え合い、活かすことのメリットを理解していた。(メンバーの相互活用・共育による暗黙知の組織的な形式知化)

・【努力】元々熱い性格の人が多く、「QCD(品質・コスト・納期)」に対するビジョンが職場に浸透しており、1つ1つの作業に対する責任感が非常に強い職場だった。(ビジョン・ミッションの浸透と実践)

・【勝利】個人プレーではなく、互いの性格や持ち味を自然かつ自由、自主的に活かすことによる成功体験(改善活動等)を多く積んでいた。(トライ&エラーを通じた組織的な成功体験の蓄積)

私が男子校で経験した「主体性と自由、責任を重んじる文化」「如何に面白いこと・他人と違うことをするかをお互いに競い合い、認め合う文化」が、そこにはあったのである。

では、どうやってそのような文化が形成・維持されていたのか?は明確には分からない。

たまたま「そう言う人達」が集まっただけかもしれない。HR(人事)的な観点からすると、「そう言う人達」のコンピテンシーを洗い出し、それに合致した人材を意図的に採用していくと言う手はあると思う。尤も、既にいる人達の皆が皆そう言ったコンピテンシーを持っているから採用されたわけではないし、実際に自分で採用業務をやってみると、現実は人事が言うようにはうまくは行かないことがすぐ分かるのだが。

また、他の工程にはない設備上、オペレーション上の特性や、他ラインに比べて人員体制が特殊である(他ラインはもっと少人数であった)と言った要素も影響しているかもしれない。しかし、国内の昔ながらの職場を、テクニカルな側面だけで説明できるとも思えない(海外のように人の入れ替わりの激しい環境であれば、ある程度説明できるかもしれないが)。

その職場を担当した経験から私が1つだけ言えるのは、上位者がくるくる変わる中でも脈々と続いてきたその職場の伝統、生き残る上での知恵・考え方というのが確かにあった、ということである。そして、それらは設備や工程に宿るものではなく、そこで働く人間に宿っているものである。しがない工場系技術屋兼中間管理職としては、内外の環境変化を踏まえながらそういった良い伝統、知恵・考え方を見出して伸ばすこと、勇気を持って過去からの悪弊を取り除くことに注力すべきだと思う。そうすることで、そこで働く人間の”素質”を引き出し、互いに高めあっていける男子校のような環境を更に強化することが出来るし、中間管理職が転勤や転職でその職場を離れた後、10年経っても一緒に呑んでくれる「人生の宝」も出来るのである。そして、その感覚は正に私の男子校時代の学友に対するものと同じである。

少年ジャンプ3原則である「友情、努力、勝利」に着目し、それらを伸ばしていくことは、主体性と自由、責任を重んじる男子校的チームマネジメントの要諦と考える。時代が移って流行の絵柄は変わっても、根底に流れる「友情・努力・勝利」は変わらない。そして、私の中での中学・高校の男子校生活の思い出も、美しさを増すのである。尤も、ヒトの脳というのは、過去の記憶を自動的に美化してしまう機能があり、実際のところは同年代の女の子と会話どころか目を合わせることすら出来なかった、哀しき青春だったのだが。【了】









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