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鍵盤楽器音楽の歴史(22)続々・ファンタジア

ファンタジアの分水嶺はおそらくヨハン・パッヘルベル (1653 - 1706) あたりにあります。

彼のファンタジアは6曲が現存していますが、そのうち1つ P.124 は、J.Sバッハの『インヴェンションとシンフォニア』を思わせる簡素なポリフォニーで、ルネサンス的なファンタジアに近いものです。

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しかし彼の他のファンタジアはこれとは全く異なり、この P.125 のようにトッカータやプレリュードと呼ぶのが相応しい曲ばかりです。

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ここで思い出されるのがバッハのインヴェンションの初期稿の題名が "Praeambulum" であったこと(3声のシンフォニアは "Fantasia")、そしてInvention(創意)はファンタジアと同義であり、P.124もまた前奏曲的な作品なのでしょうか。

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パッヘルベルと同じニュルンベルク出身のオルガニスト、ヨハン・クリーガー (1651 - 1735) のファンタジアもまたプレリュード的なスタイルです。

6 Musikalische Partien (1697) では、フランス風の組曲の前奏曲としてファンタジアが置かれています。

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Anmuthige Clavier-Übung (1699) のファンタジアはオルガン向き。

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パッヘルベルにせよクリーガーにせよ別にプレリュードやトッカータと題する曲も残しているのですが、これらの題名をどう使い分けていたのかは良くわかりません。ともあれ17世紀後半の南ドイツではホモフォニックな前奏曲をファンタジアと呼ぶ習慣が存在していたようです。

北ドイツにはこれとはまた違ったファンタジアが存在していました。いわゆる「コラール・ファンタジア」と呼ばれるもので、ルター派のコラールの旋律を素材にしたポリフォニックなオルガン曲です。ヨハン・アダム・ラインケン (1643 - 1722) の前でバッハが『バビロンの流れのほとりに』に基づいて即興演奏を行い「この技はとうに滅んだと思っていた」と賛辞を受けたエピソードは有名です。

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ゲオルク・フィリップ・テレマン (1681 - 1767) のファンタジアは、これらともまた違った代物です。彼は36のチェンバロのためのファンタジアと、36の無伴奏ファンタジアを残していますが、これらは緩急の部分をもつ、むしろソナタと呼ぶのが相応しい作品群です。

とりわけ不可解なのが12曲の『無伴奏フルートのためのファンタジア』(1732 - 33) で、何故か表紙は "Violino" となっていますが音域的にフルート曲であることは間違いありません。

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チェンバロ用のファンタジアもまた不思議な代物で、2曲で1対になっており、2曲目が終わった後1曲目に戻るように指示されています。

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ヨハン・ゼバスティアン・バッハ (1685 - 1750) の作品には『インヴェンションとシンフォニア』を除いても15曲のファンタジアがありますが、内容に一貫性はありません。BWV542『大フーガ』ト短調のファンタジアと『パルティータ』第3番のファンタジアに前奏曲として機能しているという以外に何の共通点があるでしょう。

D-B Mus.ms. Bach P 595, Faszikel 1

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Klavierübung, Teil 1

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おそらくは「型にはまらない」ことを以てファンタジアとしていると考えたほうが良さそうです。そして彼の最も型破りなファンタジアこそがBWV903『ファンタジア・クロマティカ』になります。

D-B Mus.ms. Bach P 803, Faszikel 22

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即興的な走句とアルペジオに続いて、レチタティーボを模した形式によって激情を迸らせるこの作品は、時代精神ともマッチしてバッハの作品としては当時最も知られたものになりました。

J.S.バッハの次男、カール・フィリップ・エマニュエル・バッハ (1714 - 1788) の著書『正しいクラヴィーア奏法』Versuch über die wahre Art das Clavier zu spielen の最終章は「自由ファンタジア」freyen Fantasie にあてられています。 

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自由ファンタジアとは著者の言によれば

「ファンタジーが規則正しい拍節分割を含まず、しかも拍節分割にしたがって作曲ないしは即興されたその他の曲の場合以上に多くの調に転調するとすれば、そのファンタジーは自由であるといわれる。」

これはプレリュード・ノン・ムジュレについて語っているかのようですが、彼によればプレリュードは、

「聴手にその後に来る曲の内容を予告するもので…ファンタジアよりも制限されている」

ということでファンタジアは前奏曲ではない、それ自体がメインディッシュである曲とされています。

そしてその実例として挙げられているのが自身の『ファンタジア ニ長調』H.160 です。

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これには父親の『ファンタジア・クロマティカ』の影響が色濃く認められます。彼はこの様な音楽こそが鍵盤音楽の究極の形であると考えているようです。

「音楽家は自分自身が感動しなければ、他人を感動させることはできない。聴衆の心に呼び起こそうとする全ての情緒の中に自分自身も浸ることがぜひとも必要である。音楽家は聴衆に自分の感情をほのめかすのである。そしてそのようにしてこそ聴衆の心を最もよく動かして共感させることができるのである…クラヴィーア奏者がとりわけ自由自在に聴衆の心を操ることができるのは即興のファンタジーによってである」

彼は聴衆の感情を揺り動かすことが音楽の使命であると考えていました。そしてそれを最もよくなし得るのが、予め作られたのではない、演奏家がリアルタイムで生み出す、即興の「ファンタジア」なのです。

なんのことはない、200年前のフランチェスコ・ダ・ミラノのところに還ってきただけのことです。

「テーブルの上が片付けられると、ミランはその一つを選び、まるで調弦でもするかのようにテーブルの端に腰をかけて、自らの fantaisie を呼び起こそうとした。彼の弦の音が3回も鳴り響かないうちに客たちの間で始められていた会話は途絶え、会場は水を打ったように静まりかえった。客たちは見えない力によって彼が腰掛けている方に顔を向けさせられ、彼はうっとりとするような技巧で弾き続けた。神業としか思えない手際によって弦は彼の指の下で思いにもだえ、聴き入るすべての人々を次第に包み込んでいく物悲しい気分は…人々から聴くこと以外の全感覚を奪ってしまうほどであった。」Pontus de Tyard (1555, p.114)

このような「ファンタジー」は「幻想」と訳すのが適当でしょう。かくして言葉にできない幻想を表現する絶対音楽としてのファンタジアという思想が、C.P.E.バッハのそれを祖形として、古典派を飛び越えて19世紀のロマン派のピアニストたちに伝えられていくのです。

次からまたルネサンスに戻ります。

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