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鍵盤楽器音楽の歴史(56)ノエル、クリスマスのオルガン音楽

Noël はクリスマスを祝うフランスの宗教的な俗謡です。これはラテン語の natalis(誕生) あるいは novus(ニュース)に由来する語と考えられ、喜びを表現する言葉としてクリスマスの歌で用いられたことに発します。ちなみにキャロル Carol はフランスの舞曲の Carole に由来するもので、イギリスで歌曲として発展しましたが、フランスでは死語となりました。

ノエルの多くは既存の聖歌や世俗のシャンソンの旋律を流用した替え歌でした。16世紀から非常に多くのノエル集が出版されましたが、それらは大抵歌詞だけで楽譜は収録されておらず、代わりに「原曲」のタイトルが示されています。

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(Benoit Rigaud, La grande Bible des Noëls tant vieux que nouveaux, 1555)

例えばこの《若い乙女 Une jeune Pucelle》というノエルは《Une Jeune Fillette》つまりモニカの替え歌です。元は「尼さんなんかになりたくない」と嘆く娘の歌が、聖母マリアの処女受胎の歌になっているのは皮肉なのでしょうか。

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(Noëls, ou Cantiques nouveaux / composez par P. Binard, parisien, 1699)

Une jeune pucelle de noble cœur,
Priant en sa chambrette son Créateur,
L'ange du Ciel descendant sur la terre,
Lui conta le mystère de notre Salvateur.

La pucelle esbahie de ceste voix,
Elle se prit à dire pour ceste fois,
Comment pourra s'accomplir telle affaire,
Car jamais n'eus affaire de nul homme qui soit.
一人の気高い心の若い乙女があった
彼女は部屋で創造主に祈りを捧げていた
天使が天より地上に降り来たり
彼女に我らが救い主の神秘を告げた

乙女はその声に驚き
そして彼女はこう言いだした
どうしてそんな事が成せましょう
なぜなら彼女は男と付き合ったこともなかったのだから

こういったノエルの旋律を用いた変奏曲は、フランスのオルガン音楽で非常に人気のあるジャンルとなります。

ニコラ・ジゴー (c1627–1707) の『聖処女に捧げる音楽集 Livre de musique dédié а la Très Saincte Vierge』(1682) は、オルガン・ノエル集の最初の例です。なお曲集の表紙にはオルガンやクラヴサンのほか、リュートやヴィオール、ヴァイオリン、フルートなどの合奏によっても演奏できると謳われています。

ジゴーはルイ・クープランと同世代で、ニヴェールよりも年長であって、その古風な特徴を留める作品はフランス・オルガン音楽史を考える上で極めて重要なものですが、彼もまた音楽史家にのみ知られているタイプの作曲家であり、ジゴーの作品は現在はほとんど演奏されておらず、録音もわずかしかありません。

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この曲集は2巻に分かれ、それぞれ9曲が収録されています(ただし第2巻の9曲目はノエルではなくアルマンド)。第1巻収録の《さぁ言っておくれ、マリア Or nous dites Marie》はポピュラーなノエルの旋律による6つの変奏からなる変奏曲です。

ジゴーはどのノエルも同じように変奏しており、2声の主題の提示、2声の変奏、3声の変奏、ダイアローグ形式の3声の変奏、高音2声と低音1声の変奏、そして最後に2つのディヴィジョンによる4声の変奏、というパターンになっています。

ジゴーのノエルは、簡素とはいえポリフォニーが主体で、半音階主義も目立ち、古雅な趣があります。またフランス音楽では暗黙の了解とされる、均等に書かれた音符を符点リズム化して演奏する「イネガル notes inégales」が実際に付点音符で表記されているのが特徴的です。

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