見出し画像

鍵盤楽器音楽の歴史(45)ボーアン写本

ルイ・クープランの現存作品は214曲が知られ、内133曲がクラヴサン曲、72曲がオルガン曲、9曲が室内楽のための作品です。

ルイ・クープランのクラヴサン曲は、シャンボニエールと同じく舞曲が中心で、やはりクーラントの数が一番多く、サラバンド、アルマンド、ジーグと続きますが、とりわけ重要なのはシャコンヌとパッサカーユ、そしてルイ・クープランの代名詞ともいえるプレリュード・ノン・ムジュレです。

優雅で美しいものの、刺激に乏しく些か退屈であることも否めないシャンボニエールの作品に比べ、ルイ・クープランのクラヴサン曲は鮮烈で劇的な作風を見せます。

しかしそれはフレスコバルディのようにグロテスクなものではなく、フローベルガーのモノクロームな陰鬱さとも異なり、フランス音楽を特徴づける薫り高さの感じられるものです。

ル・ガロワはシャンボニエールとルイ・クープランの演奏を比較して「シャンボニエールは心に触れ、クープランは耳に触れる」と評していますが、これは少々シャンボニエールびいきが過ぎるというものでしょう。

L’autre méthode est celle du premier mort des Couperins, qui a excellé par la composition, c’est à dire par ses doctes recherches. Et cette manière de joüer a esté estimée par les personnes sçavantes, à cause qu’elle est pleine d’accords, & enrichie de belles dissonnances, de dessein, & d’imitations. 

... les personnes de Chambonnière & de Couperin, dont nous avons parlé, & que nous avons proposéz comme deux chefs de secte. Car encore que tout deux ayent eu cela de commun que d’exceller dans leur Art, & d’en avoir eut-être mieux que pas un autre connu les règles, il est certain néanmoins qu’ils avoient deux jeux dont les différens caractères ont donné lieu de dire que l’un touchoit le coeur, & l’autre touchoit l’oreille; c’est à dire en un mot qu’ils plaisoient, mais qu’ils plaisoient diversement, à cause des différentes beautez de leurs manières de joüer.

Lettre de M. Le Gallois à Mademoiselle Regnault de Solier (1680)
もう一つの方法は故クープランのもので、彼の優れた作曲、つまりルシュルシュ (recherché) を学んだことによるものです。この演奏方法は、和音と豊かな美しい不協和音、音形と模倣に満ちているため、知識のある人々によって高く評価されています。

…シャンボニエールとクープランという人物は、それぞれ2つの流派の首長に例えられるでしょう。2人ともその芸術に精通し、その法則に誰よりも通じていますが、その演奏スタイルの性格は異なり、一方は心に触れ、一方は耳に触れます。つまり一言で言えば、双方とも愉しみを与えましたが、演奏の様式が異なるために、その愉しみの種類が異なるのです。

ルイ・クープランのクラヴサン作品の主要ソースである「ボーアン写本」 (Manuscrit Bauyn, Paris. Bibliothèque nationale de France. Rés. Vm7 674-675) が、調と曲種に基づいて作品を無作為に分類したカタログ的な曲集であるため、彼のクラヴサン曲は「組曲」としては伝わっていません。

現代におけるルイ・クープランのクラヴサン作品の演奏では、演奏者の裁量で同じ調の曲を選んで組曲として演奏することが一般的です。

ただしオールダム写本にはイ短調のアルマンド、クーラント×2、サラバンドという一連の舞曲が収録されており、これは作曲者自身による組曲であろうと考えられます。

ちなみにティトン・ドゥ・ティエは、未出版のまま残されたルイ・クープランの3つのクラヴサン組曲の存在について言及していますが、これは現存作品の量とは噛み合わず、謎が深まるばかりです。

ボーアン写本はアンドレ・ボーアン・ド・ベルサン André Bauyn de Bersan (1637-1706) の所有であったことから、この名で呼ばれています。収録作品のほとんどはクラヴサン曲で、他に若干のオルガン曲と合奏曲が含まれています。写本の筆者は不明ながら、単独の熟練した玄人の仕事です。

ボーアン写本は本来は3巻で構成されていて、第1巻はシャンボニエール、第2巻はルイ・クープラン、第3巻はその他の様々な作曲家の作品という構成だったのですが、現在はどういうわけか第3巻は分割されて1巻と2巻の後ろに付加されています。

画像3

画像4

Ms. Bauyn, Vol. 1

画像7

画像8

Ms. Bauyn, Vol. 2

ボーアン写本の成立年代はよく分かっていません。収録されているルイ・クープランの《シャコンヌ ト短調》(121) の末尾には「1658」とあり、これ以降の年に作成されたというのだけが唯一確からしいことです。

画像5

Ms. Bauyn, vol. 2, f. 74v

ただしこれも全面的に信用できるものではなく、「1650年ブリュッセルにて作曲」とあるフローベルガーのトッカータは、実は1649年の『第2巻』に収録されているものです。

画像5

Ms. Bauyn, vol. 2, f. 7r (83r)

画像6

Johann Jacob Froberger: Toccata 2, "Libro secondo" (1649), f. 6v

近年の研究では1697年にアンドレ・ボーアン・ド・ベルサンがフランソワ・「大」クープランの家のすぐ近所(ついでに伯父の方のフランソワの家からも遠くはない)に引っ越してきているということから、フランソワ・クープランが父シャルルから受け継いだルイ・クープランの蔵書を借り受けてボーアン写本が作成されたものと考え、年代を1697年から1706年の間としていますが、さて。

ちなみにフランソワ・クープランの第6オルドルの《La Bersan》は彼に捧げられたものと思われ、2人に親交があったのは確かでしょう。

画像4

ボーアン写本のかつて第3巻だった部分に収録されているのは、デュモン、リシャール、ルベーグ、ダングルベールといったルイ・クープランと同時代のフランスの鍵盤音楽家たちの作品から、無銘の古風なパヴァーヌ、ゴーティエなどのリュート曲の編曲版、フレスコバルディやフローベルガーなどの外国人の作品まで幅広く、さらにこれらがルイ・クープランのレパートリーであり創作の源であったかもしれないと考えると一層興味深いものです。

中でも注目したいのはジャック・アルデル (c.1643-1678) です。ル・ガロワはルイ・クープランを差し置いて彼をシャンボニエールの弟子の筆頭に挙げており、晩年のシャンボニエールの作品の「唯一の継承者」としています。しかし残念なことに、彼もまたルイ・クープランと同じく若くして亡くなり、僅か10曲ほどの作品しか残されていません。

ボーアン写本にある彼の一連のニ短調の舞曲は、アルマンド、クーラント×3、サラバンド、ジーグ、という配列をとっており、これがオリジナルに忠実なものであるとすれば、フランスにおける完全な古典組曲の最初期の例となります。

これらの彼のクラヴサン曲は、リリカルな旋律に豊かな和音と低音域の活用を特徴とする力作で、シャンボニエールの正統発展形といえるものです。彼の作品がほとんど残されていないのはまったく残念でなりません。

画像9

Ms. Bauyn, vol. 1, f. 34v (71v)

ジーグに続くガヴォットには、なんとルイ・クープランによるドゥーブル(変奏)がついています。例によってタイトルが消されており、ご丁寧にもドゥーブルの方も消されてます。

画像10

画像11

Ms. Bauyn, vol. 1, f. 38 (75)

他にもルベーグのガヴォットやポワトゥのメヌエットにも「クープラン氏」によるドゥーブルがあり、この写本がルイ・クープラン由来の資料に基づくものである可能性を高めています。

ちなみにこの、やはりタイトルは消されている、ルベーグのガヴォットは、ルイ・クープランの死後出版されたルベーグの『クラヴサン曲集 第1巻』(1677) に収録されており、こちらでは別のドゥーブルが付いています。

画像12

Ms. Bauyn, vol. 1, f. 40r (77r)

画像13

画像14

Nicolas Lebègue "Pieces de Clavessin, Livre 1" (1677)

ボーアン写本にはフレスコバルディの作品もいくつか収録されています。その中の1つ《Trio de Frescobaldi》と題する曲については、フレスコバルディの作品でこのようなカンツォーナやカプリッチョは知られていませんし、また作風からいってもフレスコバルディらしからぬ曲です。

画像15

画像18

Ms. Bauyn, vol. 2, f. 20 (96)

実はこの曲はフレスコバルディの『トッカータ集 第1巻』の《トッカータ 第12番》の一部をトリオ・ソナタにアレンジしたものです。

誰の仕業か知りませんが、正気の沙汰とは思えません。

ルイ・クープランじゃないでしょうね…?

画像17

画像18

Hammond, Frederick. “The Influence of Girolamo Frescobaldi on French Keyboard Music.” (1991)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?