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鍵盤楽器音楽の歴史(20)ファンタジア

「ファンタジア」という語は、ギリシャ語の φαντασία に由来し、「想像」「創意」を意味する語として中世には西欧で用いられていましたが、音楽用語として用いられるのは16世紀からのことです。

音楽用語としてのファンタジアは、時代や地域や個人によって大いに異なった意味を与えられています。和訳の「幻想曲」などという字面に騙されてはいけません。確かに言えることは、ファンタジアは歌曲でも舞曲でもない、ある種の抽象的な器楽曲に与えられる名称だということです。

ドイツ

曲の題名としてのファンタジアの初出は、1513-14年頃のドイツのハンス・コッター  (c.1485 - 1541) のオルガン曲です。これは3声部の短い即興的、前奏的な曲で、この時期のプレリュードやリチェルカーレと同様の音楽です。しかしこれは孤立した例で、その後ドイツの鍵盤曲にファンタジアが再び現れるのは当分先のことになります。

https://www.e-manuscripta.ch/bau/content/titleinfo/669614

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イタリア

初期のファンタジアの歴史において重要な作曲家はイタリアのリュート奏者、フランチェスコ・ダ・ミラノ (1497 - 1543) です。彼はファンタジアと題するリュート曲を大量に残しており、それらを含む彼の作品は広く流布して国際的な名声を博しました。

彼のファンタジアは即興の名手として知られた彼の演奏を伺わせるもので、リュートという楽器の響きを活かす感覚と、模倣対位法の技術が美しく融合しています。それらは彼の心のうちから自然に発したかのような「ファンタジア」であって、それを「形式」として定義づけようとするのはあまり意味がないかもしれません。

ちなみに彼のファンタジアとリチェルカーレにはほとんど違いはなく、ソースによっては題名が入れ替わっていることもあります。

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その後のイタリアのファンタジアもリチェルカーレとほぼ同義であり、同様にポリフォニックな傾向を強めていきますが、鍵盤曲ではもっぱらリチェルカーレのほうが題名としてよく用いられ、ファンタジアは比較的少数でした。

ヴェネツィアのサン・マルコ寺院のオルガニストの試験では、与えられた主題で4声のファンタジアを即興演奏する (sonar di fantasia) ことが課せられていました。ファンタジアにはどこかしら即興というニュアンスがついて回ります。

一方でこのようなポリフォニックなファンタジアとは全く異なる例もあり、ナポリのアントニオ・ヴァレンテ (fl. 1565 - 80) のファンタジアは和音を主体としたトッカータ的な曲です。

ジローラモ・フレスコバルディ (1583 - 1643) の Il primo libro delle fantasie a quattro (1608) は彼の最初の鍵盤曲集ですが、結晶化した対位法技術の標本のような曲集です。これは一人前の音楽家としての技量を示すマスターピースのようなものだったのではないでしょうか。これ以後イタリアの鍵盤音楽ではファンタジアはほぼ姿を消します。

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イタリアの器楽合奏用のファンタジアは17世紀中頃まで命脈を保ちます。アドリアーノ・バンキエーリ (1568 - 1634) の Fantasie overo canzoni alla Francese (1603) は、要するに創作主題によるカンツォーナ集です。

スペイン

スペインではビウエラのためのファンタジアが多く見られます。スペインのファンタジアにも和声的なものや対位法的なものがあり、書法によって名称を区別はしていないようです。ティエント (Tient) と呼ばれる前奏曲は和声的なファンタジアと異なりません。ティエントは鍵盤曲の分野で高度に発展して大規模な作品が作られるようになりますが、ファンタジアはスペインの鍵盤曲ではあまり見られません。

アロンソ・ムダーラ (c.1510 - 1580) の Tres libros de música en cifra para vihuela (1546) は多くのビウエラやギターのためのファンタジアを収録しています。第1巻の "Fantasia que contrahaze la harpa en la manera de Ludovico" はハープの音を模した珍しいビウエラ曲です。

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2巻ではファンタジアの前にティエントが付属するのが見られます。

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ディエゴ・オルティス (c. 1510 - c. 1576) の『変奏論』Trattado de glosas (1553) では、ヴィオラ・ダ・ガンバのための様々な練習曲を総じて "Recercata" と呼んでいますが、さらにヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロの合奏を説明するにあたって、即興演奏のことを "Fantasia" と呼んでおり、これはチェンバロが弾く和音に合わせてヴィオラ・ダ・ガンバが即興的なパッセージを弾くというものです。

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トマス・デ・サンタマリア (1510 - 1570) の著書『ファンタジアの技法』Arte de Tañer Fantasia (1565) で説かれているのは、模倣対位法的なスタイルで即興演奏をする方法です。スペインではファンタジアは即興演奏という意味合いが強いようです。

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イギリス

イギリスの資料に最初に現れるファンタジアは「マリナー・ブック」に収録されている "Fansye" で、これはM.A.カヴァッツォーニの "Salve virgo" を元にしています。

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またイギリスのリュート曲集にしばしばフランチェスコ・ダ・ミラノのファンタジアが見られることから、イギリスのファンタジア=ファンシーはイタリアに起源を持つものと考えられます。

イギリスのファンタジアの作り手の代表は、リュートにおいてはジョン・ダウランド (1563 - 1626)、ヴァージナルではウィリアム・バード (c. 1540 - 1623) でしょう。

ここに挙げる2曲はその精華であり、どちらも模倣対位法的な導入に始まって、後半では華麗な名人芸を披露するという即興演奏を思わせる作品です。そしてどちらもどことなくイギリス民謡の趣が感じられます。

無論、イギリスのファンタジアがどれも即興的というわけではなく、前出のジョン・マンデイの「お天気」ファンタジアなどは分類に困ってとりあえずファンタジアと題している感もありますが。

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そしてイギリスで忘れてならないのはヴァイオル・コンソートのファンタジアです。これは『イン・ノミネ』などの流れをくむもので、大小のヴィオラ・ダ・ガンバの合奏というモノトーンな世界に緻密で繊細な作品が多く生み出されました。これらは聴衆に向けた音楽というよりも、仲間と演奏することを愉しむ音楽と言えるでしょう。

ポリフォニックな合奏曲は即興性には乏しいですが、この場合の「ファンタジア」は作曲者のほうにあるとみなせるでしょう。つまり歌詞や形式に縛られていない、作曲者の創意に基づく楽曲ということです

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17世紀半ば以降、この種の音楽は急速に人気を失い廃れていきますが、ヘンリー・パーセル (1659 - 1695) は1680年代にもなって結構な量のコンソート用ファンタジアを作曲しています。

この自筆譜の『イン・ノミネによるファンタジア』は最後のイン・ノミネでもあり、英国コンソート音楽の伝統を有終の美で飾っています。

"Here Begineth ye 6, 7, & 8 part Fantazia’s"
http://www.bl.uk/manuscripts/FullDisplay.aspx?ref=Add_MS_30930

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ネーデルラント

ネーデルラントのスヴェーリンクやコルネットがリチェルカーレよりはファンタジアという題名を主に用いているのはイギリスのヴァージナル楽派の影響が考えられます。

ただしスヴェーリンクの「エコー・ファンタジア」とよばれる特徴的な作品群は、ヴェネツィアからの影響が顕著です。これは演奏されたフレーズをオルガンの別のディヴィジョンによって弱音で繰り返し「こだま」を演出するというもので、サン・マルコ寺院から始まったエコーをテーマにした音楽は当時の流行でした。

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フランス

フランスには、やはりイタリア人のリュート奏者によって16世紀前半にファンタジアが持ち込まれ、その後フランス人による作品も現れるようになります。

アドリアン・ル・ロワ (c. 1520 - 1598) の "Petite fantaisie dessus l'accord du leut" は対位法よりも分散和音主体の音楽で、後のプレリュード・ノン・ムジュレにつながるものといえるでしょう。

しかしながら、17世紀、フランスのリュート音楽の黄金時代に入ると、リュートのためのファンタジーは見られなくなり、ドニ・ゴーティエ (1603 - 1672) の一曲が見つかるのみです。

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アテニャン以降の16世紀後半のフランスの鍵盤音楽は驚くほどに不作で、ギョーム・コストレー (1530 - 1606) の "Fantasie sus orgue ou espinette" は現存する数少ないこの時期の鍵盤音楽の作例の一つです。16世紀フランスに「エピネット・タブラチュア集」というものがいくつか出版されていたことが文献から知られていますが、いずれも現存しません。

しかしこの鍵盤の図は変です。音名まで振ってあるのですが、どうにも腑に落ちません。

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フランスの器楽合奏のファンタジアはわりと豊富に残っています。エスターシュ・ドゥ・カロア (1549 - 1609) の、彼の没後にパート譜で出版されたファンタジア集は、3声から6声のファンタジアが42曲収録されています。厳格な対位法による地味な曲が多いですが、民謡 "Une jeune fillette" によるファンタジアは、素朴なメロディを生かした率直に楽しめる作品になっています。

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なおこの旋律はイタリアの "La Monica" と同じもの。

ルイ・クープラン (c. 1626 - 1661) の大量のオルガン用ファンタジアは非常に興味深い存在なのですが、長い封印により(1957年に写本が発見されながら1995年まで公開されなかった)未だに謎めいた領域になっています。

かなり特殊な例ですが、彼の "Fantaisie 'Duretez'" は見紛うことのないナポリの "durezze e legature" 形式です、こんなところ出会うとは。そして途方も無い転調と不協和音、ジェズアルドもびっくりです。このタイプのオルガン曲はフランスでは "Fond d'orgue" という名で、もう少しおとなしい形で生き残ります。

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ルイ・クープランの合奏用のファンタジアもやはり尋常ではなく、この『ヴィオールのためのファンタジー』は通奏低音つきソロ・ソナタというべきものです。あるいは前述のディエゴ・オルティスが言っていた即興の「ファンタジア」というのはこういうものだったのでしょうか。関係はわかりませんが、後のマラン・マレのヴィオール曲にも時折ファンタジーという曲名は見られます。

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しかしフランスでもやはり17世紀末までにはファンタジアは衰退してほぼ姿を消します。その後のドイツのファンタジアについては次回で。

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