師ツァハウ、クリーガー兄弟(『故ジョージ・フレデリック・ヘンデル回想録』解説、その3)
ザクセン=ヴァイセンフェルス公アドルフ1世に父を説得してもらえたヘンデルは、ハレでフリードリヒ・ヴィルヘルム・ツァハウ Friedrich Wilhelm Zachow (1663-1712) に師事することになります。
マナリングはツァハウをカテドラルのオルガニストとしていますが、これは誤りで、彼が務めていたのはハレの聖母教会 (Marktkirche Unser Lieben Frauen) の方です。1684年8月11日に聖母教会のオルガニストに就任して以来、彼は生涯その職を務めました。そして彼はヘンデル以外にも多くの弟子を育てています。
現在の聖母教会の大オルガンは1984年のものですが、東ギャラリーの小オルガンは Georg Reichel が1663-4年に製作した原型を保っており、今もコルネトンのピッチ(A=466Hz)のミーントーンで調律されています。
この狭い演奏席にヘンデルも潜り込んでいたのでしょう。そして演奏者は会衆からは見えませんから、酒場に姿を消したツァハウの代理を務めることも難しくなかったはずです。
現存するツァハウのオルガン作品は、全部合わせてもCD1枚に収まる程度。その多くはルター派のコラールに基づく作品で、素材を扱う技法には様々なものが網羅されています。ヘンデルは宗教的なオルガン曲は残していませんが、彼のチェンバロのための変奏曲には師の変奏テクニックの影響が認められます。
ツァハウの《イエス、我が喜び Jesu Meine Freude》は、12の変奏を擁するコラール・パルティータで、彼にして最大規模のオルガン作品です。なお1695年にツァハウは教会評議会の敬虔派から「教会での精巧で過度に長い非啓発的で理解不能な演奏」を批判されています。
現存するヘンデルの鍵盤作品の主体はチェンバロのための組曲ですが、ツァハウの作品としては、J.S.バッハの長兄、ヨハン・クリストフ・バッハが編纂した《メラー写本》に収録されている《組曲 ロ短調》が唯一知られているものです。
これは、アルマンド、クーラント、サラバンド、フーガ、という、ちょっと変わってはいますが、あくまでフローベルガーの延長にある典雅な作品で、ヘンデルのチェンバロ作品から見るとだいぶ古風です。ただアルマンドとクーラントを同じ主題で作るやり方は受け継がれていますね。もっともこれは当時のドイツの典型であって、ツァハウに限ったことではないのですが。
ところで歴史家のウィリアム・コックス (1748-1828) による『Anecdotes of George Frederick Handel and John Christopher Smith 』(1799) という著作があり、ヘンデルの生涯に関しては概ねマナリング等の引き写しなのですが、中には興味深い記述も見られます。
残念ながらこの本は現存しません。
もうひとつ、ヘンデルはヨハン・クリーガー (1652-1735) の『優雅なクラヴィーア練習 Anmuthige Clavier-Übung』(1699) の版本を、晩年に友人のベルナルド・グランヴィル (1700-1775) に譲っており、これもやはり現存しないのですが、それにはこのような書き込みがされていました。
この曲集は、鍵盤のためのプレリュード(トッカータ、ファンタジア)とフーガ(リチェルカーレ)、それと1曲のチャコーナ Giacona を収録するものです。
クリーガーの作品は、旋律の魅力には乏しいのですが、高度な対位法技術を見せており、特に中心となるハ長調の一連のフーガは、それぞれ異なる主題による4つのフーガが示された後、それらの主題を同時に用いた4重フーガに昇華されるというもので、これがJ.S.バッハの《フーガの技法》に影響を及ぼしているのは明らかです。
ヨハン・マッテゾンは著書『Critica musica』(1722) にこう書いています。
このヨハン・クリーガーとよく混同される、その兄のヨハン・フィリップ・クリーガー (1649-1725) は、実にヴァイセンフェルスの宮廷楽長です。ヘンデルがアドルフ1世に見出された際には、兄クリーガーの関与があったのかもしれません。もしかしたらヘンデルに礼拝堂のオルガンを触らせたのは彼の仕業ではないでしょうか。
マナリングはヘンデルは9歳から毎週礼拝のための音楽を作曲していたとしていますが、当然のようにこれらは全く現存しません。
また、それとは別に第三日曜日に行われる演奏会があり、これはツァハウの重要な職務でした。そのために作曲されたであろう彼のカンタータが少なくとも70曲以上存在したことが知られていますが、現存するのは24曲ほどです。彼のカンタータはシュッツのような宗教コンチェルトからマドリガル様式のものまで、ドイツにおけるカンタータの様々な発展段階を含んでおり、音楽史的にも重要性の高いものです。そしてヘンデルのオペラやオラトリオの源流がここにあると言えるでしょう。
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