余は如何にして其の本を20181127

 読んだ本の感想を書いて公開しようなんて考えてたら、あらかた積ん読のぼくは、何も書けなくなってしまう。そこで、読みたいと思った本、買った本、買ってはいたけどいよいよ読み始めようと思った本、再読しようと思った本、などについて、そのきっかけを記録することにした。これなら気楽に書きつづけられるように思うので、共通タイトルを「余は如何にして其の本を」とし、各記事には日付を添えることとした。その日に買った本や読み始めた本についてだけでなく、かつて買った本の購入動機を思い出したりしたことや、かつて読みたいと思ったが買いそびれて忘れていた本についてあらためて考えたりしたこと、それらも、いい加減な感じで記録していくつもりだ。読んだ本の感想は、原則、書かないこととするが、うっかり書いてしまうこともあろう。(あまり信じてはもらえないかもしれないが、この記録を書くのは、本人としては、体調不良のリハビリのつもりでもある。)

 なんとなく読み始めた鈴木大拙『仏教の大意』(角川ソフィア文庫)は、とりあえず買った安藤礼二『大拙』(講談社)を読む前に、何か大拙じしんの本をと思い、『日本的霊性』(角川ソフィア文庫)よりも薄いからという理由で。

 NHKのEテレ「100分de名著」2018年12月放送分のテキスト、國分功一郎『スピノザ『エチカ』 「自由」に生きるとは何か』(NHK出版)。スピノザの『エチカ』上下巻(岩波文庫)は持っているし、大学時代に読んだような気もするが、何ひとつ記憶にのこっていない。『エチカ』再読への勢いを得るために、この薄い解説書を買ってみた。なお、我が家にはテレビがないので、番組を見ることはないだろう。國分功一郎の他の著作については、『暇と退屈の倫理学』(朝日出版社、のち増補新版が太田出版から)、『ドゥルーズの哲学原理』(岩波現代全書)は読了したが、話題となった『中動態の世界』(医学書院)は、いまだに積ん読状態である。

 島尾敏雄『出発は遂に訪れず』(新潮文庫)と『ちくま日本文学全集 内田百閒』(筑摩書房)は、先日、部屋の片づけ(という名の「本の移動」)をしたところ、たまたま枕元で隣り合わせたので「夢を題材とした本が呼び合ったかな」とか思いながら、すべて読み通す意志もなく、なんとなくめくり始めた。

 どこで読んだか忘れたが、ある翻訳家が、うまくいかない訳文について、島尾敏雄の文体を真似したらうまくいった、という話をしていた記憶(対談記事だったと思う)があり、それが誰で、どんな作品の翻訳だったのか、ずっと知りたいと思っている。

 内田百閒といえば、鈴木清順監督の映画『ツィゴイネルワイゼン』を思い出し、そういえば、蓮實重彦の『シネマの記憶装置』『映画はいかにして死ぬか』(ともにフィルムアート社)が新装復刊されていたな、と今日の書店散策を振り返る。『シネマの記憶装置』には菊地成孔が、『映画はいかにして死ぬか』には濱口竜介が、それぞれ帯の推薦文を寄せていた。スタジオジブリの無料配布小冊子『熱風』の最新号(2018年11月号)には、濱口竜介のインタビューが掲載されていたな。

 初回にしては書きすぎた。この形式ならえんえんと書きつづけられそうな気がする。よきリハビリになれば、と思う。

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