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夜に天使は本の星座を

 2010年(ちょうど10年前だ)に、有志のみなさまといっしょにつくった書評誌『TABULA』に寄せた文章をアップします。またああいう小冊子(ZINEという小洒落た呼び名がすっかり定着してしまいましたが)、つくりたいなあ。創刊のごく簡単な経緯と誌名の由来は以下のとおり。
《『TABULA(タブラ)』は、札幌市西区の発寒商店街で 2010年5月15日土曜日および8月7日土曜日に開催された 古本市の関係者がお贈りする書評集です。 誌名の由来は、 ラテン語の「tabula rasa(タブラ・ラサ)」と日本語の「誑(たぶら)かす」。》


「夜に天使は本の星座を」

《夜はたいてい本を読んで、》
 I read, much of the night,
 ── T.S.Eliot, The Waste Land

 夜が好きだ。
 夜に読む本が好きだ。
 昼の思考の断片と夜の読書の刺激とが、流星のように通過したり星座のように整列したり。
 本を読むことで、何かをこわし、何かをつなぐ。
 放っておいてもすべてがこわれていきそうなこの世界で。
《解体する世界のなかでは、かれが救いたいと願うものがもっとも壊れやすいのだ》

 新しい天使は、進歩という名の逆風を受けながら、過去の廃墟の瓦礫を“読む”。
《きっと彼は、なろうことならそこにとどまり、死者たちを目覚めさせ、破壊されたものを寄せ集めて繋ぎ合わせたいのだろう》

製本職人(ルリユール)は、再生のために本をこわす。
《では、まず一度本をばらばらにしよう、とじなおすために。
 「ルリユール」ということばには「もう一度つなげる」という意味もあるんだよ》

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
 《五分休憩》
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 夜は毎日やってくる。
 安眠の幸福とともに、あるいは、不眠の焦燥とともに。
 不眠の夜の孤独の中で、ふと《私だけ、いつ、どこで途中下車したのだろう》という疑問がよぎったり、あるいは、日中の複雑な人間関係に倦み疲れ、《吾々は総じて結びつきというものに堪えられないのだ》などとうそぶいたりもする。

 そしてぼくは夜、本の中の夜へ、未だ開かぬページの中へ、もぐりこむ。
 そこには、夜よりさらに深い闇や、かすかにかがやく星がある。

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

疎遠になった二人をも、遠く離れて眺めれば、ともに包みこむ宇宙規模の軌道があるはず。そんなつながりを《星の友情》と呼ぶ。

 数えきれない星たちを二人ならんでともに数える、それもまた友情。
《はりねずみは、こぐまのいえに でかけます。/ふたりで、おちゃを のみながら 星を かぞえるのです》
『星の王子さま』の作者はこう語る。
《愛するということは、おたがいに顔を見あうことではなくて、いっしょに同じ方向を見ることだ》
 同じ本を読む二人の間にも、愛や友情が。
《けれどもたしかに二人の視線がこの本の上で重なり合っている》

《この宇宙ではすべてがたがいに結びあい呼応しあっているのだという考えをけっして忘れることはない。蟹座星雲の変化に富んだ光度や、アンドロメダ星雲の球状星団の密集は、かれのレコード・プレーヤーの働きや、サラダの皿にのったクレソンの葉のみずみずしさになにか影響をおよぼざぬはずはないのだ》

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

ふとした瞬間、ぼくら、星座をかたちづくる。誰かとの間に、何かとの間に。でも、たとえ星座=物語に組み込まれなくても、星はかがやく。
ただそこに在ることの光。
《星座から見た地球》の上、ぼくら、かがやく星の子供たち。

 天国へ向かう宇宙船の窓から、星の光は見えるだろうか?
《だがな、天にいるだれかさんはおまえが気に入ってるんだよ》

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

《 》内の言葉は、以下の本からの引用である。

エリオット『荒地』(岩波文庫)。
カルヴィーノ『パロマー』(岩波文庫)。
ノルシュテインとコズロフ『きりのなかのはりねずみ』(福音館書店)。
ニーチェ『悦ばしき知識』(ちくま学芸文庫)。
武田百合子『犬が星見た』(中公文庫)。
ロレンス『黙示録論』(ちくま学芸文庫)。
いせひでこ『ルリユールおじさん』(理論社)。
高野文子『棒がいっぽん』(マガジンハウス)。
ヴォネガット『タイタンの妖女』(ハヤカワ文庫)。
福永信『星座から見た地球』(新潮社)。
ベンヤミン『ボードレール』(岩波文庫)。

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