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わたしのこと⑯

川崎病を患った後遺症のため
走ることも早歩きもできなく
なったのが小学校6年生の時
でした。


まだまだ子供だったし、

おもいっきり風を感じて

全力で走り回ったり、

駆け上がったり

自己ベストタイムを出したり

たくさんやってみたかった。


少し駆け出そうとして、

「あっ、走ったらだめだった・・」

と、肩をおとしてトボトボ歩く。

視線も次第にうつむきがちに

なっていきました。


12歳で生きていくことが楽しいと
感じられなくなりました。

1日3回毎食後欠かさず薬を飲む
ことも当時はつらかった。


たくさん悩んだりしました。

でも悩んだところで病気は 
一生治らないと言われたし、



「もう、どうにでもなれ!」

とある時から開き直り
薬も飲みたくないときは
飲まなくなりました。

(もちろん、親には内緒ですが・・)


必ず服薬しないと血液が

固まり死につながるから

絶対飲み忘れたらダメと

言われていたのに。

中学3年生くらいになると、
月の半分くらいは飲まなく
なっていました。


私の中学・高校生活は
体育はすべて見学でした。


いつも見学なので、なんとなく

みんなと距離を感じて、

だんだん消極的になって

いきました。


みんながマラソンしたり、

きつい運動をした後、


「いつも見学で楽でいいよね」


と言われ、傷ついたこともあります。


そういう経験を通して人の痛みを
感じることを学んでいったのだと思います。



つづく。


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