貰った服を着続けること

服を買うためのお金だって日々生きることに気を取られて手元に残こることはほとんど無い。

そのせいかわたしは頂いた誰かの服を最初から自分のものだったようにいまも着続けている。

はじめてもらったおふるはとある仲の良かった同性フォロワーさんのものだった。2019年3月。彼女も快く帰れる場所がないらしくよく街を彷徨って朝を迎えるような人だった。ヒートテックの下着、フルネックの洋服、青や黒のパーカー、半袖など主に冬をしのぐための衣類を多く譲ってくれた。黒の中がふわふわしたパーカーを寒い日の朝コート代わりにしてごみ捨てに行くのが私的優勝な使い方だったりする。

二人目、一人暮らしをはじめて間もない頃。東京にいる年上の女性フォロワーさん。台風が近づいて低気圧でわたしが仕事を早退した日、共通の好きなアイドルの話を駅前のロイヤルホストで何時間もした。その時にわざわざ大きな袋に冬物の衣類を詰め込んできてくれた。その時に頂いたチェックの青のロングワンピースは私の冬服一番のお気に入りである。羽織にもワンピにもなる、上から服を着ればスカートにもなる。何でも来い、万能で着心地の良い毎日使いたくなるような服。他にも、パーカーなどちょっと気持ち強めでいきた日に作業を捗らせるために着ている。

最後に。職場のあたたかいパートさん達。一人暮らしをはじめるといった時に家電やその他消耗品と一緒に家に余っている衣服を譲ってくれた。一度だけでなく、今でも時々この服いる?とか靴高いよね、何センチ?よかったら使ってと言いながら目の前に置いていく。譲ってくれる人は決まっていて二人なんだけど、本当に何からなにまで(下着やコートまでそして保存方法まで)もってきて色々着せながら教えてくれる。神様なんじゃないかと思う。

「首元のホクロは一生着るものに困らないんだって」おばあちゃんがそういえば子どもの頃よく言っていたっけ。

P.S.衣類を譲ってくれた寛容で優しい人達へ

本当に、本当に服を譲っていただきありがとうございます。わたしはこれからも大切にいただいた服を着続けていきます。あわなくなったらアレンジしてまた別の道で輝けるようにします。無駄にはしないです。雨の日も風の日もどんな日も寄り添ってくれていてます。

『余談』
頂いたばかりの服の洗剤の匂いからその人のこと、その衣服の歴史を想像するのが好きだ。シミからあたたかいエピソード、擦り切れた袖口からは仕事風景などを想像し本当はどうなんだろうかと空想にふける。服を着てみる前のその時分が好き。

その他に、頂いた服を着るとなぜかメイクをした時のように自分が少しだけ強くなったように思っている。まるで制服、戦闘服。元々の持ち主の守護霊でもついているかのようにどことない安心感に包まれる。何よりも最強なお守りかもしれない。