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商業エロゲーが黄金期を終え、一時的に縮小し、そして復活した理由についての推論

先に断っておく。プレイするのに30時間以上を要した往年の大作のようにクソ長いこの文章は、「商業エロゲー業界は衰退したんだ! もう未来はないんだ!」と嘆き叫ぶために書いたものではない。

ぼくは今も、商業エロゲーの世界に生きている。嘆く欲望は持っていない。この長文をものした目的は、商業エロゲーが黄金期を終え、2016年まで縮小した理由を分析し、その結果を未来に活かすことである。

■商業エロゲーの全盛期はいつだったのか?

ピークはすでに判明している。宮本直毅氏の『エロゲー文化研究概論』(総合科学出版)には、

北海道のローカル経済誌「月刊 財界さっぽろ」が当地の美少女ゲームメーカーに関する特集記事を載せた二〇〇七年九月号で、その四年前にエロゲーの市場規模が560億円で最盛期だったと数字を出している。

と記されている。4年前というのは2003年。2003年がピークだったという定説は、「月刊 財界さっぽろ」の記事から来ている。

「月刊 財界さっぽろ」と矢野経済研究所のデータを並べると、商業エロゲーの市場規模は、

2003年  560億円(財界さっぽろのデータ)
2006年  351億円(以下、矢野経済研究所)
2007年  341億円
2009年  300億円(グラフから推測)
2010年  261億円
2011年  243億円
2012年  198億円
2013年  188億円 
2014年  191億円
2015年  185億円
2016年  168億円
2017年  160億円

2003年を超えているデータはない。

■全盛期はいつから?

1991年から商業エロゲーに関わってきた故・田所広成氏は、美少女ゲーム雑誌の創刊が相次いだ頃から2000年代前半と記されている。

Hiroki Kaneko氏の「田所広成の反省記 業界の浮雲児が見た90年代エロゲの時代 F&C編 上巻」によると、

この頃から出版業界では「エロゲ雑誌」というものが雨後の筍のように創刊しており、本屋でエロゲなるものを知った読者がPCを購入して、以後2000年代前半まで続く業界の黄金期を迎えることになります。

この頃とは、「美少女ゲーム雑誌の創刊が相次いだ頃」=1992年頃。92年は空前のヒット作『同級生』が発売された年でもある。92年を黄金期(全盛期)の始まりとするのは、決して不自然ではない。

『田所広成の反省記-業界の浮雲児が見た90年代エロゲの時代-f-c編-下巻-』では、

エロゲソフトハウス乱立以前が、どれだけ甘い時代だったかというと、あのHARD社でさえ1タイトルで万本単位を売り、年商も数億円を叩き出していたほどである。

と注釈で記されている。また、

ビジュアルアーツの馬場社長が大阪のクラブで1本30万円のボトルを開けるだとか、菅野ひろゆきのフェラーリでレインボーブリッジを爆走

といった、羽振りのよさを示すエピソードも記されている。

ともあれ、田所氏の認識では、商業エロゲーの黄金期(全盛期)は、92~2005年頃ということになる。

2020年でラノベ作家歴11年、エロラノベ作家歴17年、エロゲーシナリオライター歴25年のぼくの場合の話をすると、ぼくが商業エロゲー業界に入った1995年は、初期ロット5000本は当たり前の時代だった。あの当時の「この数が初期ロットとして当たり前」と今の時代の「この数が初期ロットとして当たり前」を比較すると、あの頃は羽振りがよかったのだなと感じる。さらに羽振りのよさを人づてに知らされたのが、97年。ただヒロインの絵をクリックして音声を聞くだけみたいなソフトで1万本、2万本と数を出していた。だが、ぼくの在籍していたソフトハウスでは、そういうソフトが97年10月から売れ行きが低下。97年11月の山一ショック(山一証券の倒産)で、ぼくがいたソフトハウスでは、明らかに初期ロットが下がった。12月には3000本まで落ちた。

ただ、96年、97年、98年の商業エロゲーの市場規模の数字データがない。1997年は『To Heart』がヒットした年である。

黄金期のはずなのに、なぜ初期ロットが下がったのか?

次のように考えるのが恐らく一番説明がつくだろう。黄金期(全盛期)は92~2003年までだったが、その黄金期(全盛期)に、96~97年半ばまで、Windowsバブルが重なっていた。そのWindowsバブルが終わったから、97年後半に初期ロットが下がった。

ところで99年にエルフの面接を受けた時、自分がつくったタイトルが売り上げ1万5000本という話をしたら、エルフの下田氏は「我々(エルフ)からすれば、屁のような数字」と言い放っていた。2020年にはこんな失礼(笑)な発言はできないので、99年が今に比べればいかに羽振りがよかったかがわかる。

■商業エロゲーの全盛期の終わりは?

さて、全盛期の終わりはいつなのか。
現時点で明らかになっているのは、

2003年  560億円(財界さっぽろのデータ)
2006年  351億円(以下、矢野経済研究所)


この数字データである。2003年のデータは「月刊 財界さっぽろ」、2006年のデータは矢野経済研究所なので完全に正確な比較はできないが、もし両者の数字がある程度妥当だとすると、2003年から2006年に37パーセントも減少したということになる。ざっくり言って、2006年は2003年の6割の規模になっていたということだ。このデータを見る限り2006年も全盛期であったとい言うことは難しいように思う。むしろ、2006年にはすでに全盛期はすぎていた。そう言ってもよいのではないか。

問題は、全盛期の終わりはいつなのかだ。
2003年なのか。
それとも、『Fate/stay night』が発売された2004年なのか。
あるいは2005年なのか。

2004年と2005年の市場規模が不明なので、2004年か2005年かを明確に決定することができない。

知り合いは、2005年~2011年の間、致命的に売れなくなったと話している。

消費者白書では、可処分所得(自由に使えるお金)は98年に頂点を迎えて、99年から2003年まで下がっている。そして2004年から微増し、また2008年から下降している。2010年に少し盛り返すが、2011年に下降して、以降、横這い。2015年から急上昇して2002年の水準を突破している。2016年には2001年の水準を突破している。

消費者白書のデータを参照しても、全盛期の終わりが2003年か2004年か2005年か確定できない。よって現時点で明言できるのは、

92年~2003年までは商業エロゲーの全盛期と言える

ということである。

■商業エロゲーが秋葉系の流行の上流域として最もサブカルチャー的力を発揮した時代

流行というのを川の流れに喩える考え方がある。流行の発生源(最先端)が上流域。最後が下流域。映画やドラマは、最後に流行を受け止めて実現する場所、すなわち下流域と考えられている。

商業エロゲーの全盛期は、92~2003年。その中でも、秋葉系文化の流行の上流域として最もサブカルチャー的な力を発揮したのが、97~2003年。そしてその時代を代表するのが、

97年『To Heart』
2000年『Air』

97年~2003年までの商業エロゲーは、秋葉系の流行の最先端だった時代。萌えを、萌えブームを、商業エロゲーがリードした時代。商業エロゲーが、良質な萌えヒロインたちを量産し、団塊ジュニア世代の顧客(さらに言うなら、ロスジェネ世代の顧客)に対して最も訴える作品を生み出せた時代だった。そしてその時代――後に言う95年以降の世界――を代表するのが、『To Heart』と『Air』だった。

団塊ジュニア世代 1970~74年生まれ。泣きゲーが生まれた98年当時、24~28才。『Air』がブレイクした2000年当時、26~30才。団塊ジュニア世代は、就職難という形で社会から蹴り飛ばされてしまった世代、就職難という形で社会に受け入れてもらえなかった世代。それゆえに、別の形での受容を求めることになる。そして同時に、社会で無用とされた(就職できない=社会から無用と烙印を押された)自分を無条件的に受け入れてくれるヒロイン像を求めることになる。それが、萌えのヒロインたちだった。泣きゲーはまさに団塊ジュニア世代に最も訴求する作品だった。団塊ジュニア世代は、泣きゲーブームのメインの受け手となったと言える。

ロスジェネ世代。1970~82年生まれの世代。ロスト・ジェネレーション、 つまり失われた世代の略称。バブル崩壊後から約10年間、就職活動で苦難を味わった世代。『Air』がブレイクした2000年当時、18~30才。まさに秋葉系の中心的年代だった



■商業エロゲーの2000年代前半型モデル

箇条書きに整理してみる。

・まったり&だらだら
・序盤の展開スピードが遅い
・シナリオが大容量(2MB近く)

3つを完備したのが、2000年代にマッチしたモデル。恐らく団塊ジュニア世代(≒ロスジェネ世代)にマッチしたモデル。プレイ時間を大量に捻出できた時代だからこそ、受け入れられたモデル。

さらに大量のプレイ時間(30時間以上)を必要とする大作も誕生。

・2000年代前半型モデル(ロスジェネモデル)が市場規模縮小に影響した?⇒裏付ける数字データがないため、不明。不明である限り、主因であるとは言えない。
・大作が顧客を遠ざけ、市場規模縮小につながった?⇒裏付ける数字データがないため、不明。不明である限り、主因とは言えない。。

■猫も杓子も泣きゲー

2000年以降、2003年頃まで、「泣きゲーをつくりたい!」と語る人が多かった印象。

・泣きゲーばかりの飽和状態が顧客を遠ざけ、2006年までの顧客の4割減少という状況を招いたのか?⇒裏付けがないため、明確に影響があるとも主因であるとも言えない。ただ、「泣きゲーばかり」という印象の強さが、「同じものばかりつくったせいで、衰退した」という世間での理由づけに拍車をかけている可能性がある。

■2004年


「2003年までが全盛期だった」とすると、「2004年から下降(市場規模縮小)が始まった」ということになる。ここで注意しておかなければならないのは、2004年という時期。なぜ2004年から下降が始まったのかということ。「全盛期が2003年までだったから、以降、落ちるのは当然」では充分な理由にならない。「なぜ、2003年までが全盛期で、なぜ2004年から下降してしまったのか」。これが問われなければならない。

「~のせいで市場規模が縮小した」というのと「~のせいで2004年に市場規模が縮小した」とは違う。2004年から下降が始まったのは、2000年代前半型モデルのせいだろうか? それとも大作のせいだろうか? それとも泣きゲーばかりの飽和状態になったからだろうか? 印象論的には、2000年代型前半モデルも大作も泣きゲーばかりの飽和状態も市場規模の縮小に関係したように感じてしまうが、印象論的理由では「なぜ2004年から?」の部分を説明できない。説明できない以上、上記の印象論的理由は主因ではない。主因を求めるためには、2004年という年を考えてみなければならない。

2004年に商業エロゲーをめぐる状況で起きたこと。

・Fateの大ヒット
・メガヒットのラノベが誕生、ラノベブーム
・同人エロゲーが成長

これがどのように、商業エロゲーに関わるのか? ピーク後の流れを見て、探ってみよう。

■ブーム収束期 2004~2008

ピークの後の収束期、後退期。

2003年  560億円(財界さっぽろのデータ)
2006年  351億円(以下、矢野経済研究所)

・商業エロゲーを卒業するのはだいたい35才頃というのを聞いたことがある。それがもし本当ならば――。
・バブル世代(65~69年生まれ)が商業エロゲーから消える(36歳になる)のは、2005年。
・団塊ジュニア世代(70~74年生まれ)とY世代(75~85年生まれ)がメイン顧客の時代(ロスジェネ世代がメイン顧客の時代?)。
・ピーク後の収束&後退に、2000年前半型モデルは影響したか?⇒影響を確認できない。2000年代前半型モデルも、大作も、泣きゲーばかりの飽和状態も、ピーク後の収束&後退に明確な影響を及ぼしたと断定できない。断定できない以上、他の要素を考えざるをえない。購買力のあるバブル世代が抜けた影響の方があったのか? もしバブル世代が抜けたせいだとするなら、世代交代のたびに市場が縮小することになる。だが、市場規模が縮小するとは「離脱する客>新規顧客」の状況が起きるということ。バブル世代が抜けたことは「離脱する客の発生」について説明できても、「離脱する客>新規顧客」を説明できない。それ以外の要素の方が大きかったのでは?


■ピーク後の収束期以降の流れ


「ピーク後の収束&後退期」以降の縮小の様子も見てみよう。

・だいたいは前年比90%台で移動。
・2009年に前年比80%台の大きな縮小。
・2012年に前年比80%台の大きな縮小。
・2014年に前年比80%台の大きな縮小。
・縮小の時期からして、世代交代が影響している可能性は低い。
・なぜ2009年に大きな縮小? なぜ2012年に大きな縮小? なぜ2014年に大きな縮小?
・2009年、2012年、2014年と個別に見てみる。

■2009年 縮小1・リーマンショックの影響

なぜ2009年に大きな縮小があったのか? 2009年に最も関連性の高いものとして考えられるのは、2008年のリーマンショック。その翌年2009年に、ずどんと市場規模が低下している。前年比80%台の縮小。リーマンショックが持つ影響の大きさ、リーマンショックと規模縮小の時間的密接性から、2009年の規模縮小はリーマンショックが主因の可能性が高い。

あるジャンルの市場規模が縮小するためには、

ジャンルから離れていく人>ジャンルに新しく参入する人

という状況が必要だ。つまり、新規のお客よりも離脱するお客の数が多い状況が必要だ。よって市場規模縮小の理由は、「ジャンルから離れていく人>ジャンルに新しく参入する人」を説明できる理由ということになる。

ジャンルからたくさんの人が離れていっても、同じ分だけ新規参入者がいれば市場は縮小しない。また、ジャンルに参入する人が少なくても、離れる人が少なければ、やはり市場は縮小しない。「ジャンルから離れた理由」を考えるだけでは、市場縮小の理由にはならない。「ジャンルへの新規参入者が減った理由」を考えるだけでも、市場縮小の理由にはならない。ジャンルからたくさんの人が離れていった理由を説明するだけでなく、ジャンルに入っていく人が減っていく理由も同時に説明できるものでなければ、市場縮小の理由にはならないのだ。つまり、その理由により、離脱者が増加して同時に参入者が減る」というものでなければ、市場縮小の理由にはならないのである。

さらに言えば、「なぜその年に?」というのがある。「なぜその年に?」を説明できないものは、理由にはなれない。「ジャンルから離れていく人>ジャンルに新しく参入する人」を説明しながら、同時に「なぜその年に?」を説明できるもの。それが市場縮小の主因となる。

リーマン・ショックによる経済的打撃は、ジャンルから離れていく人を増やしただろう。同時に、ジャンルに入る人たちを減らしただろう。さらに2009年という時期の説明にもなる。よって、リーマン・ショックを主因と断定してもよさそうだ。

・覚書として。商業エロゲーを卒業するのはだいたい35才頃とした場合、バブル世代(65~69年生まれ)が商業エロゲーから消えるのは、2005年。
・商業エロゲーを買わなくなった顧客は何を購入?
・この翌年2010年に団塊ジュニア世代(70~74年生まれ)が離脱か?⇒それならば離脱はゆるやかに行われるはずで、主因とはならない。

■2012年 縮小2・大震災の影響

2011年  243億円
2012年  198億円(前年比81.5%)

2011年、大震災。その翌年、ずどんと低下。前年比80%台を記録。大震災が持つ影響の大きさ、大震災と規模縮小の時間的密接性もあるが、大震災の経済ショックは商業エロゲーからの離脱者を増やし、参入者を減らしたと想定できる。さらに2012年という時期の説明にもなる。2012年の規模縮小は大震災が主因と判断してよさそうだ。

・ショップの減少は、大震災により増加したか?⇒未確認
・前年2011年にMacBookAirが発売され、「薄い、軽い」に右ならえとばかりにWindows向けノートパソコンから光学ドライブがなくなった。その影響は?⇒未確認。ノートパソコン購入者の方が多かったので、新規参入者に対してハードルになった可能性はある。その際、ダウンロード販売のルートがはっきりと開かれていれば、損失なく誘導できた可能性はある?

 同人エロゲーの市場規模は出されていないが、Dlsiteで10位のタイトルの販売本数を2000年から並べると、2012年に減少は起きていない。微増である。

・ダウンロード販売であるがゆえに、あまり影響は受けなかった?
・それとも、同人エロゲーは低価格だったため、影響を受けなかった?(商業エロゲーほど大容量ではなく比較的小容量で、100Mbpsの通信速度の世界でも恐らく問題はなかった?)
オリコン・リサーチのデータによると、ラノベの紙媒体の売り上げは前年比97%。電子書籍も含めると減少していない可能性が高い。
・同人エロゲーやラノベが減少しなかったのに対して、商業エロゲーが減少したのはなぜ? 高額商品だから? ショップが減少したから? 顧客の求めるものと一致していなかったから?⇒すべて不明
・商業エロゲーを買わなくなった顧客は何を購入?

■2014年 縮小3(?)・消費税増税の影響

2014年、消費税が5%から8%へ増加。

手許にある2つのデータのうち、矢野経済研究所のデータでは微増している(前年比101.5%)が、もう1つのデータでは、前年比80%台の低下。消費税増税が持つ影響の大きさ、消費税増税と規模縮小の時間的密接性(「なぜ2014年に?」を説明できる)を考えると、消費税増税の経済ショックは2014年に商業エロゲーからの離脱者を増やし、参入者を減らしたと想定できる。2014年の規模縮小は消費税増税が主因と判断して間違いなさそう。

・同人エロゲーは、第10位のタイトルの売り上げ本数は、前年より上がっている。
・オリコン・リサーチによると、ラノベの紙媒体売り上げは前年比99.3%。ほとんど変わっていない。電子書籍を合わせると、むしろ上がっている可能性が高い。
・同人エロゲーやラノベが減少しなかったのに対して、商業エロゲーが減少したのはなぜ? 高額商品だから? ショップが減少したから? 顧客の求めるものと一致していなかったから?⇒すべて不明
・商業エロゲーを買わなくなった顧客は何を購入?

さらに次の時期を見てみよう。

■2016~7年 下げ止まりが見える

減少幅が小さくなり、下げ止まりが見えた時代。

・なぜ下げ止まり? 商業エロゲーをダウンロード販売で買う顧客が増えた?⇒恐らく。
・2020年にぼくのTwitterで実施したアンケートでは、商業エロゲーの購入についてはこうなっていた。

 ダウンロード版を購入      35%
 ショップでパッケージ版を購入  35%
 アマゾンでパッケージ版を購入  12.1%
 他の通販でパッケージ版を購入  17.9%
 
 パッケージ版を購入する人は63.2%、2/3以下。
・少なくとも10年前に比べて、ダウンロード版を購入する人の比率が上がっているのは間違いないのでは? ダウンロード版の購入者が増えたことが、下げ止まりに関係? 光学ドライブなしのノートパソコンばかりになったこと、販売店が減少していることを考えると、下げ止まりの一番の理由はダウンロード販売の増加では?
ダウンロード販売の増加は、FTTHの普及に後押しされている。商業エロゲーは非常に大容量(GB単位)であり、ダウンロードに長大な時間が掛かることがネックになっていた。だが、FTTHが出現。2013~2014年にかけてauNTTが1Gbpsのサービスを始めたことは、商業エロゲーのダウンロード販売を環境的に強く後押ししたものと思われる。それに呼応する流れとして、DMMの商業エロゲーのダウンロード販売開始がある。DMM(現FANZA)が商業エロゲーの年間ランキングを公開しているのは2014年から。DMMが本格的にアダルトゲームのダウンロード販売に参入したのは、2013~4年あたりと推定される。ちょうど通信速度1Gbpsの拡充と重なる。
・消費者白書のデータでは、2015年から可処分所得が上昇。それも関係? ダウンロード販売の増加と可処分所得の上昇がダブルで回復効果?

※フォロワーの方から、2018年、2019年とV字回復していることを教えていただきました。業界にいる者として、とてもうれしいです。



■V字回復


2つ持っている売り上げデータのうち、2017年は矢野経済研究所の方(ほう)、2018年、2019年は別の方(ほう)のデータになるので、正確な回復度合いを2017年から示すことは難しい。

だが、2018年から2019年度に関しては、正確な数字を把握している。2019年は前年比110%以上。また、2016年から2018年の2年間にかけて、150~200%ほど伸びているようだ。

・考えられる主因は2つ。1つ目の主因はダウンロード販売の購入者の増加。販売されているパソコンのほとんどは光学ドライブなしのものであり、販売店も減少しているという中での市場規模の拡大は、「光学ドライブも店舗もなくても伸びる形態のもの」、すなわちダウンロード販売での拡大がなければ生じない。
・もう1つの主因は、2015年からの可処分所得の上昇。1994年のレベルを100とした場合、2017年の時点で、可処分所得は102にまで回復している。2001年から2015年まで、日本は長い間100未満だった。また、雇用者報酬は、最高値を記録した1997年に次ぐ水準に2017年に到達している。

■衰退という言葉の意味

秋葉系文化の流行の最先端(上流域)にあった時代と比較して、そうではなくなった状況、商業エロゲーを販売する店舗が著しく減少した状況から、「衰退」という言葉が使われている。

しかし、正確に言うなら、

・収束&後退(ピーク直後)
・縮小1(リーマンショック)
・縮小2(大震災)
・縮小3(消費税増税)

この4ステップで成り立っている。「衰退」という言い方は、全盛期の強烈さからの比較(その落差の大きさ)によって生まれた表現だが、衰退という言葉は「消滅(滅亡)というゴールへ不可避」というイメージを付加してしまうため、適切な表現ではない。

では、決して適切ではない「衰退」という言葉がなぜ使われるのか。なぜ「商業エロゲーは衰退した」という言説が繰り返されるのか。

衰退という言葉が使われるのは、92~2003年の全盛期が相当凄かったから、なのだと思う。最も羽振りがよく、秋葉系の文化の流行において最も力を持っていた時代だっただけに、その輝きから今の状況を眺めた時、すっかり威光や輝きが失われ、凋落したという感懐を懐かせてしまうのだろう。「バブルの日本は凄かった。それに比べれば、今の日本はね……」と懐古するのと非常に似ている。

商業エロゲーは衰退したという言説が繰り返されるのは、恐らく販売店舗と美少女ゲーム雑誌の減少が関係しているのではないかと思う。秋葉原を例にとっても、90年代から2000年代にかけて、商業エロゲーを販売する店舗は6~7店舗ほどあったのではないかと記憶している。だが、2012年に、秋葉原の象徴だったメッセサンオーが閉店。全盛期の面影はない。そして美少女ゲーム雑誌も最多で6誌か7誌が覇を競い合う状況だったが、今は……? その状況を目撃するたび、あるいはその状況に思いを馳せるたび、「もう商業エロゲーは……。どんどんだめになっていくな……」という思いを強くし、それが商業エロゲー衰退論につながっているのではないか。

ダウンロード販売の賑わいは、なかなか可視化されない。販売店舗の減少は容易に可視化される。それゆえ全盛期の販売店舗の多さと比較して、ため息をつくように商業エロゲー衰退論をくり返していくのだろう。商業エロゲーが秋葉系文化をリードしていた時代、秋葉系文化の流行を生み出していた時代を知っているだけに、販売店舗や美少女ゲーム雑誌の減少など全盛期からの変貌ぶりに嘆息して「もうだめだ」=「衰退論」を口にしてしまうのだろう。V字回復が始まったのがわずか数年前というのも、「衰退してだめになる」という認識の変更を難しくしているに違いない。商業エロゲーのV字回復の言説については、あまり多くはないし広まっていないように感じる。それゆえに、衰退論の言説は繰り返される……。

■商業エロゲーに使われていたお金は、どこへ使われるようになったのか?

ところで、2016年頃の下げ止まりが起きるまで、果たして商業エロゲーに使われていたお金は、何に使われるようになったのか? 2004年のピークオフからの縮小の原因を考えるためにも、他の3時期での縮小との関連を考えるためにも、商業エロゲーに使われていたお金はどこへ使われるようになったのか、考えてみる。

・想定されるもの
 ラノベ
 同人エロゲー
 ソシャゲ
 エロソシャゲ
 その他

・ラノベ
 かつては積みゲーという言葉があった。今は積みラノベ。ラノベに流れた可能性はあるが、明確に確認できていない。可能性の範囲。「ラノベのせいで衰退した」という言い方はできない。現時点で言えるのは「ラノベにたくさんのお客が集まって、その中に商業エロゲーのお客さんもいたかも」。

・同人エロゲー
 商業エロゲーの中でも抜きゲーが奪われた可能性はあり。2007年頃に一旦停滞した感があるが、それ以外はリーマン・ショックでも大震災でも消費税増税でもかまわず拡大をつづけているようだ。ただ、1タイトルあたりの単価が低いため、商業エロゲーへの影響は不明。

ぼくの記憶では、2004年当時は同人エロゲーはあまり選択肢になく、エロゲーと言えば商業エロゲー一択だった。現時点では、顧客が商業エロゲーのタイトルと同人エロゲーのタイトルをともに選択肢として数えているのは、間違いない。だが、それがいつからかは不明。抜きゲーにとっては同人エロゲーは競争相手になっただろうが、それによってどれくらい市場が縮小したのかも不明。不明である以上、主因であるという断定はできない。

・ソシャゲ
 可能性の範囲。ソシャゲに流れたというデータやソシャゲへの傾倒が市場縮小を招いたという証拠を明確に確認はできていない。もしソシャゲの可能性がアンケートなどで明確に把握されたとしても、ソシャゲによってエロ同人ゲームやラノベは影響を受けていないので、「なぜ商業エロゲーは……?」という部分が問われねばならない。

・エロソシャゲ
 可能性の範囲。エロソシャゲに流れたというデータやエロソシャゲのプレイが市場縮小を招いたという証拠を確認はできていない。

 いずれにせよ、「ラノベのせいで」「同人エロゲーのせいで」「ソシャゲやエロソシャゲのせいで商業エロゲーは縮小した」という言い方はできない。ラノベや同人エロゲーやソシャゲが商業エロゲーの縮小の主因であるとは言えない。「なぜ商業エロゲーをやめたのか」、アンケート調査が必要。

■大学生のパソコン保有率の減少が、市場規模縮小の原因?

 マイナビ調査では、保有率は上がっている。

・2012年 75.9%(2011年12月~2012年1月調査)
・2015年 84%(2015年1月~2016年1月調査)

よって、パソコン保有率の減少こそが2016年までの市場規模縮小の決定的な原因であるとも主因であるとも言えない。パソコン保有者が増えているのならば、むしろ商業エロゲーの市場が増加する可能性を備えている。そしてそれを裏付けるように、2016年から縮小は止まり、2018年から市場は拡大に転じている。

■可処分時間の減少が、市場規模縮小の原因?

 スマホが爆発的に急増したのは2011年。前年比349パーセントを記録。移動電話全体の比率も前年の11.8%から42.9%へ急上昇。

・その影響は?
 考えられるのは、可処分時間(自由に使える時間)の消費。
 総務省の社会生活基本調査では、
 
 1976年……平日1日あたり2.9時間
 2006年……平日1日あたり2.6時間

 大昔に比べれば短くなっている。
 だが、生協総合研究所の2018年12月の分析レポートでは、
 
独身男性(35歳未満)の3次活動(自由時間における活動)が、

 2006年 370分
 2016年 369分
(平日と休日の合計を平均したもの)


 あまり変わっていない。
 そして肝心の趣味に費やす時間は、2006年に比べて2016年は1日あたり33分も増加している。

 『ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない』が出版されたのは2008年。ブラック企業が流行語大賞を獲得したのは2013年。可処分時間は減少しているように思えたのだが、その裏付けが取れない。
 
 よって、可処分時間の減少が、2016年までの市場規模縮小の商業エロゲーの市場規模縮小に影響したと断言することはできない。主因であると言うこともできない。

■可処分時間の多くがスマホに奪われたのが原因?

 総務省のサイトでは、ネット利用の時間が

・20代(平日)
 2013年 1日136分
 2017年 1日161分

・20代(休日)
 2013年 1日170分
 2017年 1日228分

・30代(平日)
 2013年 1日87分
 2017年 1日120分

・30代(休日)
 2013年 1日93分
 2017年 1日136分

 平日で30分近く、休日で50分ほど増加している。
 総務省のデータは、「パソコンであろうとスマホであろうと、ネットを利用した時間」である。他のデータでは、パソコンでネットする時間が減少し、スマホでネットする時間が増加しているので、恐らくスマホでのネット時間の増加が反映されているのだろう。

 2011年にスマホの販売台数は前年比349%を記録しており、2012年との時間的密接性も存在している。ただ、2010年と2011年の比較データを見つけられていないため、スマホの利用時間の増加が市場縮小に影響したと断じることはできない。仮に平日30分ほど増加していたとして、その30分により前年比80%の縮小が起きるだろうか? どうも腑に落ちない。先述した通り、趣味に費やす時間は2006年に比べて2016年では33分も増加している。この状況で、「スマホに可処分時間を奪われたことが、2016年までの市場規模縮小の原因となった」という言い方は難しい。言えるのは2つのことだけだ。

1.現時点では、プレイするのに時間を大量に必要とする(かつての大作のように30時間以上を消費する)スタイルは、スマホによって可処分時間が減少した中では不利になる。
2.スマホに可処分時間を奪われたことを主因とした場合、2017年以降のV字回復を説明できない。スマホに奪われたのなら、回復はありえない。

■販売店舗の減少

 人間は視覚に最も反応する。それゆえに、直接パッケージに触れる機会を与える販売店が減少したことは、大きな影響があったと思う。
 だが、そもそも商業エロゲーが売れなくなったから販売店が減少するわけで、理由は販売店の減少にではなく、なぜセールスが低下して販売店を減少させることになったかに問われねばならない

■ラノベへのシナリオライターの流出

 ラノベで活躍されていて、過去3年以上、商業エロゲーの仕事には関わられていない方のリスト(敬称略)。

 2004 ヤマグチノボル
 2005 竹宮ゆゆこ
 2005 竹井10日
 2007 健速
 2008 朱門優
 2008 早狩武志
 2009 弓弦イズル
 2010 橘ぱん
 2010 箕崎准
 2012 丸戸史明
 2013 七烏未奏

他にもいらっしゃると思うが、(何年も何作も小説を出されているという意味で)錚々たるメンバーの方たちが商業エロゲーで活動されなくなったことの影響は、ないとは言えない。ただ、その書き手が今も業界にいたことによってどれだけ売り上げが追加されたかということを割り出すのは難しい。書き手は毎年コンスタントに作品を出すわけではなく、大ヒットを生み出す書き手になればなるほど、2年に1作品、3年に1作など、次の作品までのタイムラグが大きくなる。仮に書き手1人が2年に1タイトルつくっていたとして1人につき1万本の売り上げが追加されていたとすれば、18億。1人につき2万本の場合は36億。
 
2003 560億円(財界さっぽろのデータ)
2006 351億円(矢野経済研究所)
2013 188億円(矢野経済研究所)

少なくとも、560億円から351億円まで200億円以上を失わせた原因がシナリオライターのラノベ進出とは言えない。3名がラノベにシフトしたことで、200億円(売り上げ本数にして22万本以上)も減少するだろうか?

同じように2006年から2013年までの間に、351億円から188億円までほぼ半減させた原因がラノベ進出だということも言えない。影響はあっただろうが、致命的な原因であったとも主因であったとも言えない。主因であるとする考えは、恐らく「あの人がいれば」「ああ、またあの人がいなくなってしまった」という惜しむ感情的な声から生じている。毎年コンスタントに1作出していて、その人がつくらないと1万本以上(売り上げにして0.9億円)セールスが失われてしまうという状況があれば、明らかに損失が発生したと言えるが、そういう状況は稀ではなかろうか?

■長すぎるプレイ時間が縮小の原因になったか?

 不明。各年のヒット作のプレイ時間の比較やアンケート調査が必要。
 確かにTwitterでのコメントやリプライを見る限り「長すぎるから商業エロゲーをやめた」という声は大きい。商業エロゲーから離れる理由の1つに「プレイ時間が長すぎること」があったのは間違いない。だが、「長すぎる」が客離れの理由の1つだからといって自動的に「新規参入者が減る理由」になるわけではない。「長すぎるから離れた客>新規参入者」でなければ、「長すぎる」は縮小の原因にはならない。また、「長すぎるから離れた」というのが何年代のいつ頃に固まっていたのか、あるいはどれくらいの比率で発生したのかについてはわかっていない。わからない限り、長すぎるプレイ時間を主因にすることはできない。

現時点では、3度にわたる市場規模の縮小は日本全体を襲った大きな経済的な変動が主因であることがわかっている。それにどれくらいプラスする形で「長すぎるプレイ時間」が縮小を促したのかとなると、つかみどころのないものになってしまう。また、2004年の縮小についても、2004年という時期に対する強い関連性を見いだすことができない。よって現時点では、長すぎる時間を副因にするのも難しい

「時代が変わってスマホに可処分時間が毎日30分以上奪われるようになって商業エロゲーに回す可処分時間が短くなった時、プレイ時間が長すぎた商業エロゲーは不利となって市場規模が縮小した」と言えるためには、プレイ時間が長すぎることを理由に離れた人が、スマホが広範に広がった2011年以降に集中していなければならない。
だが、現時点でそのデータはない。ない以上、縮小の副因とも言えない。


■Fateにより、ストーリー系ノベルゲームが主流になった影響は?

2004年のFateの大ヒット以降、ストーリー系ノベルゲームは増加しただろうと思う。ただ、2009年までは激減しているわけではないので、2008年までの減少がストーリー系ノベルゲームが増えたことによるとは言えない。後述するが、事実は逆である。


■商業エロゲーの2000年代前半型モデルは、縮小に影響を及ぼしたか?

 不明。不明である以上、主因であるとは言えない。主因と言うためには、その理由が「多くの客が離れた理由」であり、なおかつ「新規参入者を減少させた理由」でなければならない。そしてそこに数字的な裏付けがなければならない。
 推測だが、時代に合わない作品は、商業エロゲーの世界では自然淘汰される。

 現時点ではっきりしているのは、

・まったり&だらだら
・序盤の展開スピードが遅い
・シナリオが大容量(2MB近く)

 この3つをすべて完備した2000年代前半型モデルは、団塊ジュニア世代やロスジェネ世代に非常にマッチしたモデルであったのではないかということ。大量にプレイ時間を捻出できた時代に受け入れられるモデルだったということ。そして、可処分時間か少なくなった今の時代には不利であろうということ。

 恐らく2010年代後半の商業エロゲーは、団塊ジュニア世代やロスジェネ世代ではなく、新人類ジュニア世代(86~91年生まれ)や団塊グランドジュニア世代(92~96年)にアジャストしたモデルになっていると思われる。だが、

・長すぎるプレイ時間
・遅すぎる物語の展開スピード

 この2つに不満を持っていたユーザーが少なからずいて、「商業エロゲー衰退論」を語る際に、その不満が原因として挙げられている可能性が高い。

■2000年代半ば以降、何がきっかけで顧客は商業エロゲーから離れていったのか?

 長すぎるプレイ時間と遅すぎる展開スピードだったのか?
 不明。どちらかが理由であると断じるためには、アンケート調査が必要。
 矢野経済研究所のデータでは、

2006年  351億円(矢野経済研究所)
2007年  341億円(前年比97.2)

 であり、急激な変化は起きていない。

2009年  300億円

 2007年から2009年へのこの下落にはリーマンショックが関わっている可能性が高く、リーマンショック以外の要素、すなわち作品のカラーやスタイルがどれだけ関わっているのかは不明。あまり関わっていない可能性が高い。

■秋葉系文化の流行の上流域のシフト

 商業エロゲーの3段階による縮小に3つの大きな経済的変動が関わっていたことは間違いない。だが、2004年からの市場の急激な収縮は? ただ、ピークをすぎただけだろうか? たまたま2003年にピークが来て翌年から後退が始まり、入れ代わるようにラノベが隆盛を迎えたのだろうか?
 すっきりしない。思い切りもやもやする。2004年から2006年までの急激な収束=後退には、明確な理由があるはずだ。

 もう一度、97~2003年までの商業エロゲーを考えてみる。97年~2003年まで、商業エロゲーが秋葉系文化の流行の上流域にいたことは間違いない。それがさらに顧客を呼び、終盤の黄金期を生み出していた。ここで重要なのは、以下の2つだ。

1.97~2003年の商業エロゲーは、秋葉系文化の流行の上流域(最先端)だった
2.95年以降の世界で、社会に受け入れてもらえなかった若者たちに最もフィットするストーリー、最もフィットするヒロインたちを最も生み出せたのが、97~2003年の商業エロゲーだった。そしてその代表的存在が、『To Heart』であり、『Air』だった。両者は95年以降の世界の代表作だった。


流行の最先端(上流域)には多くの人が集まる。97~2003年、秋葉系文化の流行の上流域だった商業エロゲーには、多くの顧客が集まっていた。だが、2003年のピークの後、2006年には2003年の6割にまで減少してしまう。これが意味するのは何なのか。

97~2003年まで、商業エロゲーは秋葉系文化の流行の上流域だった。その後3年間で4割ほど減少している。ということは、その3年間の間に商業エロゲーが流行の上流域(最先端)ではなくなったということではないのか。流行の最先端ではなくなったからこそ、3年間で4割も減少したのではないか。

では、なぜ、商業エロゲーは2004年から2006年の間に秋葉系文化の流行の上流域ではなくなったのか。

飽和が起きたとかユーザーが飽きたとか泣きゲー一辺倒になったとかピークを迎えれば落ちるのは当然だから、という理由では、上流域ではなくなったのがなぜ2004年からの3年間なのか、充分に説明できない。飽和や飽きやピークからの下降が起きるのは別に2002年でも3年でも4年でも5年でも6年でもかまわなかったのだ。なぜ2004年からだったのか……ということが、飽和や飽きや一辺倒やピーク後の収束という理屈では説明できない。

作品はすべて、心の受け皿として機能している。人々はいろんな不安や苦悩や傷や鬱憤を抱えて生きている。その不安や苦悩や傷や鬱屈を受け止める受け皿の機能が、どの作品にもある。そして流行とは、ある一連の作品が非常に多くの人の心の受け皿となっている現象のことである。その流行は、最も多くの人々が作品に対して求める心の受け皿の姿が変わらぬ限りは、継続する。だが、最も多くの人々が作品に求める心の受け皿の姿が変わると、流行は変化する。そして、心の受け皿として求めるものを大きく変えるのが、社会変化や大きな経済変化である。社会変化が起きたり大きな経済変化が起きたりすると、不安や苦悩や傷や鬱屈が変わるのだ。それに応じて、最も多くの人々が作品に求める心の受け皿の姿が変わり、それが違うものでの流行を呼び起こす。秋葉系文化の流行の上流域でなくなったということは、秋葉系の最も多くの人々が作品に期待する心の受け皿の姿が、変わった可能性が非常に高いということだ。そしてその裏には社会変化や大きな経済変化がある。

97~2003年の商業エロゲーは、どういう心の受け皿として機能していたのだろうか? ヒントになるのが、先に挙げた2だ。

2.95年以降の世界で、社会に受け入れてもらえなかった若者たちに最もフィットするストーリー、最もフィットするヒロインたちを最も生み出せたのが、97~2003年の商業エロゲーだった。そしてその代表的存在が、『To Heart』であり、『Air』だった。両者は95年以降の世界の代表作だった。

97~2003年の若者に最もフィットするストーリー、フィットするヒロインとは何か。それは就職難という形で社会に受け入れてもらえなかった若者に、社会とは別の形(主に恋愛)で受容を与えるストーリー、無力感に対して共感させてくれるストーリー、社会で無用とされた(就職できない=社会から無用と烙印を押された)若者を無条件的に受け入れるヒロインたち=萌えヒロインである。泣きゲーはこのストーリーの代表例であり、まったりした日常とその後の悲劇への展開(そこで読者は無力さを味わう)を特徴としていた。ジャンルは違うが、2001年発売の小説『世界の中心で愛をさけぶ』のクライマックスで「助けてください、助けてください、助けてください」と連呼する姿も、無力感の表明として、恐らく無力感の傷を持つ者たちの共感を呼んだのだろう。就職難で社会に受け入れてもらえなかった人たちは、「自分は無意味で無価値で無力だ」という感覚に苦しめられていた。その無意味さ、無価値さ、無力さといったあまりに強い虚無感で傷ついた心を、サクセスストーリーで受け止めることは難しかっただろう。サクセスストーリーを見せられても「そんなの、おれには無理じゃん」で終わってしまう。そういう強い虚無感で傷ついた心に訴求するのは、何もしないまったりした日常の連続であり、無意味で無価値で無力な自分を肯定してくれるヒロイン=萌えヒロインである。そしてこの枠組みは、宇野常寛が『ゼロ年代の想像力』(早川書房)で示した「95年以降の世界」そのものである。

宇野常寛『ゼロ年代の想像力』によれば、95年以降の世界――「95年の思想」――とは、

・非決断主義(決めない)
・逃避する(引きこもり、と宇野は表現している)
・社会進出とは別の形で承認を求める

 決めることなくずっと日常の中に引きこもる世界は、だらだら&まったりの日常に実現されていた。社会進出とは別の形での承認は、ヒロインとの交感に実現されていた。就職難という形で社会に受け入れてもらえなかった世代の心を見事に受け止めてくれたのが、萌えヒロインたちだった。そしてそれらを最も生み出せていたのが、当時の商業エロゲーだったのだ。だからこそ、97~2003年にかけて、商業エロゲーは秋葉系文化の流行の最先端(上流域)だったのである。
  
 だが、2000年代に入って、「95年の思想」は「サヴァイブ思想」に徐々に取って代わられることになる。サヴァイブ思想は、

・引きこもってなんかいられない。とにかく決断する(決断主義)
・決断して生き残りをかける

 だった。「生き残りをかける」とは、高見広春の小説『バトル・ロワイアル』のようにいきなり生き残りを迫られることを意味する。サヴァイブ思想とは、平たく言えば、「決断主義と生き残り」の思想である。「そしてこの「決断主義と生き残りの世界」を実現したものとして、宇野常寛は『Fate/stay night』を挙げている。「95年以降の世界」の次に到来した「ゼロ年代の世界」の代表例として、宇野は『Fate』を捉えているということだ。

※95年以降の世界とは、95年の思想の世界、非決断主義とまったり日常の世界である。ゼロ年代の世界とは、サヴァイブの思想の世界、決断主義と生き残りの世界である。ただ、2000年になった瞬間に、どのジャンルも95年以降の世界(95年の思想の世界)からゼロ年代の世界(サヴァイブの世界)に変わるわけではない。99年に早くもゼロ年代の世界を示す作品が出ているジャンルもあれば、2000年をすぎて登場する世界もある。それが商業エロゲーである。商業エロゲーでは、95年以降の世界(95年の思想の世界)が2003年までつづき、2004年からゼロ年代の世界(サヴァイブ思想の世界)に入った。2000年発売の作品だから「ゼロ年代の世界」の作品と自動的に言えるわけではない。したがって、95年以降の世界とは「95年以降的」世界、ゼロ年代の世界とは「ゼロ年代的」世界と捉えるとわかりやすい。

※95年以降の世界では、日本経済は不況を迎えていた。それでも、まだ両親に経済力があり、親の脛をかじって引きこもりができる状態だったようだ。だが、2000年代に入って、親が解雇されるのが当たり前の時代になると、親の脛をかじってヒッキーをつづけるのが難しい状況が訪れる。何も決めずに何もせずにいるのは難しくなる。とにかく決めて動かないと文字通り飢えてしまう世界が来てしまう。恐らくこの経済状況の変化が、非決断主義の世界から決断主義への変更を促したのだろう。

さて、サヴァイブ思想=決断主義と生き残りの思想は、バトルロワイヤル的状況や異能バトルを招き寄せる。それらを実現しやすかったのは、恐らく『仮面ライダー』シリーズのように戦いメインの特撮や、ラノベの方だったのだろう。静止画が基本の商業エロゲーは、まったりした日常に代表される非決断主義の世界を描くには非常に適していた。だが、決断主義と生き残りの世界を描くには、特撮や小説という他のメディアに比べると決して最適ではなかった。ちなみに2009年発売の『1Q84』では、男性主人公は当初、非決断主義――決断しないこと、結婚も決断しないこと――を信条にして生きている。ある意味、何も決めず何もせずまったり過ごす世界で生きている。しかし、サヴァイブするしかない状況に放り込まれ、決断主義へと変わっていく。村上春樹も、ゼロ年代がサヴァイブ思想であることを捉えていたのである。

95年以降の世界から、ゼロ年代の世界へのシフト。それは、『To Heart』や『Air』に代表される世界から、『Fate』に代表される世界へのシフトを意味する。両者の間につながりはない。『To Heart』や『Air』に代表される世界に決別することによって、『Fate』に代表される世界――サヴァイブ思想の世界――は成立している。

商業エロゲーにももちろんサヴァイブ思想(決断主義と生き残りの思想)を実現した作品はあった。だが、バトルロワイヤル的状況や異能バトルを実現するには、メディア的にバトルを実現しづらい部分があった(バトルという動画的世界を描くのは、エロゲーは不得手)のではないか。それがラノベや特撮に比べでビハインドになったのではないか。またゼロ年代的世界の実現には、書き手に相当の資質と力量を要求する部分もあったかもしれない。

ともあれ、商業エロゲー業界が頑固に昔のスタイルを透徹して縮小を招いたとかアジャストに失敗したとかではなくて、95年以降の世界からゼロ年代の世界へと時代のシフトが進んだ時、

1.商業エロゲーよりも「決断主義と生き残り」の物語に対してフィットに成功したジャンルがあった(それがラノベ)

2.商業エロゲーが
「決断主義と生き残り」の物語を表現するにはメディア的なハードルがあった

この2つのために、秋葉系文化の流行の上流域が、商業エロゲーからラノベにシフトしたのである。
それによって、商業エロゲーはピークを終えて、後退期へと向かったのだ。その後、3度に渡る経済的ショックが襲いかかり、さらに市場規模が減少した。そこには経済的ショックに伴う販売店の閉鎖と減少があったに違いない。

「ラノベが商業エロゲーから顧客を奪ったのではないか」という推論かあったが、そうではない。「秋葉系の流行の最先端が商業エロゲーからラノベにシフトしたため、顧客が最先端を追いかけていった」ということなのだ。ラノベに奪われたわけではない。ただ、流行の最先端が、商業エロゲーではなくラノベにシフトしただけのことである。そしてそれが、2004~2006年の市場規模の下降に影響を与えた。そういうことである。

また、先に商業エロゲーのシナリオライターのラノベへの流出が影響したのではないかということを検討したが、ここにいたって真相が見える。シナリオライターがラノベへ流出したから商業エロゲー業界が縮小したのではなく、流行の最先端(上流域)が商業エロゲーからラノベへシフトしたから、それを追いかけるようにして商業エロゲーのシナリオライターがラノベへ活躍の場を移したのである。

なので両者をまとめるなら、「秋葉系の流行の最先端が、商業エロゲーからラノベにシフトした。それをお客さんが追いかけていった。そして、力のあるシナリオライターも追いかけていった」ということなのだ。これに対して「ラノベのせいで」とか「市場後退の原因はラノベ」という言い方はできない。主因は、流行の上流域のシフトである。そして流行の上流域のシフトが影響を与えたのは、あくまでも2004~2006年の下降である。3回にわたる縮小に対してはあまり影響を与えていない。主因としても機能していない。もし3回にわたる縮小に対して主因であったなら、2017年以降のV字回復が説明できない。また、「ラノベが商業エロゲーの市場規模を縮小させた」という説明も、2017年以降のV字回復を説明できない。「ラノベが商業エロゲーの市場規模を縮小させた」という説明は、まったく正しくないのだ。

ところで、ストーリー系のゲームの増加が市場を縮小させたのではないかという推論があったが、重要なのは、95年以降の世界からゼロ年代の世界への移行である。そしてストーリー系ゲームは、決断主義と生き残りの世界を描くには、むしろ適している。ストーリー系ゲームの増加が市場を縮小させたわけではないのだ。原因はまず時代が95年移行の世界からゼロ年代の世界にシフトしたことであり、商業エロゲーよりもその世界を描くのが得意なジャンルがあったということであり、流行の上流域が商業エロゲーからラノベへシフトしたことなのだ。ストーリー系ゲームが増えたことではない。ストーリー系ゲームの増加は、むしろ「決断主義と生き残り」という時代にマッチした動きである。
 
ところで、なぜ2004年なのか。なぜ2004年に流行の上流域が変化したのか。

流行の変化は、飽きや飽和から別のものへのシフトによって発生すると間違って考えられている。だが、ある年を境に、何万人も同時に飽きや飽和が来て別のものにシフトするというのは説明として苦しい。「ある作品がブームになったからシフトした」ということもよく言われるが、問われているのは、その作品がなぜその年に流行したのか、ということなのだ。

先述した通り、流行するとは、非常に多くの人の心の受け皿としてそのジャンルや作品が機能するということである。ある心の受け皿を大衆が求めるのは、それを求めさせる不安や苦悩や鬱憤かあるからだ。そしてその不安や苦悩や鬱憤は、社会や経済の状況と密接につながっている。就職難で社会から受け入れられなかった団塊ジュニア世代(≒ロスジェネ世代)が、社会からの拒絶によって自分に対して無意味、無価値、無能と感じたように――。そしてそれを受け止める受け皿として、萌えヒロインや泣きゲーが機能したように――。

ある作品がブームになる時、ある作品が大ヒットする時、その作品はそのジャンルにおけるその時代の大衆性を持っている。つまり、その時代の大衆の、非常に優秀な心の受け皿として機能している。そしてヒットした年というのは、最も多くの人が作品に求める心の受け皿の姿が変わった年、そして心の受け皿を変化させる社会変化が表面化した年なのだ。

新しいヒット作の登場、新しい流行作品の登場は、新しい社会変化の表面化をきっかけにして現れる。社会がこうなったから、経済がこうなったから、人の心がこのような状況になり、こういう受け皿が求められるようになった。そのニーズを満たす作品、つまり受け皿として優秀な作品が生まれると大ヒットが起こり、流行の上流域が変化する。

2004年、日本では何が起きていたのだろう。どんな社会変化が大衆の心理状況を変え、新しい心の受け皿を要請していたのだろう。

思い当たるのは、山田昌弘氏が著した『希望格差社会 「負け組」の絶望感が日本を引き裂く』(筑摩書房)だろう。発売は2004年。この本が発売され、そして話題になったということが示しているのは、格差社会が日本にもはっきりと現れ、勝ち組/負け組のバトルを意識させる時代が、もう始まっていた、表面化していたということである。そして格差社会という言葉の到来(格差社会の表面化)とほぼ機を同じくする形で、商業エロゲーはピークを終えて下降に入ったのだ。心の受け皿として求められる姿が格差社会へのシフトによって変化し、それに伴って流行の上流域がラノベにシフト、商業エロゲーの縮小が始まったのである。それに対して商業エロゲーはストーリー系ゲームを用意したが、それでも縮小は止まらなかった。

商業エロゲーは時代変化のアジャストに失敗したわけではない。ストーリー系ゲームの増加は、むしろ時代変化への適切な対応である。商業エロゲーは時代変化に対応できなかったわけではないのだ。時代変化に対応できなくて縮小したわけでもないのだ。時代変化には対応した。ただ、変化した時代にめっちゃ向いているジャンルが商業エロゲー以外にあったということなのである。

商業エロゲーはピークを終えただけであって、衰退しているわけではない。衰退とは絶滅へ向かってカウントダウンという意味だが、そういう状況ではない。すでに下げ止まりを経て、回復へ向かっている。ヒットしている作品は、従来型の「非決断主義&まったり」の世界ではない。新しい時代に対応して、前へと進んでいるのだ。

■まとめ


・商業エロゲーの全盛期は92~2003年
・商業エロゲーのピークは2003年
・97~2003年まで、商業エロゲーは、団塊ジュニア世代(≒ロスジェネ世代)の人たちに特に突き刺さっていた。「非決断主義(そこから来るまったり日常)」という95年以降の世界を最も表現していたのが、当時の商業エロゲーだった。それゆえに、97~2003年の商業エロゲーは、秋葉系文化の流行の最先端だった。
・商業エロゲーは、非決断主義(そこから来るまったり日常)の世界を描くのに最も適したメディアだった。
・だが、2004年に格差社会(勝ち組と負け組の生き残り)が表面化。それにより、秋葉系文化の世界も影響を受けて、非決断主義の世界から「決断主義と生き残りの世界」にシフト。
・決断主義と生き残りの世界を最も表現できるのは、秋葉系文化の中ではラノベだった。商業エロゲーではなかった。結果、秋葉系文化の流行の上流域(最先端)が、商業エロゲーからラノベにシフトした。
・ピークの直後、2004から2006年までの下降の理由は、「格差社会の到来」&「決断主義と生き残りの世界へのシフト」により、秋葉系文化の流行の最先端が商業エロゲーからラノベにシフトしたこと(ラノベが理由ではなく、シフトが理由)。
・その後、リーマンショック、大震災、消費税増税により2015年まで3回にわたって縮小した。ラノベや同人エロゲーはセールスを落としていないので、ダウンロード販売の整備がまだ不充分だったことが関わっている可能性がある。
・だが、1Gbpsの通信が一般的になり、ダウンロード販売が浸透したことによって、2016年頃に市場規模縮小の底に到達。2017年以降、V字回復中(回復には、業界が時代にアジャストして、時代にマッチした作品を生み出せたことも関係しているはずと推測している)。
・「ラノベに商業エロゲーが客を奪われた」とか「商業エロゲーのシナリオが長くなりすぎた」とか「泣きゲー一辺倒になりすぎた」とか「ストーリー系ゲームが増えすぎた」とか「スマホに時間を奪われた」とか「シナリオライターがラノベに流出した」とかいう理由は、商業エロゲーの、13年にわたる一時的な市場規模の縮小を説明する理由にはならない。

以上がぼくの推論である。

今回、改めていろいろと調べて分析しなおしてみて、2016年までの商業エロゲーの後退と縮小を論じる際、大きな問題となるものは、以下の通りだなと感じた。

・「ピークからの後退」と「縮小」であるのに対して、「(絶滅へ向かっての)衰退」という言葉を不正確に&誤って使うこと。
2003年からの16年ほどのプロセスをひとまとめに、雑に区切って論じてしまうこと
・そもそもピーク時の商業エロゲーがなぜ隆盛を誇ったのかの分析がなされていないこと。
印象論。「自分の肌感覚ではこうだった」という印象論は、正しい分析にならない。たとえば、ラノベのせいで縮小したというのがそうだ。「あの時、ラノベが凄い元気だった」。だが、正しくは、「格差社会が表面化して心の受け皿が変化し、決断主義の物語が求められるようになり、その結果、上流域が商業エロゲーからラノベにシフトしてラノベに人気が集まった」である。「格差社会が表面化して決断主義の物語が求められるようになった」が主因であり、その主因の結果が「ラノベが元気になった」なのだが、印象論では「ラノベが元気になって追いやられた」、つまり、ラノベが主因ということにされてしまう。主因と結果が逆転して、結果が主因にされてしまうのだ。その結果、かつての自分が陥ったように誤った原因分析になってしまう(同じ過ちを、仮想戦記ものの衰退で見ることになった)。

印象論から分析したり、雑に区切って論じたりする限り、議論は精緻さを欠いて穴だらけのものになってしまう。そのことを強く感じた。

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作家。ゲームシナリオを書いて25年。中世国際政治が舞台となるゲームをつくっています。高校生が城主になって活躍するラノベも書いてます。ゲームシナリオのハウツー本も書いています。拙著『非実在青少年論』の中で、東浩紀のデータベース消費を乗り越えるウロボロス消費を提唱しています。

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