金子の実情と恋の行方

ここで、実際の豊橋の金子の実家の家族についてご紹介しよう。紹介と言っても、私も本の資料で知っただけですが、ドラマの内容との違いだけでもアタマに入れておくと参考になると思います。

まず、お父さんの安蔵さん。かつては歩兵第十八連隊の陸軍獣医部につとめる獣医だったのですが、金子が生まれててまもなく退職。その後は馬蹄を作る工房をはじめ、軍に納入する馬の飼料なども扱う軍の御用商人になります。
店兼住居は大通りに面したところにあり、奥には蹄鉄の工房と飼料を納める倉庫がありました。
ドラマでは、馬の鞍を作っているようでしたが、実際には、馬の靴にあたる馬蹄作りです。
そのお父さんが、金子が六年生とき、突然、脳溢血で亡くなります。ドラマでは交通事故から子どもを救おうとして、という設定になっていましたね。
その後は、妻のみつが気丈に家業を切り回しますが、甘いものではなく、父が存がkが命のときのようにはいきません。蹄鉄の仕事は断念。飼料も取引額が減ります。
そんな厳しい家計の中、母は娘たち全員を豊橋高等女学校に進学させます。女の子にも教育をというのが、父の願いでもあったからです。
 お父さんは謹厳実直な方だったようです。
金子はお父さんにほめられた記憶があまりないそうですが、一度だけ、学校の女先生から教えてもらった「からたちの花」を歌いながら帰ったら、通りで大きな声を張り上げたことを叱られるかと思いきや、「金子はカナリヤだな。歌がうまい。澄んだいい声をしている。」とほめられたことがあります。半年後、中古のオルガンを買ってくれます。
内山家の姉妹は、みな音楽が大好きでした。
夕食後にオルガンと姉の琴で、演奏し、合唱をすることもありました。母もよく歌を歌いました。父は酔ったときに、真田節くらいでしたが。

ところで、兄弟姉妹について。中国に行った長男と姉妹が六人います。金子は三女です。
長女の富子は、ドラマではこれから軍人と結婚しますが、実際には、父の死ぬ前年に、師範学校の教師と結婚します。ですから、一番早く、片付いちゃうわけです。
しかし、陸軍幼年学校の師範ですから、軍人と言ってもいいでしょう。
しかも陸軍幼年学校というのは、日本男子のあこがれの学校です。入試の倍率は百倍とも言われ、秀才が集まる超エリート学校です。早期一貫教育によって優秀な日本陸軍将校を育てることを目的とした陸軍幼年学校には皇族の子弟も在籍しており、娘婿がそこで教鞭をとっているというのは、母みつの自慢であったのです。

というわけで、長女は結婚して東京に住んでいるので、母みつがもっぱら頼りにしたのは、金子のひとつ上の姉、清子だったのです。商売が忙しいときには、母は清子に女学校を休むように命じます。そんなわけで、清子は学校を休んでばかりいましたが、持ち前の負けん気で勉強を続け、女学校を優秀な成績で卒業します。
 以来、清子は母親の女房役として店を切り盛りします。この姉にかげに隠れるようにして、金子はわりあい自由に生きてきたのです。

女学校を卒業してから、金子は家の手伝いをしています。音楽の道に進むために音楽学校に入りたいと母に懇願しますが、家にはそんな余裕があるわけがありません。下に妹が二人いるのですから。
家の手伝いと言っても、姉の清子と母の使い走りにすぎず、働き手として期待されているとは言えません。週に一度、小学校時代の恩師大竹先生のところに行って歌の稽古に通うことが最大の楽しみであり、生きがいでもあったのです。
 ときどき金子は、自分が役立たずのような気がして身の置き所が見つからないように感じるのでした。

#金子就職する

お姉さんの看病が一段落して、東京から豊橋に帰って一週間ほどしたころ、突然、金子の就職先がきまります。
就職先は、名古屋の健康第一会という会社です。
政府から補助を受けて運営している会社で、工場に働きに出ている女工の健康のため、種々のニュースを冊子にして配布したり、全国の工場に健康にまつわる講演会、音楽会を開催しています。
 社長の村田千吉が、金子が高女時代、作文が優秀で三年を通じて10点満点だったことや、音楽が好きなことを知り、ぜひ、うちに来てくれと、迎え入れてくれたのです。
 
村田社長の家に下宿させてもらうことも決まり、あわただしく金子は家を離れます。
社長の村田は、父が軍の獣医だった頃の知り合いで、60過ぎ。いくつかのビジネスも手掛ける温厚な人物でした。
 金子は職場で、編集部員として原稿を書くだけでなく、ピアニストの小股久の音楽会の手伝いもまかされます。
 金子は、この幸運を逃したりはしません。小股に懇願し、週に一回ピアノを習います。また、高校のピアノを使わせてもらえるようにとも取り付けます。

一方、勇治との手紙のやりとりの頻度は増す一方でした。
夜、手紙を書き、翌朝にポストに投函。昼休みの合間にも筆をとり、郵便局によって帰る。
勇治からもまた、二日に一回、ときには毎日手紙が届きます。

だが、どうしたことでしょう。金子の写真を送って以来、手紙が途絶えます。

#金子  自分の気持ちを思い知る

勇治から金子の写真が欲しいと言われ、豊橋に戻ってから、かわいらしく写っている写真を選りすぐり、写真を送って以来、三日ほど勇治からの手紙が途絶えます。
現時点で結末を知っているなら、どうってことないことなんですが、何せ、ここ数日は毎日来ていたのですから、疑問に思うのも当然です。
写真が気に入らなかったのだろうか?
金子の容貌が好みではなかったんだろうか?
金子は不安でたまらなくなります。
誰もが振り返る美人ではないというのは、自分でもわかっています。
しかし、百歩譲っても、人を不快にさせるような顔をしているわけではありません
それでも、手紙は来ません。

こういう時に限って、母のみつからお見合いをするように、懇々と説得するようなハガキが届いたりします。
勇治は金子が嫌いになり、邪魔になったのか?
他に好きな人ができたのか?
夢も希望も勇治とともにあるはずの金子の未来も、粉々に砕け散ったかのように思えてしまいます。 
苦しく、切なく、悲しみで、金子の胸ははちきれそうです。

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金子は書きます。
※※※

昨日も一昨日も、その前も毎日貴方のお便りをお待ちしていました。そして今日も今も、待っているのです。
 私は泣けそうです。いったい、貴方はいかがなすったのでしょう。
東京へいらしたのかしら。
それとも体をいためたとかおっしゃっていたので、お病気にでもおなりになったのかしら。
ね、本当にどうなさったの?こう書いていても涙が出そうです。
何か、私のさしあげた手紙に気に入らないところがあったんですの?それだったらごめんなさい。
 私は貴方の写真を肌身離さず持ち歩いて、いつも眺めています。夜の勉強にも、眠くなる貴方のお写真を見直してはまたやります。
 お送りした写真、あまりにも不美人で驚かれたのでしょうか。顔も瞳もまん丸で、唇が小さくて薄くて。でも歌を歌うときには大きくなりますのよ。瞳はまじめになると、光ってじっとしています。笑うとまぶたがふくらんで、とても優しくなると人にはいわれます。
 運命の前に、自分が小さい、はかないものに思われてきます。
 死にものぐるいで未来を切り開いて見せようとしていますのに、なるようにしかならないというあきらめの気持ちが、私をさいなみます。
最も大きな不安は、貴方に忘れられるということです。なにとぞ、私を導いてくださいませ。お願いいたします。
 貴方の手紙が数日途絶えただけで、こんな気持ちがするなら、貴方が外国へいらしたら、私はどんな気になるでしょう。耐えられるでしょうか。
 明日の朝、貴方からお手紙が来たら、どんなにうれしいでしょう。
 こちらにいらっしゃる間だけでもお手紙をください。
 お体がお健やかでありますように。お祈りしています。 
                            内山金子
敬愛する古関勇治様のもとに

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悲しみをこらえて、顔を上げ、仕事に行く金子
夜は楽譜を見ながら、ハミングを繰り返す。
紙にかかれた鍵盤の上で指を動かし、実際にピアノを練習する日に備える。
※※※※

自分は勇治に恋をしているんだと、金子は認めざるを得ませんでした。恋は唐突にはじまったわけではありません。手紙をはじめて書いたあの日から、勇治に恋心を抱き始めたのです。
やり取りが重なる中で、のっぴきならないほど好きになっていたのです。
 ただ、恋している自分を自覚するのは恥ずかしく、勇治は音楽の世界に導いてくれる尊敬する人物だと自分に言い聞かせてきたのです。
 けれども、手紙が途絶え、本当の気持ちを自分に隠すことができなくなりました。
 
 もうあきらめようとも思いました。でも、自分の思いを認めた途端、恋が終わるなんて、悲しすぎる。しかし、まあ、音楽にかける自分の思いをわかってくれる勇治のような人がこの世にいることがわかったのだ。勇治と知り合えてよかった。と、必死で自分をなだめようともします。
 でも、やはり納得できない。突然連絡が途絶えるなんて。勇治の身に何かあったに違いない。気が付くと、金子は唇をかんでいます。

※※※
勇治からのハガキがやっと届きます。


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