河野太郎は新型コロナワクチンの責任追及で追い詰められて責任逃れをして「運び屋」宣言までし始めた

元ワクチン担当大臣のデマ太郎こと河野太郎がTwitterでの発言について物議を醸している。
2022年1月3日の自身のTwitterで「わたくし(河野太郎)に対する悪質なデマが流されており、法的手段を検討している」として、様々な責任追及に対する国民の声を「悪質なデマ」扱いした上で、以下のように責任回避した。

「(河野太郎がワクチン担当大臣として)責任を取ると言ったのは、ワクチンの後遺症についてではない。ワクチンを国内に供給する上で、供給と接種担当の責任者として、接種の進め方についてのクレームについて私(河野太郎)が責任を取るので、実際に接種業務を行う地方自治体には遠慮なく業務を進めてくださいと言いました。」

さすが、デマ太郎の異名を持つ河野太郎である。
国民に向けて散々、「全責任を取る」と断言し、「海外で2億回投与されたが、1件も問題はなかった」と太鼓判を押したくせに、「後遺症についての責任は私にはない」と責任逃れを言い始めた。
これほど大嘘を堂々とつけるとは、怒りを通り越して気持ち悪すぎて吐き気がするほどだ。
日本中で多くの被害者や被害者遺族が悲痛の訴えをしているにも関わらず、平然と嘘を堂々とつけるのは、もはや人の心が全くないからだろう。
河野太郎の見た目は人間かもしれないが、筆者には「人間を食い殺しても食い殺し足りない、極悪非道な鬼」にしか見えない。

そして、河野太郎は次のように続けた。

「予防接種の副反応は不可避的に生ずるものです。そのため、接種によって健康被害が出た人は特別に配慮されるよう、法律で制度を設けられており、救済が受けられるようになっている。」

この発言についても吐き気しかしないのだが、解説しよう。
河野太郎は新型コロナワクチンについて説明する際に、「一般的なワクチンには副反応が生じる可能性がある」などとは一言も言っていない。
つまり、「新型コロナワクチンはワクチンの一種であるから、もしかしたら副反応が出るかもしれない」などという注意喚起は全くしていないのだ。
そして、河野太郎は「新型コロナワクチンは海外で先行して2億回も接種が進められているが、たったの1回も副反応が生じたことはなく、安全なものだ」と断言したのだ。

これほど明確に、重度の後遺症や死亡といった薬害が生じることはないと明言したからこそ、多くの者がSNSなどを通じて河野太郎を批判したのである。
それらの正当な批判に対して河野太郎は「悪質なデマ」と再び言い放っている。

そして今回、河野太郎の発言で最も吐き気がするコメントが次のものである。

「運び屋の私(河野太郎)が新型コロナワクチンの後遺症についての責任をとるような話はしたことがない」

これほど吐き気のする発言を行った公人/政治家がかつて存在しただろうか?
ワクチン担当大臣が国民にワクチンを供給する職責を担ったことについて、「私は単なる運び屋だ」、つまり、「ただ運んだだけだ」と言い放った。
ワクチンについてのメリットとデメリットを包み隠さず開示し、万が一、ワクチンの安全性に懸念があった場合には即座に接種を中止する措置を取るのが大臣の仕事ではないのか。

しかも「運び屋」という言葉は一般的には「違法薬物を違法に輸送/配送して薬物業者や薬物使用者に供給する者」のことである。
麻薬や覚せい剤などの違法薬物は、個人が使用することも禁じられていると共に、違法薬物を販売する者、そして、違法薬物を運ぶ「運び屋」も、厳しく禁じられている。

河野太郎にとって、新型コロナワクチンは違法薬物と同等の危険な薬物であるとの認識があったからこそ、「運び屋」と表現したのだろうか。
多くの国民を「新型コロナワクチンという薬物中毒にしてやった」とうすら笑っているのだろうか。

違法薬物の「運び屋」は、薬物中毒者が薬物を欲しがる状態が続くということをもって、莫大な利益が出るため、笑いが止まらないという。
そのような「運び屋」として、笑いが止まらない河野太郎。
筆者は今後、河野太郎の顔を見るたびに吐き気が止まりそうにない。

そして、もう一つ特筆すべきは、河野太郎が「悪質なデマを垂れ流す者に対しては法的措置も行う」と脅したことだろう。
何の罪もない人に暴力を振るい、財産を奪い、人生を奪った上で、誰かに被害を訴えようとしたときに、「誰かに何かを言ってみろ、ただじゃおかねぇぞ!」と脅迫する者の事を筆者は「ヤクザ」と呼んでいる。
河野太郎は何の罪もない人たちに「ワクチンにより新型コロナから救われる。ワクチンは誰も被害を受けていない。」と大嘘を言ってワクチン薬害という凶悪な暴力を振るい、大切な家族と言う財産を人々から奪い、人生や命を奪い、被害を訴えた人たちに「新型コロナで被害者が出ると言ったような悪質なデマを流す者は訴訟で潰すぞ!黙れ!!!」と脅迫している。
河野太郎のような人の事こそ、筆者は「ヤクザ」だと認識している。
しかも「ヤクザ」の河野太郎は、「ヤクザ」の仕事の代名詞である「運び屋」をしているという。

新型コロナワクチンを打ったことによって、若くて元気だった大切な友を筆者は失った。
その他にも、多くの人たちが大切な人を失い、深く嘆き悲しみ、怒り狂う姿を目の当たりにしてきた。
そのような者たちを目の前にして、「俺は運び屋だ」と言って薄ら笑いをしている河野太郎はもはや、人の姿にして、人にあらずと断言できる。
大手メディアは、このような外道を未だに次期総理に担ぎ上げようとしている事実を見ると、日本には外道と呼ぶことさえ、生ぬるいような奴らが公道を跋扈しているのだ。


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