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米国大学院博士課程への進学を決めた理由

私が大学院進学を決めた理由は、「生徒がもっとイキイキと21世紀を生きられるために必要な能力を公教育を通じて育むにはどうすればいいのかを考えたい」ということに尽きると思います。それは、今の公教育では「必要な能力を育成できていない」という危機感と、「このまま教員を続けていてもこの問題意識に貢献できない」というある種の絶望感にも繋がっています。

「日本の公教育が生徒につけさせている能力」とは何なのか。「何のための能力」か、そしてそれが「世界的に見てどれほど整合性があるのか」を知りたい。その上で、これからどのような能力を強化すべきか、どのようなアプローチを取ることができるかなどを考えていくことができればと思っています。

これは現場で教えながら10年以上考え続け、試行錯誤し続けてきたことでもあります。生徒につけさせたい能力に関する教員自体の共通理解がないのはなぜか。日本の「生きる力」や「智徳体」などオリジナルなコンピテンシー概念が存在しているにも関わらず、やはり現場ではその像が大きく揺らいでいるのはなぜか。

その問いから、アメリカの21世紀スキルへと繋がりました。

今思えば、21世紀スキルの概念がアメリカの学校現場で浸透している背景には「英語」以外に共通項のないアメリカの文化背景もあったかもしれません。しかし、実際に日本の学校現場で働いている感覚としては、アメリカの21世紀スキルのような現場で共有できるある種の「共通理解」が何かしらあれば、もっと教えやすくなるのに!と思ったものです。

しかし、今は、その共通理解があったとして、果たしてそのおそらく新しい概念を教師自身がどのように理解するのか、そしてそれを生徒へ教えることができるのか、という新たな問いも考えるようになりました。また、新しい教員養成のあり方に想いを馳せたり、今まで関わって来た異文化理解や国際理解教育についても改めて考えたりしながら、異文化とは何か、異文化教育とは何かを模索しています。

コロナの影響で、ICTが学校現場に導入されたり、「少しずつ教育が変わっていく」雰囲気が肌で感じられるようになったり、少人数制度も検討されたりと、少しずつ変化の兆しが見え始めて来ました。しかし、それが世界や多様性、と繋がり、生徒がもっと自由に生きていけるにはどうすればいいのか。

その答えを探したいし、考え続けたい。

そう思い、博士課程への進学を決意しました。

日本ではなく、アメリカの大学院を選んだのは、そこが修士課程を修了した母校だということも大きく影響しています。しかし大きな理由の一つは、「日本は日本でいいところがある」というプレッシャーで現状を正当化したくなかったからです。日本のやり方を批判的に見ると自己防衛本能で「こっちはこっちの理由があって、こうやっている」というような言い方をされることがありますが、それでは自由に発想することも息苦しくなります。日本の大学界はまた違うのかもしれませんがその環境からは距離をおきたかった。また、アメリカの21世紀スキルに興味があったので、比較教育の観点からもっとアメリカの教育現場も見てみたいと思ったことも理由です。修士課程時代の経験から、世界中から生徒が集まってくる環境で勉強をすることで新たに得られるネットワークや、知見が魅力だったこともあります。

履修は今年(2020年)の9月からで、実際にオリエンテーションや授業もオンラインで進み出しています。その中でもすでに新しい考え方やアプローチに出会い、この選択は正解だったと実感しています。

今回の留学が可能になったのは、奨学金を手にすることができたからです。奨学金がいくつか検討し、信頼・尊敬できる友人や恩師に推薦書を書いてもらいました。日本人の私たち(外国人)がアメリカの大学に留学するには高額な学費を支払う必要があります。日本の私立大学の比ではありません。博士課程に挑戦するために母校に戻ることができるというこのチャンスを手にすることができたことを心から感謝しています。

コロナの影響でしばらくはオンラインでの履修です。仕事をフルタイムでしながら大量のリーディングや課題をこなしていかなければなりませんが、感謝を忘れず、貪欲に学んでいきたいです。

また、博士課程での学びの様子もnoteに残していきたいと思っています。引き続き応援よろしくお願いします。

Teachers of Japanではティーチャーアイデンティティ (教師観)の発見を通じて日本の先生方がもっと自分らしく教育活動に専念し本来は多様である「教師」の姿を日本国内外へ発進しています。日本の先生の声をもっと世界へ!サポートいただけたら嬉しいです。