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娘(小3)、英語を話すようになるまで

アメリカ赴任をした時、娘は9歳。日本では小学校の3年生の1学期を終えての渡米。そして、4年生の夏休みに帰国後は英検3級は余裕で合格するレベルまでになりました。その間、私が目撃した彼女の語学習得プロセスについて記録しておきます。

目次
Phase  1:ただ遊ぶのを楽しむ
Phase  2:耳で覚えた英語のフレーズを質問する
Phase  3:テレビを見て笑う
Phase  4:テレビや映画のセリフを暗唱する
Phase  5:寝る前に英単語の意味を確認する
Phase  6:本を読む
Phase  7:書くことを楽しむ
Phase  8:友達の家によく遊びに行く

Phase 1:ただ遊ぶのを楽しむ
小学校の子どもは友達と一緒に遊びたい一心。言葉は二の次のようでした。その集中力はすごくて、学校に通い出した時から友達の名前をすぐに覚えていたり、言葉はわからなくても一緒に遊ぶ時間を楽しんだりしていました。今のこの子にとっては言葉を使ってコミュニケーションを取るよりも、一緒の時間を過ごすことに価値があるのだな、と思ったものです。クラスの生徒がみんな親切なのも助かりました。英語がわからない娘に親切に教えてくれたり、授業で少し発表すると褒めてくれたり、そういう歓迎してもらえている雰囲気も功を奏したようで有難かったです。

Phase 2 :耳で覚えた英語のフレーズを質問する
そんな中でもやっぱり何を言っていたのかしっかり理解したい思いが芽生えてきます。しかし全てのやりとりはもちろんリスニングのみ。帰宅してからその聞き取った英語をなんて意味?と聞くことが多くなりました。ほぼ毎日、学校から帰宅すれば確認が始まります。こちらは解読に一生懸命。なんせ聞こえた通りに聞いてくるので、英語を読み書きメインで習ってきたこちらとしては、それを文字に起こすのに悩むことも。一番、難しかったのは Why did it happen? でした。娘の履いていたズボンに穴が空いていて、それを指差して聞かれたと言うのですが、娘からネイティブ並みの発音で言われてもわからずに解読に40分ぐらい要しました。

また、友達でヘイゾウがいると言うので、平蔵?と思っていたらHazel(ヘイゼル)だったこともありました。ぜーんぶ耳で聞いて理解する段階。この時のインプット量はとても大きかったと思います。

Phase 3:テレビを見て笑う
アメリカに到着して数ヶ月はテレビを見せても見ませんでした。見ていてみ何を言っているのかわからないし、面白くなかったのでしょう。それが3ヶ月か4ヶ月過ぎたあたりから、「あれ?テレビ見てるな」と言う瞬間が多くなってきます。そして、たまにあははと笑っているではありませんか。見ていたのはPBS Kidsと言う子ども向けの教育番組。小学生低学年向けまでのものが多いかもしれませんが、娘のレベルにはピッタリ。私が見てもおもしろくこんな単語を子供の頃から接してるんだな、という発見もありました。

Phase 4:テレビや映画のセリフを暗唱する
この頃にネットフリックスの契約をしました。家にWifiがなかったので、近くのカフェに行ってパソコンを使うことが多かったのですが、ネットフリックスに契約をすればダウンロードして家でも見ることができるし、旅行にも持っていくことができるなどいくつか利点があったからです。それで娘がハマったのは「フェリシーと夢nトウシューズ」という映画

これは実は日本で見たことがありました。本人はあまり覚えてなかったようですが、それを英語で改めて見たのもよかったかもしれません。娘は、悪役の女の子が主人公をいびると言うシーンをなぜか好んで、ひたすら実演していましたが、発音や言い方がだいぶ上達しているのがわかりました。この頃だったでしょうか、娘が「exampleって何?」と買い物をしているときに突然聞いてきたことがありました。その意味を知らずに今まで算数を学んでいたことにも驚きましたが、その発音の完璧さに腰を抜かしそうになりました。本人曰く「先生はこう言ってる」とのこと。この辺りからスーパーのアナウンスを聞き取ったり、テレビの単語を聞き分けるのが娘の方が上手くなっていきます。

Phase 5:寝る前に英単語の意味を確認する
いつ頃始まったかは定かではありませんが、学校に行き始めてから半年以上は「これどう言う意味」とか「これはなんて言ってるの?」と聞いてきていました。そしてある時から、夜寝る時に単語やフレーズを聞いてくるようになりました。寝る前になって脳が一日に起こったことを整理し始めていたのかもしれません。面白いことに、1度として同じ意味を聞いてきたことはありませんでした。毎晩、毎晩、違う英語を質問し続けるのです。一回聞いて、それを全部覚えていたのかはわかりませんが、子どもの学習能力というのは面白いものです。

Phase 6:本を読む
小学校では本読みの宿題がありました。しかし、日本と違うのは「何でもいいので自分の好きな本を、読める分だけ読む」課題だと言う点。1週間続ければ金曜日にはちょっとしたプライズもありました。本屋さんですぐ読める本をと思い I AM OTTER(僕はラッコ)と言うシリーズを数冊買いました。とても短い本でアメリカでは1冊が5ドルもしなかったと思います。短ければ達成感もあるし、暗記もできる。声を出して毎日少しずつ読み進めて行き、読めたらまた違う本を買いました。小学校でも図書の時間があり、本を借りてきたり、みんなで自由に本を教室で読む時間があったりして、読書に親しむ時間は長かったように思います。周りの子が読んでいる本を自分も読みたいといって挑戦してみたり、読む力はぐんぐんと伸びているようでした。

映画にもよく連れて行きました。アメリカではひとり5ドルで映画を観られて、子ども向けのエンターテイメント映画も欠かすことがありません。

Phase 7 :書くことを楽しむ
アメリカに行ってから毎日日記をつけるようにしていたこともあってか英語で日記を書き始めるようになります。学校でも自分の意見をかかいたり、それを発表する活動が多いのも大きな影響がありました。特に、半年をすぎたあたりからどんどん書いていくようになります。中でも娘が大好きだったのは「」の授業。本人は「ポアムの授業」と言っていました。担当してくれていた先生が俳句取り上げてくれて、身近なものを題材にして詩をどんどん書いていくのを楽しんでいました。今でも書くことが一番好きだと言いいます。第二言語として学習すると4技能のうちライティングは苦手とする人が多く、私もそのうちの一人。どうしても日本語から英語に移行するとかけないことが増えていく気がしますが、英語でシンプルに書いていくとまた違うのでしょう。この頃の娘は「英語は後ろにどんどん付け足していけるから楽」だと言っていました。その感覚、羨ましい・・・(母)。

Phase 8:友達の家によく遊びにいく
1年が経とうとする頃には、友達関係にも恵まれ、よくお互いの家に遊びに言ったり、スリープオーバーにったり、誕生日パーティーに行ったりしていました。言葉が分からないと言うハードルはほとんどないようで、いま振り返ってみても、渡米を一番楽しんでいたのは娘のような気がします。友達の保護者とも自分でやりとりすることが増えてました。そんなある日、娘が「友達はお母さんからハニーって呼ばれてる!私もハニーって呼んで!」と言ってきたのを見て、この子はこのままいたらアメリカ人になる!!!。と確信しました。

また、同時に日本語力をキープする難しさも感じました。もともとが1年の赴任だったので、補習校にも通わず、日本から持ってきたワークをさせていたぐらいでしたが、読めない漢字が増えたり、書き順がわからなくなったり、算数の図形や分数の理解に時間がかかったり、、、日本の小学3年生ならできて当たり前のことが少しずつ難しくなりつつある様子も手に取るようにわかりました。このまま何年もいればそれこそ別の能力を持った人間が出来上がるのは当たり前かもしれません。

娘は帰国した、空港でも私に英語で話しかけるようになっていました。日本語で話しかけても英語で返す割合がだいぶ高くなっていたと思います。

アメリカの1年で得た何よりの宝物は、帰国後に娘が「英語が話せる自分が好き」と言っていたこと。

日本での英語力維持については大変な面が多いですが、英検や英語の維持についてもまた今後書いて行きたいと思います。



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