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突然退職した社員の心に起きたことを描いいた『たとえば、葡萄』--この小説はこれから起きる社会変化の予兆だ

今週発売の週刊文春で書評を書かせていただきました。

書評が載っているのは「文春図書館」の「今週の必読」コーナー。取り上げた作品は大島真寿美さんの『たとえば葡萄』です。

大島さんの作品は数作しか読んでいないのですが、どれも大変におもしろく、さらに『たとえば、葡萄』は「今の時代にマッチしたお仕事小説です」と文春の編集者さんがおっしゃっていたので、楽しみに拝読しました。

Amazonの作品紹介より、あらすじの一部を引いておきます。

まったく先の見えない状態で会社を辞めてしまった美月(28歳)。転がり込んだのは母の昔からの友人・市子(56歳)の家。昔なじみの個性の強い大人達に囲まれ、一緒に過ごすうち、真っ暗闇の絶望の中にいた美月は徐々に上を向く。

会社は退職したけれど私は元気です、を描くエンタメ作品はわりとある気がします。「退職エントリエンタメ」とでも名づけておきましょうか。子供を連れて北の国に移住したり、南の島にたどり着いて新たなコミュニティに参加したり、素敵な住人がいるアパートに引っ越したりと、「辞めた次にやること」に焦点が当たっている作品が多いように思います。辞める理由はだいたいが会社のせい。なんかこう、会社なんて辞めて当然だよね、あんなとこまともな人間のいるとこじゃないよね、という空気が漂っている。

今作『たとえば、葡萄』も一見そうではあるのですが、大きく違うのは、主人公の女性が「なぜ自分が会社を辞めたか」ということをもがきながら誠実に考え抜くところ。実際に退職したことがある身として、このもがきはすごくわかる。待遇が悪いとか労働条件がひどいとか人間関係がよくないとか、会社が悪いわけではなくても、この仕事は辞めるしかないな、って気づいてしまうことってあるじゃないですか。

それは第六感みたいなもので、だからうまく言葉にできなくて、だから辞めた後も「なぜ」をずーっと考えたりする。なぜがわからないと、次の仕事に進むことができないから。それだけ働くってことに真剣なんですよ。
これこそが私が求めていた退職エントリ小説だ! とテンション高くあっという間に読んでしまいました。

退職というテーマなので悲壮感漂う作品なんじゃないの?と思われるかもしれませんが、そこは大島作品。明るくてたくましい登場人物が次々に出てきて、ぽんぽん会話をするので、読んでいてすごく楽しいです。

コロナ禍をきっかけに「会社辞めようかな」と思っている人も多いことでしょう。そんな人にぜひ読んでほしいなと思いました。