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小説家を続けるのに必要なメンタル

相変わらず長編を書いている。
いま書いているのは労働小説で、とある企業の二つの部署の連携を書こうとしている。企画段階で気付くべきだったが、経験したことがない業種を書くだけでも大変だ。四季報で企業概要をおさえ、openworkで社風をおさえ、架空の企業を作るだけでも大変なのに、さらに二つの部署が舞台となると、どっちも会社員時代に触ったことがある仕事とはいえ、現在の仕事トレンドをおさえなければならない。工数が増していくばかりである。

お仕事小説や労働小説にどんなに手間をかけようと、刊行されたときの印税が増えるわけじゃない。工数的にわりが合わないジャンルだと思う。だからか専門ジャンルにしている人はあまり見当たらないが、読者はけっこういるし、競争相手がいないからのんびりムードだ。ドラマ化もされやすいように思う。ブルーオーシャンなジャンルだ。

たとえば恋愛小説というジャンルは、取材しなくても、社会経験がなくても、誰にでも書けるように一見みえる。だが、それはきらめくような才能がないと頭角を表せないということでもある。参入障壁が低いからこそ、魅力的なジャンルだからこそ、新しい才能がどんどんくる。あそこは血で血を洗うレッドオーシャン。安寧はない。

マーケターになるとまず教わるレッドオーシャンとブルーオーシャン
https://startuptalky.com/red-ocean-strategy-vs-blue-ocean-strategy/より引用

私はレッドオーシャンには行かない。有名ジャンルの頂点に立ってみたいと思わないでもないが、元はといえば、大学の講義で「億を稼ぐ作家もいれば、年収ゼロの作家もいる」と教えられ、「そんな才能格差があるところで働けん」と会社員になったような人間なので、才能に依存しない仕事をやるのが好きなのだ。

とはいえ、どんなジャンルをやろうと、小説家はアップダウンが激しい仕事だ。この前、ローンを返済できるかどうかが不安になり、フィナンシャルプランナーにアポをとったのだが、年収を聞かれて、「億を稼ぐ作家もいれば、年収ゼロの作家もいる」と答えると「羨ましい!」と言われた。いやいや後半聞いてました? たとえ一年だけ年収億になったとしても、その後ずっと年収ゼロなら、平均的な会社員より生涯賃金低いですよ? 億(なんて稼いだことないけども)からゼロに落ちるときにかかる重力をあなた知ってますか?

ある日のこと、スタートアップで働く友人が、SmartHRの創業者である宮田昇始さんのブログのリンクを送ってくれた。

スタートアップに冬の時代がきましたよ、資金調達が難しくなりましたよ、という内容で、私にはまったく関係ないのに、書いてること全部が胸に突き刺さった。
小説家は起業こそしないが、つねに出版社から資金調達をする。企画を出し、プロットを出し、「これは売れます(たぶん)」とか「この物語が出ることに意味があります(たぶん)」とか「私はこれをやりたい(たぶん)」とプレゼンして、まだできあがってもいない物語を、本として刷ってもらう。そのお金を出すのは出版社であり、彼らはスタートアップから見たベンチャーキャピタルに近い存在だ。本が出たら印税が出るので、小説家はそれを資金にして、次の本を書く。その繰り返して、小説家を続けていく。

たとえ本が売れず、出版社が赤字になっても「この作家はいつかくる」という期待を醸すことさえできれば資金調達はできる。「朱野さんはいつかきっと売れます!」と力説してくれる編集者さんに「その通りです」とうなずきながら、なんか騙しているような気がすると思ったことも一度や二度ではないが、それだけに、資金を得た後に「次は何を書こうか」と考えるときはヒリヒリする。

中学のときに通っていた個人塾の先生に「君はあまりよく考えないで回答した方が正答率が高い」と言われたことがあって、小説の企画を考えるときは、ヒリヒリしていても、あまり考えずに出すようにはしているのだが、めちゃくちゃ怖い。「なんでいい企画! 私は天才だ!」と思う日と「こんなもの誰が読むんだよ?」と思う日が交互にやってくる。だから、宮田さん(知り合いでもなんでもないのにさん付けで呼んでいるが)のブログの最後に貼ってあった動画を見て笑ってしまった。

そうそう、毎日がこういう感じ。(私だけ?)

小説家から資金から出すのは自分の人件費だけだ。何人もの社員の人件費を出さなきゃいけない経営者とは精神的負担がまったく違うのではあるが、気分の乱高下がつらい、とこだけは同じだと思う。だから「思ったより高低差半端ないぜ」のところで笑ってしまった。

『ミステリーの書き方』という本に、小説家を続けるのに必要なことはなんですか、というアンケートに「くさらないこと」と書いてあったのを覚えている。売れなくなってやめる人より、心が折れてやめる人の方が多い、ということを知って、新人時代の私は慄いた。考えてみれば、別の仕事しな柄でも小説なんて書けるものね。それをやめるってことは……。

これまた宮田さんのブログからの引用だが、有名な起業家であるポール・グレアムがこんなことを言っているそうだ。

スタートアップが死ぬときには、公式の理由はいつも資金切れか、主要な創業者が抜けたためとされる。両方同時に起こる場合も多い。しかしその背後にある理由は、彼らがやる気をなくしたためだと私は考えている。取引したり新機能を作り出したりして24時間働き続けているスタートアップが、つけを払えなくて ISP からサービスを切られたために死んだというような話はめったに聞かない。
 
スタートアップがキーを打っている最中に死ぬことはめったにないのだ。だからキーを打ち続けよう!

http://www.aoky.net/articles/paul_graham/die.htm

だから今言っておこう。これからひどいことが起こる。それはスタートアップの常なのだ。ローンチしてからIPOや買収が行われるまでに何らかの災難に見舞われないようなスタートアップは1000に1つというものだ。だからそれでやる気をなくしたりしないことだ。災難に見舞われたら、こう考えることだ。ああ、これがポールの言っていたやつか。どうしろと言ってたっけな? ああ、そうだ、 「あきらめるな」だ。

http://www.aoky.net/articles/paul_graham/die.htm

いやもうほんと……「あきらめるな」以外にないよなと思う。キーを打ち続けるしかない。打ち続けるだけじゃなくて、「うまくいかないときはユーザーをよく見て、成功するバリエーションを見つけようね」ってことも、ポール・グレアムは書いている。本当にそう。そうなんですよ。でもそこがもっとも心が折れるポイントなの。