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堀江敏幸【傍らにいた人】

日経新聞に連載されていた書評を一冊にまとめた書評集。仏文学の印象も強い著者だが、語られるのは日本の古典である。日経新聞という相当に実利を重視するはずの新聞の片隅に、この生産性という概念から遠く離れた緩やかな散文が載せられていたということ自体が、何というか嬉しい。

「解釈の誘惑から離れて」「全体の流れや構造とは関係ない細部につまづくこと」を掲げ、要約すれば零れ落ちてしまう「傍ら」の描写に着目して丹念に拾い上げる。

けれど私は、ひとりの読み手として、こうした解釈の誘惑からいったん離れてみたいとも思うのだ。読書をつうじて形成された記憶のなかで振られる後付けの傍点の意味を、深追いしないこと。書物のどこかで淡い影とすれちがっていた事実を、ありのままに受け入れること。その瞬間、頬をなでていたかもしれない、言葉の空気のかすかな流れを見逃していた情けなさと出会い直せた不思議を、大切にしておきたいのである。
堀江敏幸【傍らにいた人】(日本経済新聞社)p13

いかに細部につまづくか。上の引用のような態度を貫くのは、簡単なようでいて難しい。ともすれば全体を俯瞰して要約して解釈することよりも、よほど能動的で体力のいる読み方であることを、この本を読んでいると思い知らされる。解釈というのは、意地の悪い言い方をすれば、作品を読み手の主張に引き寄せて翻訳する態度に他ならない。安易にそれをしないで、小説の中のたった一文、ときにはわずか二文字(どうしてこの文章に「私は」が付けられているのか? 等)にこだわりながら、再読の旅を押し進めていく。決して押し付けがましくない、あくまでも個人的な読書風景として。その内容もさることながら、やはり文章自体に途方もなく惹かれる。

堀江さんの文章の魅力は、豊富で的確で優しい語彙はもちろんだが、読点の前後が、一文と一文が、段落と段落が、章と章が、それぞれの間で緩やかに連結していく心地よさにあると思う。暗転することなく、気づけば最後の一文まで運ばれているという連想の技巧は、この書評集でもじゅうぶんに味わえる。国木田独歩【忘れ得ぬ人々】から始めなければ、最後を飾る庄野潤三【プールサイド小景】には辿り着かなかった。堀江さんが語っていたとおり、先人たちの作品を、流れに身を任せて淀みなく連結させていく。どれか一つでも違っていたら、以降は全く別の作品を評することになっただろう。職人芸です。

ちなみに私は文学賞の選評を読むのが結構好きで、山田詠美のように気に食わない小説を端的にバッサリ切り捨てる野武士のような選評も楽しいのだが、その対極の、きっと評価していないのだろうと思しき小説でも必ず美徳を挙げる堀江さんのスタンスも面白い(選評は各委員の一種の「芸」だと思う)。堀江さんは文学賞の選評でも、作品ごとに個別に言及していくのではなく、一つのモチーフによって束ねられた散文のなかで評価を語っていくというスタイルを採っている。その徹底ぶりがすさまじい。

特に考えずに書影を載せたところいい感じに切り取られて嬉しい。

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