20年前のあの日ネットが世界を広げた
20年ほど前は、携帯電話でwebができるようになったり、カラー画面になった時代だった。
そんな時代に、私は携帯のチャットサイトにハマっていた。
日本のどこかに住む人たちとリアルに会話(文字だけど)できるとあって、身近な誰かに言うことのできない話や、なんとも言えない不安、孤独感が和らいだのを覚えている。
チャットのやり取りの中で恋をしたこともあった。
仲間に会いに東京に行って、チャット内ではあまり絡んだことのなかった人たちとも仲良くなった。
人生を変えた出会いもあったし、痛い思いもした。
今も年賀状のやり取りだけはしてくれている人もいる。
実は、楓という名前は、当時のハンドルネームからとったものだ。
当時は本当にお世話になった人もいるし、ちょっとしたことがきっかけで疎遠になったけれどもずっと気になっている人もいる。
東日本大震災の時には、東北出身のあの人は大丈夫だったのだろうかと、本当に気になったけれども、私は彼の安否を知るすべを持たなかった。
私がTwitterのアカウントを持ったのは、ずいぶん昔でさまざまな事情もありアカウントは何度か変わっている。
けれども、楓という名前をずっと使い続けているのには、その頃知り合った人たちにもしかしたらいつかつながるのではないかという思いがあるから。
あの頃の私は、私だけが不幸だと思っていたし、孤独だと思っていた。
そんな私の心を自然体で受け入れてくれた場所がそのチャットサイトであり、私の心のよりどころとなっていた。
あれから私にもいろんなことがあって、そのチャットサイトもなくなってしまった。
そして、あっという間に月日が経ち、フリーター人生を歩んでいた私は、介護職とライターという天職を見つけているし、愛すべき夫と結婚し3人のかわいい子供たちがいて、幸せな毎日を送っている。
そんな中、ふとチャットサイトの名前を思い出したので検索してみたら、Twitterで懐かしい名前にたどり着いた。
DMを送ろうかとも思ったけれども、さすがに覚えられていないかもしれないと思うと、勇気が出なかった。
多分以前のアカウントでは一度くらいフォローしている。
だから、正確には20年ぶりではない。
だけど、覚えてくれていた。
直接やり取りしたわけではないけれども、本当に嬉しかったし、あの時代のことが走馬灯のように思い出された。
あの日自分が来ていた服、みんなの優しさ、楽しかったこと。
全部思い出してとても幸せな気持ちになった。
この素敵な思い出、一生忘れないでおこうと思う。
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