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デジタル化という手段を装った目的【雑記】

ライターとして働いていたとき、手書きのノートにメモを取ると後から検索することもできず読み返すこともできないという悩みを抱え、なんらかの方法で取材データをデジタル化する必要を感じていた。とはいえ、インタビューしながらパソコンをカタカタするのも気が引ける。音声データは重いし聞き返すのが大変だ。

というわけでiPadアップルペンシルを買った。

メモアプリをインストールし、アップルペンシルでメモを取り、日付と社名をタグ付けし、Googleクラウドに保存。こうして僕はいつでも参照可能な巨大アーカイブを構築できる。そう思った。

じっさいに完成したのは、デジタルゴミの埋め立て地であった。

僕はそもそも取材時にメモを取っていたが、後から見返すことはほとんどなかった。細かい数字やデータ的な話などはいちいち覚えていないので見返すこともあったが、それ以外の大筋は大体頭に入っているのである(別に記憶力がいいからではない。僕はインタビューをしてその直後に原稿をあげることを心がけていたので、時間が空いて忘れることがないのだ)。

では、時間を空けてから同じ企業に再度取材するときに、復習として読み返す場合はどうか? 結論から言えばそれもない。インタビューした内容のうち重要な情報は記事にしている。なら、復習はリリースされた記事のほうを読み返せば事足りるのだ。

けっきょく僕がメモを取っているのは、「メモを取って熱心に聞いている」という演出のためであった。そのことに気づいた僕は、メモを取るのは細かい数字程度にとどめ、ほとんどやめた。それもどうせ記事にしてしまったあとは、必要なくなる。

紙とペンに回帰するまで、さほど時間はかからなかった。

そしてiPadは息子がYouTubeを観るための専用マシーンになった。

では、そもそも僕はなぜ、デジタルに移行する必要性を感じていたのか? 情報を整理して後から見直したかったからなのか? それとも、iPadを颯爽と使いこなすクールな自分を演出するための口実を探して、「俺は情報を整理して後から見直したいのだ」と自分に言い聞かせたのか?

おそらく後者である。そして、これは僕に限った話ではないはずだ。デジタル化とは、手段を装った目的であるケースの方が多いだろう。

もちろん、「デジタル化」という言葉は「スパゲッティ」みたいなものでとっくに死語と化している。「スパゲッティ」が「パスタ」と呼ばれるようになったように、「デジタル化」は「DX化」に変わった。とはいえ「DX化」という言葉も手あかにまみれ始めたので、そろそろ新しいビジネス流行語も登場する頃合いだろう。

・・・そう思って調べると「VX(ヴァーチャルトランスフォーメーション)」なる言葉が出てきた。おそらく「あれ、もしかしてたいしたことないんじゃね?」とみんなが気づき始めたメタバースの延命治療として登場した言葉だろう。

また「GX(グリーントランスフォーメーション)」や「SX(サスティナビリティトランスフォーメーション)」「BX(バイオエコノミー)」みたいな言葉もあるらしい。よくもまぁ次から次へと思いつくものである。

個人的にはAI活用にまつわるバズワードの席が空いている気がする。AI活用を推進する企業みたいな意味で「AIer」(エーアイアー)とか、AI活用をカッコよく言い換えて「AIX」(エーアイトランスフォーメーション=エーアイエックス)」みたいなのもいいかもしれない。

話が大きくそれた。デジタルで僕が変わったことと言えば、デジタルとはファッションアイテムの1つであることに気づいたことだ。appleの競合はGoogleではなくLVMHだなんて話もあるくらいだし、やっぱりそういうことなのだろう。


#デジタルで変わったこと

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